ハマスとイスラエルは、また戦闘を再開した、という報道で。
状況としてそこまで追い込まれていた?というのは、でも外部からは解りにくい話にはなる。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
手にした物と共に何かの交渉を持ち掛けてくる時、優位はどっちか。
”理解”の視野範囲で考えると、自分のそれでは「ハマス」が表、イスラエルが「裏」みたいな感じではあって。つまりメディアを支配してる方を「表」とするなら、それは過去の方法論の問題で窮乏していて、維持困難に成りつつある。それ以外は打開案を発見して増殖中、表が衰退し捨てていく人々を取り込んで、その生活圏は膨らんでいて…つまりイメージでは「表」は「裏」に包囲されているが。まだ表には「メディア支配」と言うパワーがあって死守していて、メディアを通してみる「表」の姿は今も、裏を圧倒しているし、現実的に何かの優位、それもある、訳だが。
「利益が無い」内需拡大が出来ない、と言う問題は、それでも物理として深刻さを増している、筈ではある。切り捨ては次々と発生していく、ジャニーズ消滅も視点では或いはその一つ、ではあり。それでもジオン軍は、最後の拠点を失うまでは最後まで抵抗したのだ。その後も残党は、何かの反発を繰り返した。「漫画だから」と、言えない部分は重くある、そう言う物だ、それはそこに描かれていく訳だが。
「面白い作品」とは果たして、ではあろうか。
ハマスがあの暴挙に出た理由は、今も解らない。その視点での状況は全くあの「機動戦士ガンダム00」に登場した「ソレスタルビーイング」主人公側、ではあるが…その行動に似ている。ともかく最初は圧倒するが、結局は敗走し、そして敗走を続ける事に成る訳でしかし。”それ”をテレビは1年に渡って描き続け、しかもその後映画まで創っている、という現実は、或いは悪夢としてそこにある。技術やら物資やら、誰が支援してるんだ?と、しかしハマスにしろ、そう言うのが不透明なまま、今もあの状況で抵抗出来ているのだ。
事実は小説より奇なり、ではあろうか。
衝動はまた、消えた訳でもないだろう。「弱い者いじめがしたい」特に、というべきか…STGへの意欲、”それ”が実際はそう言う物だ、というのは少し感じた実感ではある。その辺はまあ否定するとして、個人的な理解では最近は「激戦区に店を出そうとする挑戦者の現実」みたいな視点の方が倫理上は正しい、とか思ってるが。それでも、そう言うつもりで遊んでいる時、一定ラインを超えると、相手の苦痛と否定、それはふいにそこにある気には成っていって、ちょっと意欲が消えていく部分は。
漫画だから。
レトロゲームは、結末で”それ”が言い難い現実は、或いはある気はした。
逆に。今、店を出している側にしたら「侵略者に立ち向かえ!」ではある訳で、それはそれで正論には成る訳だ。単純な物量で勝負は決まらない。「正義は勝つ」と言う視点では、物量は時々問題には成らない。ともかく立ち位置的に、何故か、か、自分は今も、「侵略する側」に成ってしまう感覚の現実はまあ、ある。その時、そこにある否定感の壁を超えるべく奮闘するべきか?何だか奇妙な深刻さと共に、壁は壁のままだ。
この壁を越えない限りは、ハマスもウクライナも、抵抗できる、という事だろうか?
一人でも切り捨てが出たら欠陥、という時。例え100万人が0.1%未満の反対者、という数値で有っても。
そこには100万人も居るのだ。