議題は深刻さを増しているかもしれない、文部科学省を「教育」するのはどこなのか?だ。
天皇陛下も含めて、日本を「教育」する所が”馬鹿”になった時、何がそれを補正するのか。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
王を騙す、という話は昔からあるネタなのだが…
HPの方に、RPGツクール作品新作「あまい話の結末」掲載中、ではある。が、その前にクラウドスペースその物が、第三者から見えない?という事態に陥っていて…見れる人は限られる、だろうか。内容的にも簡易版、本来なら日記1ページを得る為に1ステージの何かの面倒を超えねば、的な話を想定していたが、状況の問題から非常に簡単な絵にしてしまった、まあ何となく嫌な予感みたいなのはあった、というのはある。
現状、”この”事態を造る原因として有りそうなのが文部科学省、ではある。世間への「教育」を担当する部門だ。”ここ”が「教育上好ましくない」としたモノは社会的に否定できる、という考えてみると深刻な「権力」を有する省庁ではある訳だが…良くも悪くも”ここ”もまた、そんな「教育上好ましくない」それに成っている、可能性はまあ、大なり。
とは言え、パーソナルなクラウドスペースさえブロックする、というのは国民の権利の侵害ではあるまいか?ではある。”反応”形而上での、それも微妙だ、「勝つか負けか」を話題にするがこれは、「犯罪か否か?」であって、そして多分に権力による犯罪、でしかない。何か大きな感覚の歪み、それが”こういう部分”に発生している…が。とは言え、その辺を視ていくと、結局そこには疑問の混沌がある。
先生が馬鹿に成ってる時、誰がそれを補正するのか、何が正すのか?
不意に、そこには「何も居ない」と言う、奇妙な、というか恐ろしいというか、そんな事態。
今のところ、ネット環境ならカウンタ数値はともかく(実際はそこが問題だけども・・・)、掲載の権利その物が大きく侵害された、という事態は無いのだがしかし、クラウド環境に関してはどうもその限りじゃない。とは言えここに至る顛末も微妙だ。まず、ゲームアツマール、というニコニコ動画に存在したゲーム投稿サイトが消えた。その後、自分はふりーむ!等のそう言う場所に掲載を願うが断られた。その後、フリーのアップローダーに掲載、しようとしたら”その”アップローダーごと消える、という事態。更に今回のパーソナルクラウドスペースの不信?ではある。”この”件に関してはちょっと、深刻な否定が追いかけてくるのだった。
一応、「BANしたら、した方が負けなんです」とは言うが、現実は果たして、ではある。
果たしてこの辺、例えば天皇陛下が「好ましくない」と意識すれば、状況は改善するのか?ではある。馬鹿の逸話にしろ、流石に馬を鹿と言われれば、皇帝だって直ぐに気づくだろう、結果で「馬鹿は死ななきゃ治らない」の逸話に成る、訳だが。今の状況に置いても「馬鹿」が発生しやすい環境が残って居る、それは間違いない事態ではある訳で。
「大衆は神である」の、理解で言えば世間に訴えれば、というのはある筈なのだ、が。その結果としての現状、というのは果たして、それは相変わらず不透明な何か、だったりは、する。作家は自力で!掲載を勝ち取る、様な事は出来ない、訳だ。ルールに反していないにしろ、或いは文部科学省がダメを出せば、それはそこで道が断たれて?しまう。
今の文部科学省は、果たして何を神としてそれはそこに有るのか?
”それ”に教育される結果の世相だとして、それに応報は発生しないのか?そこには深刻な疑問。
「教育上好ましくない」とされればカウンタ制御も手段に成ってしまう、その是非だ。「あんたら、何様のつもりだ?」それは、彼らに何か抵抗はあるのだろうか。ここでの視点で「発狂している」と言う表現こそが、彼らのアイデンティティかもしれない、という事態の先に、勝川知事の問題がある、訳だけど。
”誰が”問題にするのか?ではある。
その”誰か”が問題にしなければ、問題に成らない、”そこ”を教育する、という歪みも不意にある。
神を失った世界で、勝者は何か。