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あげちうのブロマガ

神を教育する立場という混沌

改めて、「学歴」その比重の大きさ、と言うのをちょっと意識する現状ではある。

ただ、同じく物理?は、それに対しての応報を現すのかも、とも何となく思うが。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「迎えに来ましたよ?」的な、なんかそう言う話は時々。

 

静岡の勝川県知事が、差別的発言で辞職に追い込まれたのはタイムリーだった、かもしれない。施政者側の意識が”こう言う”感じ、だったというのは割と深刻さはある。言い方としては彼ら?は、学歴に関してか特権意識が有る訳だ。現場で汗水流して働く単純労働者とは愚者であり、それを統べる立場はそんな彼らを制御せねば成らない、そう言う責任ある立場だという自覚を持って…、途中で気づいただろうか。

本人的には正しい事を言っているつもりだったろう、というのがまあ、深刻さの一面ではある。

なんでこういう事態に?というと、良くも悪くも「天皇制」その存在故かも知れない。一応、天皇陛下とは、「国民の声を集約した存在」というのがシステム的な理解ではある。アメリカなどではその、ここでは「市場管理者」と呼ぶ存在は大統領として選任されるが、その際に面倒とか?大きすぎる変化とかが起こる為、日本の場合はそれを忌避して天皇家に歴任してもらう、事に成っていて…それで今も国は、2000年は続いている。

理解では、天皇家に産まれる男子は”それ”を納得した上でそこに居る、”筈”ではある。

ただまあ、そう言う意識が現場で持てるのか?というとちょっと、疑問だ。「大衆は神である」とすれば、天皇陛下とはその時、「神の(日本国民の)意向」その物を象徴する、筈ではあり。”それ”如何で国の状況は大きく変わる事には、成る。しかし。

逆に言えば、天皇陛下を”上手く”教育出来れば、日本を自身らの望む様にも出来る、訳だ。”神”に対して教育する、という事態が「それ以上の存在」その椅子を、その場の存在に与える事には成る訳で。

多分そこで皇帝に馬を鹿と教えた「馬鹿」が量産されてしまうという現実は、実は今、深刻に重いのかも。馬鹿は死ななきゃ治らない、の話の様に、その馬鹿は殺されてしまったのだろうが、馬鹿に成った理由それは、そのままあるいは残って居る?

単なる身の程知らずだ、というにはしかし、この時自身を何によって律するか?は不明瞭で、返答に窮する場合が多いのも現実ではある。つまり「神とは?」その返答を何処に持っているか?には成る訳だが、しかし。今もってなお神学者だろうと、その正体を明確化するのは難しいし、出来ていない、のでは有るまいか。”ここ”は勉強よりも「研究」そう言うのが重要である、しかし。それは重視されてこなかった、部分はある。

”ここ”はまあ、学歴に関してはあまり重視しない姿勢、だ。想定した「かむろぎ」と言う会社の入社資格は、かなり異質というか…最終学歴+実地能力で7段階評定?だ。有名大卒なら4,大卒なら3,高卒2,それ以下1,そしてパックマン2面をクリア出来れば3,1面クリアで2,一面突破も無理なら1、となる。定員に対してもちろん、数値の高い方から選択されていく、ので。それなりに学歴は重要ではある、がしかし、高卒でもパックマンの2面がクリア出来れば5、上に100人も詰めてないなら、まあ範囲内かも。

ちょっと脱線したが、でもこれは、自分の信仰や状況によるモノだ。これが「正しい」と言う判断は何処を基準にする?でも、その是非は変わってくる。ともかく”この”判断基準では、実地能力の高さと学歴はほぼ等価的な扱いではあり、上か下か?という話ではない、のだが。「権威」そう言うのはまあ、少し深刻な病理を蔓延らせている、そう言う事だろうか。

過去の薩摩藩の「攘夷」そして、旧日本軍の「天皇への扱い」ではある。天皇陛下さえ或いは「愚かな生徒」くらいにしか思ってない様な増長した”先生”意識は、果たして何によって止まるのか?正論とは果たして何処まで強制力を持つのか。そもそも、「正論」とは何を基準として正論に成り得るか。

システムその物に、結構深刻なバグがある。気もする。

ここも最終的には、神様、「国民判断」に委ねる事には成る訳だが。

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