あげちうのブロマガ

売れる写真と売れないそれとの境目

「傍観者」に成っている、その是か非かではある。

「大衆は神である」その、何かのチェック項目の一つ、そう言う視点もあって。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
まあ、基本はフォトレタッチなのねっていう感

 

良くある病理の一つが、「報道された事が真実」と言う、それ。「報道」と言う権力の端的なパワーの一面だが・・・もちろんそれは、真実、という視点では違う。「そうじゃないと困る」場合が幾つかの場面であるだけだ、「大ヒットしてます!」と報道されても、売れていないなら利益は無い。そこは、いくつかの違和感として、その後に現れてはいく訳だが。

ともかく、現行のジャニー喜多川氏による性犯罪、その告発では、不意に考えると「名が知れたジャニーズタレントからは、ジャニー喜多川氏からの性的な横暴を受けた、という報告は無い」と言う不自然さは、ちょっと気になる点ではある。

ここは報道機関としても?重要なポイントなのか、会見でも「ジャニー喜多川から寵愛を受けた、という事が採用基準ではありません」「じゃあなんでジャニーズタレントは人気なんですか?!」と、声を震わせて問う記者も居た、という話。大前提として、「ジャニー喜多川氏から寵愛を受けたからこそ、ジャニーズタレントは人気だしヒットしている」と言う状態が無いと、この話は疑問が残る訳だ。

被害者は、なんで今まで黙ってたの?
ヒットした人々は、なんで性加害の対象に成らなかったの?

ヒットしたいからこそ、彼からの横暴を受け入れざるを得なかった、という状況が無いとパワハラ、セクハラに成らない気はする。少なくともジャニー喜多川氏の存命中に採用された?タレントで、そういう報告がほぼ無い、というのは、まあちょっと不自然だ。寵愛=性的な加害で無ければ、過失は成り立たないのでは。

言わねば成らないのは、「前に出てる彼らはそんな事してないのに、なんで自分はあんな目に!」と、そう言う話ではある訳だが。その被害者が国連?が問題視するほど居る、というのは、かなり違和感がある。そしてまあ、その被害者、というのが…知名度的にはほぼ無名だ、というのも、疑問の残る状況ではあり。

ともかく慰安婦問題もそうだし、南京大虐殺もそうだが、短い歴史的にも、この辺のネタは報道により既成事実化した、という面は強くある。これもまたその一つだ、という時、その後ろに何か意図がある、のは・・・まあやっぱり思う。

それを自分にしろ、なんかあえて掘り下げる気にならない、のは。今のところの印象で、「なんでジャニー喜多川氏はヒットするタレントを育てられたのか?」が議題だから、という面は一部ある様な。先日までの「広告代理店」の話もそうだが、つまり今まで「大ヒットしてます!」と言うその多くがそうでもない、状況があって。彼らは可及的速やかに「大ヒットするタレント」そう言うのを造らねば成らない状況にある、が。それが今に至ってもまだ見つかってない、そこに焦りがある・・・そう言う事?という面も、少し考えるが。

中国も今、かなり経済的には困窮しつつある訳で。

「利益を!」それは、中国で有っても喫緊の課題であるのは、まあ現実だろうか。

特に、テレビを介してのコンテンツ、その利益性にこそ市場活性化の原理がある、という時。「売れるタレント」それは、今までの一般論から言っても最大の課題ではある訳で。そう言うのが今に至ってもまだ、JPOPくらいしかない訳だ、それはジャニー喜多川氏の元にしか無かった。平成30年を通して操作され続けた数値は、結局は何かの崩壊を始めている?そう言う視点はまあ、ある。

「数値」は、本当に弄れなくなった、のだろうか。

だとしても、報道の暴力は今も、この位には効く訳で。

「大衆は神である」神は全知成る万能か?

その時、意図は何処に。

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