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あげちうのブロマガ

信仰と言う正気と狂気の狭間

それは視点の問題だ。

理解の土台を「太陽信仰と、それに迫害されたユダヤ教徒」と言う部分は重く置いても居る。

太陽信仰の王の如く、現役最盛期の白鵬に対して、ライバル?力士がやたらと嫌がらせを続けていた、と言う事例が仮に有る時の、”良識”の判断は、しかし。そのライバル力士からすると、恐らくは違う絵に成っている、訳で。

正体は不明だが、彼は何かの”特権的な物”を「持って」いる。これがそれ故の偽りの栄華であれば、相撲と言う神聖なる領域の正義としても、それは如何なる手段を持ってしても、破壊せねばならない。秘密を暴き不正を白日の下に晒さねば。彼は悪だ。

”それ”が、現実じゃない、とも言えない訳で。可能性の話をされれば?硫黄島でも生き残った人は居たのだ、全滅した訳じゃない。昭和天皇の把握は完璧じゃない、現実は現場にこそある。

一応、「現実」それを土台にすれば、才能、その是非に過ぎない、訳だが。物語それは、現実じゃない世界それを、時には足場にしてしまい、そこは混沌と化していく、「狂気」それは、そう言う物、だろうか。

 

ともかく白鵬まで来ると、もう「教える」と言うレベルは難しくなるのは間違いなく。産まれ持った体躯、培っていたセンス、或いは勝利への意欲、”それ”が相撲の神に愛された、だけではあり。そう言う存在に敵意を向ける、それはそれとしてそこに、正義は一面としてはある、それは言えない事も、無い。

「王者」それは、”そう言う事態”を許容し続けねばならないか?も、疑問と共にはある。輪廻転生まで考慮に入れれば、「それはその人の努力と研究の結果でしかない」が。それはでも、信仰の問題ではあり、人の短い一生の中では、「生まれ持った才能」それは、どうしようもない何か、と言うモノにしか見えないそれもまた…何かの現実ではあって。そこに、「皇帝は神だが我々は豚だ」飼い主は家畜を健全に飼育する義務がある、そんな話も真実を纏い始め、そこで王者は揺らぎ、邪は笑う訳だが。

”そう言う物”に支配されての栄華か、それを否定しての困窮か、正義とはその時。

ゲームセンターの衰退、それは懸念として重くある。しかし?「だから」「嫌です」それもまた、上の例としても、実際は重くある。そして現状、世界全体が?”そっち”を支持してきたし、今も、という現状もまだ、問題を累積して重くある、訳だ。法律的に言えば、それは「私的独占」敵対業者の締め出し、として犯罪認定さえされている…が。意識してしまう時、そこに有るのは邪悪に蹂躙される、愛すべき故郷の様、ではある。正論を前に、法律も微妙に及び腰、だ。

或いはその領域が、自身さえ生まれ育った場所であっても、衰退し消えていく、そう言うのは結果として神の返答、なのかもしれないし。そこは「ゲームセンター」であって、「ウォースペース」仮想とは言え戦争をする場所、では無いのだ。全否定した”それ”を受け入れる、それは出来ない、それはそれとして。そしてその結果、その場所その物が存在を否定される、と言うそれも、選択の結果ではある?

もちろん、可能性は別のそれも有る。それは最後の最後まで解らない、感情論の槍は今も、何かの力と共には有る訳で。


太陽信仰と、”それ”から迫害されたユダヤ教の対立、その妥協点は今も、先の見えない暗雲の中にしか、ない。

 


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10793944
https://publicdomainq.net/vilhelm-hammershoi-0056864/

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