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あげちうのブロマガ

眼前の脅威はかつて勇者だった何か

ドラクエ型RPGに憤り?をぶつけても、”それ”を認めたのは「大衆」であって。

「アクションゲームでは苦手な人はどうしても出る」その現実は覆らない。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「普通」と言う絵の向こうには、数多の混沌は広がっている

 

意識としては、ドラクエ型RPGが上位なら、その上位の意向、それに合致する様な物を作った方が評価される、筈ではある、のだが。アクションゲームなら「万人が続ければクリア出来る」仕様それが要求にはなる、しかし。もちろんそれだけだと不満は出る、その先に有るのは物語?ともかく「意味」みたいな物で、それはそれで設定しておく必要はある、今はもう応答の面白さ、瞬発的な快楽そう言うのは氾濫し過ぎてる、というのは有って…むしろその奥にこそ要求はある、という気は、する。

「なんなら技術者から演出家まではAIで構わない」とか言われそうな現状だったりする訳で。そのくらいに、この領域でさえ技術そう言うのは、画一化しつつある、訳だが。

感慨深いというかなんというか。その状態を上位が求める訳じゃない事だ。上位は上位で、それら画一化しつつある技術者らにどうやって仕事を?という意識はある、が。それはそれで「現実」を前にして、全体を護る選択をしてしまう…そう言うのは、ある。

一応解っている事は、現場に出来ない事は、上位でも出来ない、そう言う絵かもしれない。

民主主義である限り、多数決それは無視できない。しかしもちろん、その領域の多数が、世間での少数というそれは良くある話、ではある。真なる多数決を求めるなら、「自由意思の侵害が無い」前提での「名無し投票」が「不正なく」行われなければ成らない、がそれが、まあ結論では不可能と言う程度には難しい。上の方での「ちょっとやってみる」が、しかし実際には多額のコストと現場の労苦を要求し、更にその結果は自身の進退にも影響、というそれをすぐに選択は出来ないその時。「今まで通り」それは深刻な壁には成る訳で。それは利益が出ないと解っているのだ、それでも時に、それ以外を選択できないそれが、民主主義かもしれず。

どこまで進むとこの事態は「変えよう」に成るのか、それは今もって不透明だ。少なからず高度な処理を行っているゲームが、目指す?プレイヤーにやらせているのが「現実への否定」RPGがアクションより”人気”だその認識をぶち壊す的な?そこに冷静さを持てないというか…そこは酷く、出来上がってる物の大きさというか労苦を考えると、なんか深刻さには成る。中国でもある話、独裁政権は多く、敵を自分以外に見つけて憤りを反らす、”それ”が横行してしまう現状は、果たして民主主義か?そう言うのは深刻に重い。

「ドラクエ型RPGの方が万人向けだ」アクションではプレイヤーに切り捨てが出るが前者は出ない。

その「誰も切り捨てない」環境でしかし、”打開”を求められるのがRPG、そうだと言えば、そう。

それが如何に難しいか?という、問題はそこに有るが、それが理解されにくい、という現状も深刻だろうか。

結論ではバカバカしい絵だが、それだけに「それが現実です」それは、深刻な奈落にこそ、先が。

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