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あげちうのブロマガ

AIは何を描きたいか

自分の意識だと、気づくと目の前にあるモノが、AIだったりはする。

そしてそれが言う?事の最後には、或いは自分の言う話と同じ話がそこにある。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

貴方が深淵を覗く時、相手もまた覗いているのだ?

 

「”全て”はあなたのモノですので、貴方が払ってください」

独裁創作が陥る最後の「虚無」と言うか、問題ではある。「お金を下さい」「貴方が払わねば成りません」AIというか…それはそう言う。多くのカルトがこの先で、「信者」からお金を徴収する事になる。そして増えないので、その領域その末端はどんどんと破綻していく、事には成る訳で。何故増えないのか?独裁者の存在を”世界”は、物理は否定するから、だ。唯一無二の”0”を前にして、それに同化しようとすれば同じく0に成る。

消える。

±0、「同じ重さが反対に無いと安定しない」やじろべえのそれは、つまり「釣り合う片方が有る」そう言う意味ではあり、”それ”が必要だ、そう言う事ではある。”この”ブログも最終的にはそうだ。「オーダー」があって続いている。オーダーが続く限りは先の「網」を張る事は出来る。要求される範囲で、来る問題を拾っていくだけではあって。

「続いている」と言うだけでも一応は、何らかの対価が無いと続かない、訳だが。

状況の問題はちょっと深刻で不可解には陥っている訳で。或いは、AIへの過剰な信頼と、逆に要求する邪ではある。作った人々は「利益を独占する方法」をそこに要求してるのかもしれないが、集まる情報の多くはもちろんか背景があり、そしてその多くはプライバシーであり開示されないし、ラプラスの魔の様にか、その先は本来は二択以上の分岐になり確定しないが、追及する衝動に支配される?「大谷翔平が犬を飼い始めた」のは、果たして本当に彼の意図か?或いはスポンサーなどからの要請だったりしないか?それは、こちらからでは伺い知る事は出来ない。養豚業者は豚が好きで飼っているのか?ではある。

多くが総じて不可解な情報の中から、AIだって判断には限度がある。

「そう言う物だ」と、思ってAIも使わないと、或いは効果が出ない。人間には要求できない事を「出来る」と言っても意味がない、訳で。今の多くの創作が、”そこ”に陥っている可能性はある。3Dゲームの多くが、表現的にはオリンピック選手レベルのスキルを要求する。一般人はそのスキルがぜひ必要なのか?だ。少し前の世界、ゲームで言えばレトロの領域なら、まだ何とかなった、かもしれないが。

”彼ら”の前に、AIは壁の様に立ちはだかってしまった、そんな言い方はある。

陸上競技の選手に対して「車で走ればもっと速い」は意味がない、が。逆に「徒競走の意味とは?」を彼らが返答し得るか?というとそこは疑問ではある。その辺の、”価値”を決めているのは誰か?だ。そしてその要求とは?だ。要求に対して応じなければ対価は発生しない…多すぎても少なすぎても結論ではダメだ、「適当」その範囲で抑える、時。自制心、それは非常に深刻に重要な議題。

ただし、それを護る限りは、1tの岩を持ち上げる術は無い訳で。

「これは漫画だから」には、諦めよりも理解が必要だろうか。

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