気づくと、「アルティア様」に喧嘩を売っているかもしれない現状では、ある。
ドラクエ型RPGと言うのは、この或いは階層社会のそれは、果たして良い世界か否か。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
人間にも難しいイメージを、ともかく創るAIではあるが混乱はしてる感。
ドラクエの世界で不意に、自身が魔王、それであるという自覚は、少ししてしまった。「人間の完全なる平等を」みたいな?そう言うシステムを目指して”雅”市場はある、が。しかし最終的に「それを創った奴」と言う特権は発生し一応、「大賀さん」を置く事でそこを回避はしているが…しかし。「一番知っている奴」と言うそれは今も動かない訳で、となると?そこには階層”それ”は発生する。昔はPCも何種類もあったのだが、今は次第に収束している現実はある、少なくともWEBが見れる時、共有されるデータに差は無い。そして?その収束した中から「平等」に領域が分配されている…そんな現状。管理側と、労働側との境目が、気づくとかなりはっきりしている?かもしれない。
「ダークネスダンジョン・ワールド」悲しいがニコ動のゲームアツマールは終了してしまったが、そこに掲載したRPG?それの主神「アルティア」が敷いた世界に、”それ”はつまり意を唱えている…そんな気分には、ふいに成る。
その辺、もっと極端に出ているのが「ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザ・キングダム」ではあり。勇者と、それにしか使えないマスターソードにしか最終的には状況打開の術は無い、という。その時、それはどう見えるか?ではある。勇者は一人しか居ない、彼が奮闘しない限り、その世界に平和は訪れない。それは英雄と魔物、その境目を創り、世界を巻き込む英雄の活躍を求める事には。
「そんな世界間違っている」と言うのが、アルティアの世界で実際には「魔王」それへと変貌していく、そんな意識ではある訳で。
自分の覚えている範囲で、「昭和の頃のPC業界」それは?というと、確かにか「みんなバカだった」そんな、混沌とした状況はあった、とは思う。アセンブラで書いたゲームが売れるか?という訳ではなく、BASICでも十分勝負になった、みたいな世界の中で、それを動かすハードも、ハンダ片手で改造も出来ちゃう、様な部分はあって。高度であれば勝てる、という訳じゃない混沌は逆に、下層にもチャンスがある、そんな夢は見れた訳だし、それが具現化してた、様な部分もあった訳だが。今は自分も事ある毎に「仕事しましょう」帰結でそれしか言わなくなってしまった、感は結構長い。管理側に成り、道理を説き、服従を求め、或いは押さえつける。そう言う存在を上にして、現場は果たして?ではある。
昔は居なかった、のだろうか。そこは謎だが。
「問題だ」と意識していくと、結局は「アルティアの作った世界はおかしい」不意に、そんな感覚も沸き始める、訳だ。
その世界、全てはアルティア、という主神の「趣味」でしかない。勇者が居て、魔物が居て、王様らが居て、面倒を起こす魔王が現れる。現実の、普通の人々がゲームに求める事態を具現化する事を「理想」としている、しかしそこには人が暮らしている?世界な訳だ。アルティアとは、果たして善なる神なのか?真なる理想とは。
・・・とは言え、ゲーム中のイベントその他に快楽を感じる、それもまた一つの現実ではある訳だが。
一応、マクロで見れば自身の創案した”雅”市場も、アルティアの世界”それ”へと収斂している、のかもしれない。”それ”は、何かの鏡に映った自分かも知れない訳だ。”それ”の否定は、最終的にはちょっと違う何かではあり。ともかく「漫画だから」の断言は、この領域では意外ともろい壁だったりは、する。
ともかく、自分を否定できない限りは、アルティアンの世界もまた、このままではある訳だが。
ここで思索を止めてしまう、それはまあ、何かの失望を産んだりするのだけど。
限度は、有る、とは思う。