「価値」は生成しないと増えない。
そして、人間は毎日、食事と言う形でさえ、「価値」それを”消費”して生きている。
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それを失うと、人は人間性さえも失うのだが。価値、「人々の同意」或いは好ましいの束、そう言うのに触れていないと人は、だんだんと心が荒んで、或いは痩せて、乱れていく。補給し続けないと、人は人で有る事を保てない。
人間にとって実際には娯楽、創作、「人々の同意が集う物」それは必須な産業だ。
もちろん?「人々の”良い”の同意さえ集まっていればいい」訳だから、それは自然の山々や木々、もしくは景観でも”同じ”である。旅行に行ったりして、普段とは異なるそう言うのを得るのは、心の安定に繋がる。観光は大事だ、自然界のそれは何処まで人々の思惑が集中しても、それはそれとして有る。
とは言え、自然界のそれは、自然界の摂理で成り立っているモノである事は間違いなく…人間性には微妙に異質で有るのもまた、実際には現実として有るのだろうか。観光その他では現代社会では、不足する感覚の方が強い、部分も有るとは思う。
そう言う不足を補わんとする時?現代のメディア、特に映像系、そこに需要は有る訳だがそれはそこで、重い問題はある。
自分の周囲100万人を救う為に必要な事は何か?と、
人類を衰退から救う為に必要な事は何か?には、
大きな隔たりが実は有る訳で。
通常、実際には前者の方がリアリティ、だ。単純な視線としても地球は丸く、周囲5km以上は地平線の向こうにあり見えないらしい。一人の把握で100万人を意識する事さえ困難は有り、結局そこまで大きな話を重くされたら、人はそれに反論する術を失う。そして結局、それは自身らを救う為に、自身らの正義を満たす為に、他者からの略奪、それを許容する様に成る。
”これ”を隣接する両者がやったらどうなるか?だ。
「戦争」は両者に重い価値の喪失を産み、取り返しのつかない過失を起こす、正義を目指して、それが逆効果に成る訳だが。
インターネットの登場により、これは理解が出来る様には成った。ケガの功名的な、構造の問題もある。人々の意識は一旦”一か所に集中する”のだ、その結果、そこには億単位の人々の意向、”それ”が集う環境、そう言うのが発生する。そこで見えているモノは、その100万人しか見てないモノとは、結構違う何かとして有って、しかし。
それはそれで問題は有るだろうか、”そこ”を管理している存在にとっても人間で有る限りは、100万人以上が知覚できないのは”一緒”だ。そこで結局は、自身にとって重要な100万人を護る為に何を?を選択する時、それは世界規模での強い独裁性を発露する、それでは実際に期待される価値、それは生成出来なくなる訳で。
「世界を護る」それは今、昔とは少し、異なる絵に成っていて、それにリアリティを感じない、”それ”は実際には重い。
ともかくそれでも「大衆は神である」時、そのインターネットに集うモノは、その思惑として最大級に大きい、そう言うのはある。”それ”が何を選択するか、ともかく今も、自分は否定されず?自身に必要な「価値」それを、生成し続ける事は出来ている。それを存在させ続ける「神様」の思惑とは?は、今も把握できていないが、否定する程の苦痛、そう言うのも実際にはまだ、無い。思惑の衝突は一緒だ、ただ、”それ”が戦争に発展していない事は、喜びではある。
帰結は何処か、今もまだ、霧の向こうだ。
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