デザインに、あの「BMW-i8」味がある、というその、是非ではある。
意図的な絵としても、やっぱりある、コンセプトの是非と言うか。
新しい「つかさ式初音ミク」が発表されていて。
何処からどう見ても初音ミクでしかないんだけど「なんか違う」と言う、そこに、是非の集中する感覚はあって。
やっぱり、イメージはある。
このモデルは、並べるとやっぱり、目立つ。
もともと「初音ミク」それは、”欠損を感じるデザイン”ではあって。自分の把握では、このデザインは「テレビに出たい人々」それを象徴していた、訳だが。それだけに、理由その他、どうも良いイメージが無い。「何の為に?」対してお金に成る訳でもないし、プライバシーを晒す様な行為だし、面倒も背負うのに、何故?「目立ちたいから」ちょっとそれは、承認し難い、という。
その先に、イメージでの「対魔忍ユキカゼ」その様があったりする、訳で。
高級車の「BMW-i8」は、主観的に言っても最初から「同じで有りつつ、ちょっと違う」それは、コンセプトとして有って。今も、それは主観的な理解だ、そしてこの車は、残念ながらか、現在では生産中止、ではある。そのままSF映画に出てても何ら違和感ない”それ”が、普通に公道を走ってると言う、そのイメージには妙にワクテカしたモノだが…当時にしろ、ちょっと世間は微妙に受け付けなかった?可能性は少し、ある。
”そう言う感じ”は、少し変化しつつある、とは思いたい。
今、”これ”を否定したら、世界は維持出来なくさえなりつつある、訳で。
「良いデザイン」と言う、それへの、要求と言うか、その問題ではあり。
結局、「何を見ているか?」そのデザインが描こうとしてるモノは何か?に、こういうのは強い影響は受ける、訳で。個人的に理解する「初音ミクに求める物」欠損は何処か?を埋める先に、この「つかさ式初音ミク」はある、とは思う訳だが。
同人と言う環境へ。
「世界を理想的な状態に維持し安定した運営をする為に」
お金に拘らずやってるので、だからお金下さい。
という、”そう言う感じ”を規定化する、その是非は、果たして通る物か。
色々あって良い訳だが。
ただ結局、「世界を護る為に」創ってない創作に、この感覚は否定感を向ける、訳だ。”それ”を同人らしくない、それじゃ自由が無い、仕切るなって言う…その感覚はもちろん、ある。
しかし結局、昭和から続く「アニメ」そう言う環境は、お金の問題じゃ無く続ける人々、それによって維持されてきた、のだ。いわゆる「同人」とは、”それ”を支援する人々、それの活躍する場、ではあった訳で。
もちろんか、決して無法者らの楽園では、無い。
そして、”それ”を志向するからこそ評価され維持され続けてきた、とも言える。
「ちょっと我慢出来ませんか」
それは、果たして。