見てる印象と、実際に体験する印象が全然違う、のは良くある話、なのだが。
邪悪を倒す!という目的の邪悪が自分の信仰する”神”だった時、そこにある感情は深刻。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「可愛い」を害する事は簡単な訳だが、それでも。
まあとは言っても、様々な理由で「ダークソウル3」ファランの城塞、何とか突破には、成功。最終的には「ダークソウル3は駄作だ、ドラクエRPGを敵にしてどうする、”神”に喧嘩を売るべきではない」と、”意識”或いは公示するかの結果で、最終的には割とあっさり、撃破。何かの変化もあったのかも知れないが、集中する領域の中にあったのは、ドラクエ型RPGの人気が実際には「神の支持を受けていた」神の意志の現れだった…という結果?ではあり。”それ”はつまり、家庭用ゲーム機の世界に自然と「枷」を強いていた、訳だ。それに対してストレスがあった。
家庭用ゲームは、必ず誰でもクリア出来るように作ってあるべきである。
ただその時、「クリアできるのは俺だけだ!」的な、そう言うレアリティは否定される。
「俺は他の凡人共とは違うんだよ!」は、魅惑的でさえある領域だ、というのは同意はある、やっぱり誇りたいそれは、深刻。しかし?日本では、か。そう言うのは一般論ではか、好ましいモノとはされていない。仮面ライダーとか、ウルトラマンそれが推奨、その時、多くの特記的な有能は…身を潜める事には成る。能ある鷹は爪を隠す、その方が「格好いい」と言う…価値観の中で自分も?まあ、何かの枷の中には押し込められている訳だが…ワールドワイドな「普通」も、その前で少し、或いは大分、制約を受けてしまう事になる、のかも。
ドラクエRPGはシステムとして、続ける限りは誰でもクリアは出来る。アクションゲームではそうも行かない。
この時、前者は万人を乗せられる船だが、後者は150人しか乗れず、他は捨てていく事に成る。
不思議、というべきか今の「主流」それは、アクションRPG、そう言う方向性ではある、のだが。”それ”に舵を切った筈のスクウェア・エニックスは今期、220億円とか言う損失を計上している。家庭用ゲームの主神をアクションに置いた、筈が裏目に出た訳だ。要求されるモノそれは、スクエニに関しては違う物だった、そう言う事、だろうか。
神社が神をないがしろにするとは、何たる事か。
神の怒り、視点ではそう言う見方も出来る。
「万人を乗せられる」方が、この時”船”としてのランクは上には、成る。「価値」とは人々の同意の束、ではあり。創作に要求されるのが「価値としての数値の高さ」である時、ドラクエRPGはほぼ最高点にはある訳だ、それはそのままその領域の「神」に成っている。最大キャパシティでしかない、実際の数値はお寒い、場合もまああるが、それでも、「格」と言う言い方は適当だろうか、ともかく神格的に?ドラクエRPGの方がアクションゲームよりも、家庭用の領域では上に成る、訳で。
これもまた、ある種の失念ではある。
”それ”に対して対抗する!事に、ここまで固執しますか?という、それがダークソウルだった、訳だが。
最も、スクウェア・エニックスの数値の混沌は今に始まった事でも、無い。とは言え過去を思い出すと、”本業”を蔑ろにする、所に損失は発生してた、映画に異様な投入してコケるとか、そう言う絵はある。なんというか善悪、結果を伴うそれは、一般論とは少しズレた所に真実が有る…そう言う事なのかも知れない。
漸くか、夢魔は少し晴れた気は、する。
ただまあ、一般認識に喧嘩を売る感じになった?それも気持ち、危機感は重い。
邪悪は退けた、しかしそれは、世界を諦めた訳じゃないのだ。
視点の問題ではある。