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あげちうのブロマガ

それでもその人はそこで暮らしてる

「このハンドルを廻せばお金が出ます」相応重いです、でもしょうがない。

それを壊せば中に大金が?という衝動はでも、イソップの時代からの定番だろうか。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

おじさんも美少女になる時代、というイミフ

 

基本的に売れる創作、というのはその辺の売れる饅頭みたいなもので、基本的には何の影響力もないし?配布が終われば話題にも成らなくなる…それが普通ではある、そしてそれでいい。創作は常時減っていく価値を補う為にあるモノで、それは食事と深い繋がりがある。”食べて減った分を補えれば”それでいい、その時、そこに思想それは要らない。ただ?その時”それ”を補う為に必要な「理解」は、かなり一般とは懸け離れてる場合が多い、肥料の作り方さえ”普通”は知らない。化学肥料が主体になった今、求められているのはその辺への理解かもしれず、技術者は常々、世相の?に対応していく必要はあるが、それは単に「補う為」だけだ。

人を扇動しコントロールしようとする、それは不要である。

個人的には、今の理解は「作家がそれ以上を考える必要は無い」”それ”がやりたければ政治家にでも転身しますか?ではあり。ただその結果、結論で言えば山奥で皿を焼いてる人、みたいな感じではある。何の為に?と言えば、世間に必要な物を供給する為、だ、思索はその為にこそある。求めているのは世を変革する英雄である!という、それはそれである話だし、確かにそこに需要が有ったりする?が。その創作が売れるか?というと売れない、独裁性はまずストレスで有り火種である。一つの主張は隣への否定であり、そこから反政府、反体制は始まる。基本的な事象としてそうなる可能性は”その前に”否定される、「独裁創作は売れない」それはその辺からも真実ではあり。

ともかく創作が売れないと、創作者は暮らす事が出来ない。

まず自分を維持できない奴に、世間を変えたりするような話、それは有りえるか?ではある。

”どんな形でも”創作者は、創作を「売って」生活せねば成らない。売れる創作、それが作れない奴は、世間に何か申し上げる、その資格さえない訳だが。

まず売れないと、世間は話を聞く事もない。

「どうやって?」最終的に、問題はそれでしかない。そしてそこにあるのが「働け」それだけ、という結論もある。需要を探し、それに対して供給し得る所に利益はある。定番はある程度の範囲を完全と言える状態まで網羅する事、ではある。網の様にか、「需要」がそこに引っかかるとそれへ応答し得る、それでそこに利益は、或いは”その権利は”発生する。絵で言えば絵柄は「その範囲」を示しはする。そこに要求される全てへ応じられる時、確実性、それもそこに発生する訳だが。

もちろん漁師のそれの様に、決まった魚が入る訳ではない、時にはイレギュラーもあるかもしれない。売れたよ良かった、で、狙った魚が無い事は本来は、問題ではない。知識や経験はある程度を絞れるかもしれないが、釣りでも、外道や坊主はざらではあるか。

「そんなもんだ」それが諦めや不足じゃない、という納得までは、相応の道ではある。

今、”そこ”にあるモノで何とかするしかない。それが出来て、その先に道はある、そう言う物だろうか。

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