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あげちうのブロマガ

「売れない」理不尽へ踏んだ結末

池袋暴走事故の、飯塚幸三被告に対して、被害者家族へ一億5000万円の賠償命令。

理解と感情論は「妥当」それを言うが、当人にしてみたら今も、理不尽でしかないのかも。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「許せない」その感覚は時に、”こんな存在”へも向かう事は。

 

「状況から言ってその可能性が高い」今の自分の把握は、そう言う感じでしかない、だからか、最終的な「賠償」それをまだ、得られていない感じもある。要するに飯塚幸三氏の「自分が間違っている」そう言う納得、だ。東京大学の工学博士でもあり、通産省工業技術院の院長も務めた、という経歴のそれに対して、それを求めるという事がまあ、常識的な感覚では…理不尽でさえある訳だが。

「彼は密かに立場を利用した世界規模の”自腹買い組織”とでもいう物を形成して、税金のピンハネを財源に昭和天皇に支配されていた世界の解放を目論んだのだ」

それは、状況から「そう考えると合致が良い」今も”それだけ”でしかない。始まりは「ゼビウス」が売れなかった、本来の栄華”それ”を「グラディウス」に乗っ取られた、その上で最終的にはそこから「死ね」まで罵倒された、そこからくる変質…それも或いは根拠が完全ではないかも。とは言え、当時にしろ相当のエリートではあり、その際のプライドの痛みは相当だったろう、それは想像はする。「自分が間違ってるなんて事は有りえない」それは、そこからでも歳を重ねる毎に強固に、むしろ狂気を纏って行った、それは思う。

ただ違う視点では、その時、彼の上にはもう「神だって居ない」のだ、その意識は今も、崩れてはいない訳で。その神人が、今は犯罪者として実刑を受け、そして賠償を請求される屈辱、その理不尽ではある…視点では道理でさえあるが、彼の視点はそこには今も無い。

昔からよくネタにはなる、頭でっかちなエリートが、不良でさえある主人公らに負ける、というそれ。当時にしろテキストに全てが載ってる訳じゃない、不足する部分は欠損となり、期待値は何かの戒め、という事には成るのだがしかし。その「不足してる部分」が、今考えても「それはむしろ間違っている」のが、なんとも面倒さをまだ残しては居る。

世の中には、勉強だけでは超えられない才能の差、というのはあるのだ。

飯塚幸三氏の?或いは「ゼビウス」は、そんな現実へ戦いを挑んだが、あえなく屈辱的に撃破された訳だが。

もちろんだが、その「娯楽の現場で才能で勝っていく」人々が、最終的には彼ほど技術?知識、そう言うのが有る訳じゃない。ロケットを創れ、と言われても中々難しいだろう。そんな連中が?作った?考えた?ロボットが、迫りくる脅威から日本を護れるとでもいうのか?だ。まずロボットその物が有りえない、関節その他、空想にも限度があるという物だ、が。もちろんだが、ウケる売れるのは、その”愚かな”方向性ではある。

そして、必要な事は「お金を稼ぐ事」だ。その時、現実は彼をその場で、単なる無能にはしてしまう訳で。

矛盾の中には居る。「俺はお前らとは違う」と言いつつ、道理は「不平等への抵抗」が足場だ。その矛盾が、ユダヤ教の暗黒、”そこに居るモノ”と結びついた、そう言う感じもあるだろうか。ユダヤ教もまた、太陽神からの否定を受けて追い出され、暗黒を神とするようになっていった。一応、後者の意識が「権力に否定された環境の中での生存」に集中していくのとは異なり、彼は権力の立場から神へ挑んだ、そんな差はあるかもしれない。

神へ挑むなど、愚かな。

単純な問いとその混沌と、その結果はまだ、彼の中でも理不尽だろうか。

神が罰せられるなどと。

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