”普通”の感覚、ではある。
「ザクが活躍している」のを見ると、多くがザクのプラモデルを買うのだ。
「資本論」の、意識の不足か…ともかく結果としてこれは資本主義と共産主義、どっちも欠陥がある、”それ”を発生させてる経緯から見て、「付加価値とはどう創れば良いんです?」それに、答えは持ってない。”それ”が無ければその構造は成り立たないのに、だ。
その辺は、アインシュタインだってそうだ、結論で”増やす方法が無い”まま、資源を使い尽したら世界は終わる、”それ”をどれだけ先延ばしにするかでしかない、と言う結論には至っている、とは思う。エネルギー関係で、核融合と言うのが「増える」例としてあるが、しかし。一般的な理解はどうも違う感じではある、あくまでも物質が崩壊するそのエネルギーを余すところなく得られる、そんな。
物理学者は、資本論を邪にか補強してしまっただけ、だったのだろうか。
「普通の感覚」は、それらを前に、どうも弱含みに成る…それは間違いない。
「面白い」と言うそこにこそ、つまり「付加価値」それはある、訳だが。
「カール・マルクスみたいな奴が、地獄に落ちる話が面白い」と言う、或いはそんな”普通”は、資本論を前にして通るか否か?ではある。一般論、”大衆”的な視点では生活破綻者のそれは、しかし「貴族」正に、”それ”の姿でさえ有って。彼は彼なりの責任を背負いつつ、フリードリヒ・エンゲルスと共に、その時代を支え続けた訳だ。それでも、彼は断罪されてしかるべきだ、と言うそれを言うには、相応の理解と研究、そして打開案は、必要には成る。
難しい話、ではある。
直情的な感覚では、多くが「面白い」には成らない。
悪を倒すのは面白い、のは間違いないしかし、「悪とは何か?」その追及は、歴史的な背景も有って実際には複雑怪奇だ。戦争で人を多く殺した奴は邪悪か?ではある。倒される邪悪な怪獣、それが玩具屋で相応の人気が何故あるか、それは何かの指向性を秘めつつも、その先は霧の中ではある。
その辺の判断は、若さだけでは、どうにも越えられない壁だ。
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