”それ”は紛争解決機構、その最大の問題点?ではある。
「正義は勝つ」か?だ。それが絶対と言えるなら良いが、漫画の中はしかし、悪夢で満ちている。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力
「路銀無くなっちゃったんだ、泊めてくれない?」結構ある話、なのかなぁ
理解は、一応の正論で出来ては居る。
議論が紛糾し、戦争だ!と成ったら。すぐに「その領域」を、そのままコピー、別の”領域”を形成、そこは現実とほぼ同じ環境、戦争は”そこ”で行う。それで決着がついたらその記録だけを残し「戦争はまだ始まっていない」現実に戻る。発生した”戦争”はほぼ現実と等しいが仮想である。仮想現実で決着になったその結果に双方が従う事で、実際の物理的衝突、それは回避し得る。
この時?結果に不服として実際の物理的衝突を敗北側が選択したら、それは悪として断罪されてもやむを得ない。
理屈?理解その上では、この時、実際の物理的戦争は発生しない、という事には成る。
「正義」単純につまり「正しい」と言う事ではある。”それ”が常に勝つのなら?”この”理解も正義の筈ではある。戦争の無い世界を創る、それは悲願だ、その時。今、選択し得る最良、それであるはず、だが。
「つまり、戦争に勝てれば、他人の恋人を奪ったりしても良いわけ?」
”この”概念の始まりが「プラモ狂四郎」だから…だろうか。実はこの作品の中にも、”それ”に類するエピソードはある。漫画としては一旦は敗け、ヒロインは敵の手に落ちる(もちろん戦場での一時的な、だが)。その後、何とか敵には勝つのだ、が。もし”それ”で決着に成って居たら?だ。歴史上の逸話でも、幾つか”そう言う話”はある現実ではある。
この話を、「紛争解決機構」”そこ”に持ち込むのはナンセンスだ、とは思う。紛争解決機構だ、”それ”は個人の問題ではない。例えば番組枠での放送権を賭けての戦い、そう言う。大企業の社長かが、街の喫茶店で働く人妻に惚れて、みたいな話に”これ”は登場するのか?ではある。ただ概念上?戦争を吹っ掛けられた方は、拒絶する権利が無い、というのもまあ、システム的な現実ではあるのだった。
なので、か通常は。国家の法を護る番人としての戦力、”それ”が有る筈、ではある。上記の社長はまず国家的法律、”それ”を護る番人らと戦う?事には成る訳で(まあそもそも、通常は基本的人権の侵害ではあるので警察案件なのかもだけど)。そう言う視点では「勝てない」それはまず間違いなく、そして。そもそも”そんな話”を自ら公示して社長というポジションを維持できるか?ではある。この社長が勝つ可能性は0だろう、”普通”は。
ただまあ、例外的事例と言うのは常に存在はする。DVに苦しむ女性を救出する、それは正義ではないのか?は、まあ多少か深刻な話。
いや、そこまで考えなくていいのでは。
しかし?今までの経緯でも要するに、「否定者」のツッコミ先は”そう言う部分”ではある、王が幾ら安定した治世を行っていようと、「特権がある」と言うそれは、何処までも否定されるネタに成るのが歴史上の必然ではある訳で。
今、”その”椅子に、機械を置こうとしている、のだ。実際にはアメリカの二大政党制に近い帰結ではあるが。対立する二派の仲裁を行う機械、それが紛争解決機構ではあり、場合によってはそれが「ガンプラバトル」には成る、訳だが。
今のところ、懸念されるこの問題は「国の治安と人権意識」その問題ではある、紛争解決機構が介入するような話では、まあ無い。更に、他人の国に対して干渉する、のは非道な行為というのが一応の「良識」ではある、他国の人権意識が低かろうと、過剰な要求かは内政干渉だ。とは言え、ともかく深刻なのは、「負けたら取り下げた上で賠償さえ支払わねば成らない」事だ。負けた側にとっては如何なる場合も、その戦闘結果は理不尽でしかない。更に”それ”が、しかも代理人を介しての、小さな部屋の中で一時間も費やさないボードゲーム?で決着に成った?それもまた、深刻な感情論の問題ではある。その時、反発するそれは重箱の隅を突きまくって結果に不服を表明する、しかし。
その先に有るのが、「現実の戦争」に成る訳だが。
正しい、という観点では、問うべきは紛争解決機構”その”構築度ではあり、しかし。今のところは、何とかハマスとイスラエルの戦いは一時休戦には持ち込まれた。ウクライナも旗色は悪い、現状の紛争解決機構その再現度はほぼ問題ない、そう言って良い気は、する。敗北を認めない方が悪だ、それは戦火をやたら拡大し、人命を、財産を損ない続ける行為でしかない、が。
そこに育った悪夢は、果たして誰の責任なのか。