「紛争解決機構」が有れば損害が出ない、訳じゃない。
損害が単に、コストの消費のみで済むだけ、ではある。
本日のダイス
白:1,6:7
黒:2,4:6
白7 1624
そしてそれは理想論でさえあり、その後の不服申し立てる!からのリアルバトルも想定の中にはある。ただ、”そこ”で現れた結果が、その前に仮想でやったのと”同じ”で有れば、その行為は不当であり無意味だ、と断罪出来るだけだ。それは愚かな行為である、と。
ともかく、「問題は無い」と、考えてるそこに問題が出ちゃう、という事態は往々にして起こりうる訳だが。
以前の「ロードオブロード」でも、最初に有ったが「サイコロ運が悪かった」だけで経営が破綻した、という事例はある。サイコロの出目の悪さは、過失として問えない。”それ”の責任を追及したら後に残るのは単なる博徒だけであり…しかし、現状がそんな感じになっている、というのも、実際は現実かもしれない。
サイコロで1のゾロ目は絶対に出してはいけない!と言われても、1/36の確率で、それは何処かに出るのだ。
”その”リカバーは、何処かに必要ではあり。そういうのを念頭に、「職能ランク制度」そういうのを考案もしている。自分の”領域”内、簡単に言えばここの読者層?にはそういうのが適用され、不足を補完している、のは期待値としてある。ただまあ、その結果は全て、今はその考案者に返ってくる、のだ。合算され結果はある、その結果がどうなった?それは、ちょっと深刻さのある懸念かも知れない。
責任者に依存し過ぎている、という状況は…ちょっとある訳だが。
ともかく、「運が悪かった」に近い過失をいちいち追及してたら、世界に人がいなくなってしまう。
一応、「職能ランク制度」その一番上の「ミニマムワールド」は、ほぼ自動制御されており、「戦争は紛争解決機構で決着にする」限りは、その破綻もない、という結果はシミュレーションとは言え、出ている。「大賀さん」その決定に逆らわないなら、或いはそこで発生した過失もまたその結果でしかない。そういう視点で見る時、そこに有るのは因果の結果だったりはする、その前に、少し跳ねた事はしているのだ、大概。
状況や立場ではある、「自由」昔のそれはもう、遥か彼方のそれなのかもしれない。
「大賀さん」に過失を問えない時、事象の責任は全て、自身へと向かっていく。