不意に?常にか、解ってはいる、「誰が悪い」それは不毛さがある。
しかし、人間である限りはか、保身はまあ、最優先には成ってしまう訳で。
もちろん、それは誰かの人為的な行為、ではある。「カウンタ制御」それは、今はあらゆるものを腐らせている、としても、それを今も排除する事が出来ない。状況が変化しつつはある、先日の「仮面ライダーの基点」そういうのが移動しつつある、今までの経緯の問題で、それまでは責任を問われ失脚、「監督の監督」創作領域の、何だか中央統制者?それが変わった・・・雰囲気の先で、しかし明確に解る部分もある。
仮面ライダー、”それ”は、独裁者だ。
その主観で「駄目だ」とされた物は、怪人として、その領域から切り捨てられる。
ちょっと「仮面ライダーBLACK」昭和最後の仮面ライダー、”それ”の漫画版、そのリテイク?みたいなネタを考えた、経緯の話か。ちょうど、感覚は似ている。「世界から戦争をなくさん」とする研究の果てに、仮面ライダーBLACKは誕生するが、或いは当初の想定とは異なり「支配する者」と「抗う者」、”二つ”が生まれてしまう。支配する者は「ゴルゴム」を率いてまず、仮面ライダーBLACKの抹殺を画策する。その対立の激化はやがて、人類の滅亡さえ可能な程の衝突となり、結果。支配する者は抗う者に敗れはする、が。その道の先は、結局は自身が支配する者となり、そしてどこかに”抗う者”が産まれる、そういうカルマのような様でしか無かった。漫画版では、主人公は自身を見失い、発狂?して終わる。
リテイク、という訳ではないが、「ダークネス・サン」としては、ちょっと「未来に飛ばされた」所から夢オチにしてみた、訳だが。主人公は最後に選択を問われる、そして、彼は仮面ライダーである事を捨てて、この話は終わった、という事に。この感覚は、仮面ライダーを創案する時に常にある問題?でもある、「仮面ライダーを考えた・・・で、敵は?」逆に言えば、「仮面ライダーを創案しなければ、人類の脅威も産まれない」のだ。現実もそういう面がある、強力な支配は結局、強力で理不尽でさえある「反発」を産み、それは対立の末に共に、共にか滅んでいく。その時、元凶それは、何か?
矛盾のような話、だ。それでも、「次の仮面ライダーは?」主観的にはこれだけ?が連発されていても、それは何故か、「求められる何か」だったりする、訳で。
自分の感覚としては「大賀さんの決定に逆らわない」事で、その「仮面ライダーを辞める」それは居なくなる、という絵として考えては居た、今までも、”それ”で大方の「問題」は打開されてきた、とは思っているが。しかし「アルカディア」が、「大賀さん」を背に自動化した、のとは対照的に。仮面ライダーは単に、「監督の監督」その任命権でしかない、そんな感じ。ある種自動化した、と言えばそう、”それ”が指名する存在が、その「創作領域の最終的な統括者」それになる、訳だ。
思想的にか、期待されるのは、”それ”が排除するのは、「大賀さんの決定に従わない者」だ。
ただ人の視点では、”それ”は結局は邪悪なゴルゴムを統率する黒い仮面ライダー、でしかないのかも。
思索の中である、その強力な権限は、どうもイビルヘッド、それを呼んでいる、気もする。
”それ”はもちろん、倒されてしかるべき邪悪、そう設定した物だ、が。最終的にそこにある物が「切り捨てていい人々」か?それは、今も判断し難い、小さな世界ならともかく、結局はモンスターハンターのモンスター、”それ”になる、訳で。かつて自分がその場にいた記憶さえある中、少し、不安というか、懸念は重い。
「大賀さんの決定です」
結局、それに依存する時、魔王、それはそこにいる、そういう事だろうか?