50代位の、”一部の女性”には共通する精神疾患がある。
と思う感覚は果たして、現実を何処まで正確に把握しているだろう、少し疑問だ。
要するに、「勝手に自分の言ったか描いた物が、商業創作の下敷きになっていた」事例が、実はこの世代には結構あった、訳だ、王の権威それに関わって無い人にでも。結局「王の権威」その資質とは、「焼売とは何か?」を描いて”それ”が不動になる感覚、の事だが。女性はその時、自分の個人的な趣味を”それ”に出来る精神構造がある、それは絶対である。それと、「王の権威」のそれと何処に違いがあるか?というのは結果でも解りにくく、我の強い女性それは、その時その感覚が、独裁創作の利益性、それへ通じやすい。
ただこの時、”その”感覚は実際には物理のそれじゃないのだ、何処か異世界のそれ。故に、現実には若干不足や、或いは過剰、そう言うのが有り…そのままでは実際には?利益性に繋がらない。
それでも、一時的には、だ。王の権威にしろ、少し揺すられると「まあ良いか」を言ってしまう部分は多々ある。その結果”少し”そこには利益が出たりする、のだがそれはその後、面倒の起点には成っていく。
「そこにお金が発生した、私もそこからお金を取ろう」
その時、”そこ”には本来は利益性が無い、単に「王の権威の容認が少しあった」だけなのに、”それ”の限度を超えて、そこへお金が要求されてしまう事には成る。どうなるか?と言うと、そのアイディア?を出した女性は、責任を問われる様に、同意するあちこちに「お金の工面」をする感じになり…しかし、そうやって増えていく「無形の借金」は返済する目途が、「それは価値がある」を言い切れなくなり、次第に精神的に恐慌状態へ陥る。一億円とかの損失が出た!なんでだこれで良いって言ってたじゃないか?!そんな筈無いんだ!の無限ループに陥り、精神が最悪破綻していく。
のでは。
平成は、”そう言う利益性”を、良くも悪くも重視してしまった結果…結構な範囲に、「無形の借金」実際には国債として蓄積される”それ”の責任、という事かもしれないが、それが特に、50代位の女性らに載ってしまっていた、のかも。そこに本来は利益は無い、単に「王の権威」その容認が有っただけだ、なので。結局、最終的には「利益は発生してない」のだ、形式的には借金に近い。そう言う感じの中、同意する人々は総じて、何かの恐慌に陥っていた、のでは。
ともかくその時、彼女らは、お金を要求し得る”全て”へ金の工面に来る、事には成る。「なんでそんな売れそうもない物を創らなくちゃいけないの?」とか、そう言う形で出ている間はまだ良いが…特に引き出しやすいのは”親”ではあり、その時、親を呪う果てにか親が病に陥る、とかの諸問題が、実は発生する、のかも。
誰が悪い、とも言い難いが、事実で有れば言える事だ。
「王の権威」”そこ”を土台にしていない創作に、利益性は無い。
ストリードを使って下さい。
それを断言し得る時、関連する病は少しは、緩和するのだろうか?
断言できるか?は疑問だが。
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