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あげちうのブロマガ

生か死の選択を前に

「お金が無い」は、切迫感のある現実ではある。

領内の”それ”を何とかするのが、施政者側の役目ではあるのだが。

 

果たして中国の経済発展、それは本当なのだろうか。

言い方の問題だが、昭和当時の、日本の海外進出と、しかし今、日本に来ている中国人労働者の、それは同じモノ、だろうか。

国が発展してたら、日本に来るよりも都会の方に仕事を求めに行くのでは?

そう言うのを考えると、今も中国のそれには、どうも懐疑的ではある。

しかし、「紛争解決機構」それがガンダムである、とした場合、平成を通し、”それ”に準じていたのは実際には中国では無かろうか?そんな風にも考えた。「天安門事件」その前に、「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」その連載は行われている。ここにストレスは、ある。定番としては、反乱分子に渡ったガンダムを中心に、反政府組織は支持を集め、やがては諸悪を倒す!と言う流れでも問題なかったのでは。なのに、富野氏は主人公らの組織がそのまま、力に押しつぶされて行く方向で描いて行った。

そして、問題はその後に、「天安門事件」それは、ある。

その前に、旧ナムコの業務用ゲーム基板「システム2」それは誕生している。”ここ”にも、微妙な混沌は有る…自分の把握では、この基板が、或いはこの企画が当時、「次の王の権威」それを目指した”何か”として期待された?物だ。その第一弾が「アサルト」しかし、内容は…地球の植民地と化した領域を取り返す為に一機の万能戦車が挑む、そう言う内容。ゲーム的にはまあ、クリアしてしまう、が。

そして、というか。流れは…”これ”を受けてのか、「閃光のハサウェイ」ではある。

当時の状況で、ガンダムはもちろんか、「紛争解決機構」そんな存在だ、という理解はほぼ無かった。旧「ユダヤ教の王」それは、王の権威その影響その脱却を目指していた。”これ”は多分、そのフラグシップと言う流れ、だったが。それをでも、富野監督は、そうは描かなかった、何故か。

今考えるなら「ガンダムだから」そう言う気は、する。

もし、そのまま期待される流れで描いていたら?「天安門事件」それを引き起こした加害者にさえなりかねない、そう言う衝動を後押ししてしまったかも。”今”の理解は「これは漫画です」だが、当時はどうだったろう。ともかく”そこ”に見えてくるのは性質上「、何かの現実」ではある。その時、そこに見えた主人公側に、そのまま反体制的行動、それを求めるべきか。

ある意味で、富野氏は「アニメ化しない」その、本来のステージを捨ててでも、”それ”に異を唱えた?感じだったのでは。昭和天皇はもう居ないのだ、指針を何処に持つべきか、それは不明瞭に成っていた。その時、「今まで通り」で描くには、ちょっと剣呑では表現が軽い位の、怖い壁があって。

もちろん?「小説で描いたそれは現実です」予言です、なんて言う訳には行かない。結果、この作品は本来の影響力?その時、”それ”を失った…そう言うのはあるのかも。ガンダムはやっぱりこの時、「紛争解決機構」それとしては破綻してしまって、それは天安門事件、”それ”を抑止する事が出来なかった。

…描かれた内容、それは「間違っていなかった」のだけど。

中国の発展は、この先にある。残念と言うか、この時「紛争解決機構の決定に逆らった」のは、中国では無い、諸外国の方ではある、特にマスコミ?結果、世間は未曽有の不景気に陥っていく、代わりに中国は台頭していく。「ガンダムは紛争解決機構である」とするなら、それはそれとして、ここに道理はある。

そう言う物、なのだろうか。

ともかく自身の混沌の、その一つは少し、スッキリ?はしたが。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10766578
https://publicdomainq.net/inoue-yasuji-0018989/

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