ともかく自分の視野範囲では、「広告代理店」そこ以外に今、「大衆は神である」の壁は見えない。
”そこ”が感覚論で「出来ない」と言う状況であれば、思想的な問題は消えている、事には成る。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
不穏さが加速している・・・
思惑の問題ではある・・・ただそれが今までと大差ないのも判断が明確化しない原理とも言える。「カウンタ制御」その物は、自分も一部肯定?した様な部分はある、「youtube改善案」とか言うのを考えた事があり、その中に数値制御の記載があって。もちろんあくまでも、「利用者が」任意で使用する、機能としては、ではあるのだが。「今まで通り」とすれば、そうもいかないのかもしれない。
ともかく「こんな感じ」に、数値を操作されてる人は、”されてない数値によって”実際は換金されている、と言う事には成る訳だが。その、本来の数値、”それ”を「広告代理店」は歪ませかねなかった、が。一応、底の問題は無くなった?気はする。
だから、だろうか?イーロンマスク氏の暴走により、旧Twitter、現「X」は広告収入を60%も喪失した、らしい。その上で「これはユダヤ資本による陰謀だ!」とか言い出す始末で。第三者的には「いや、当たり前でしょう」と言う事態は今まで、”彼ら”には当たり前じゃなかったのだ、何か彼らには共通する後ろ盾?の様な物が有ったが、それが?
という事、だろうか?
以前に考えた「M式番組枠選定法」では、その枠を得られるか否か?は、あくまでもスポンサーの評価、それに寄る。少しここで騒乱はあった、感じはあって。「スポンサーの評が低いなら」その番組は前に出れない、のだ。今まで?なら、その「広告代理店の王」にお願いできれば、数値が幾ら低くても通ってしまった、様な状況だった、感じにこれは、ちょっとストレスは発生する。もちろん今までは”違うストレス”に全体が晒されていた訳だが…それよりは道理を背にして局所的な話だろう。
自身の思想的にも合致はある、スポンサー優先なら、彼らもまた、逆らい難い「スポンサー」を背にしている・・・お客。それの意向を無視できない時、番組枠を選定しているのは最終的には「視聴者」お客、思想的には大衆、”神”、そこには至る、訳で。その思惑で番組が決まるのなら、テレビは再び昭和の様な活気を得られる、かもしれないのだが。
自分は?
「MMD」と言うツールは何の為に?で、視点では「古き良きアニメや特撮の再現」の為、だが違う視点では、「余剰な技術者の捨て場」穴の開いた柄杓、そう言う視点もあって、そして今までの経緯を思い返すとやっぱり、後者のニュアンスが強い、気はする。現場で横暴に何とか対抗しようとした、そう言う苦心の跡と言う感じだが、ともかく自分にとっては状況が変わらない?のは、果たしてだ、それは今も良く解らない、そして以前もそんな事を何度か書いている。
騒乱は、損害を伴ってストレスではある。
「今までにない画期的な!」それは或いは、既存の技術者を亡き者にしかねないのだが。
そんな話を隠れ蓑にした悪意ではないと、誰が言えるのだろう?