あげちうのブロマガ

玉座に座る趣味の人の言葉

自分の「主観」だけで喋ってていいのか?は、不意には思う。

今の「そういう場所」とは、果たしてそういう場所か、或いは。

ともかく把握、「大賀さん」の存在が、事実上か「誰も逆らわない方が良い」そこに現れた結果は物理だ、という”感じ”になった結果、同時に、実際には「統一教会」が保持?していた「アルカディア」その意向、というのが”自立”するようになり。結果で「監督の資格」を機械的に問う様になって、そして、大分の「変化」が起きる。資格なし、とされた人々は次々か退任か降格か、に追い込まれていく中で、状況として「仮面ライダー」にもその変化が起こる、或いは?”それ”は創価学会が保持…していた、という感じだったのか、それもまた自動化の中で変化し、”任命”がずれて、それは「ここ」に来てる。

報道関係で「邪悪だ」叩いていい存在!を、決めている主観、その土台が「仮面ライダー」であり…”それ”が創る玉座に座る者、の仕事、ではある。それは結論で、社会全体の「主観」それを司る、そこに居る人の主観は「客観」と、ほぼ同化しているのだ。

 

・・・という時、”それ”はずいぶんと、今の「普通」流行っている、に対して、懐疑的ではある。変化が起こる前と今と、かなり、ほぼ180度変わってしまった?かもしれない、そう思うと、そこに戸惑うそれは、スキルの問題か或いは、そこに疑問が少し。前任者が要求してた事を今のそれは要求しないのだ、むしろ否定する時、それは自己責任とも言い難い失敗として、そこに?

ともかく「アートスケール」それが、その今座った存在の「主観」ではある、のだが。

ほぼ遊んだことのない「スプラトゥーン」に対して、「これを戦争ってあなた」な、苦笑とも否定とも言いがたい微妙な表情で買わない、「面白くない」という、それは正しいのか或いは。

割と暴君ではある。

「魔界村」も、少し遊んで難しくて、「これは当時のアルカディアを売らんかなという意向に従わされる現場の悲痛だ」これは立場として肯定できない、とか言って、止めちゃうのだ。説明は出来る、当時のアルカディアを売ろうとしたら、もっとハードへの理解と打開策を供給する必要があったが、上は”それ”をしてない。ただ「お前ら技術者だろう何とかしろ」その横暴を押し付けた結果、無理だっただけだ。「魔界村」はそんな「出来た筈だ」を「凄い難しいけど出来る」と言ってしまう内容であり、それは上の横暴、それをただ肯定するだけに成ってしまう、それは良くない。

「どこにそんな事が描いてあるんだ?」

なんとなく、である。その「仮面ライダー」の玉座に座った存在の、その主観的判断に過ぎず、意識が現場の為であっても、現場にしろ解らない。

自分も今まで、何処か何か判断に対して「上の存在」を意識してた、という経緯はある。今は、”それ”を失った、訳だ。それは「大賀さん」それにより自動的に選定された、そこに誰かの主観は存在しない。「民意」それとして、仮面ライダーは今、”ここ”の主観を足場にしている、その時。

「この邪悪な敵は、創価学会の比喩ですね」

それがそう思ったら、それはそうなのだ。

確かに「誰も反論できないならそれが真実」という、そういう感覚の帰結かもしれない。

 

台風14号は何かの脅威として、今、日本を横断中ではある。

何故?

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