「正しい」それが前に出る物、ではない事は理解はあるのだが、しかし。
結果も伴う「正解」そういうのが有っても、それが主導権を握れない、という状況には少し閉口はする。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力、翻訳して出力。
「・・・あれ?なんで捨てられてんの?」不意に、そこにある疑問。
ともかく想定する現状の成り立ち、それは一人の発狂から始まる。
太平洋戦争に、その父親の権威ゆえに徴兵を免れた存在が居て。それがしかし終戦後、「卑怯者」その陰口を受ける事に成って、自尊心その他に深刻なダメージが出た、肩身が狭い。彼自身が望んだわけじゃない、親の命令みたいな物だ、なのに。
その結果、彼は自尊心の回復、というか「評価の回復」世間で評価される存在に成る、事への執着を見せる様になる、が。その時、創作の領域は彼にとっては状況を変えるステージに見えた、介入が始まる。
しかし?「評価される存在に成りたい」その衝動ではどうしても「私凄いでしょう?」が前に出てしまう為、客の不評を買う結果、芳しい成果が出ない。理解の浅さ、焦りみたいなものも関与しただろうか、簡単な話が、なんか簡単じゃない。
やがて甚大な損失を出す結果、その否定は罵倒は、彼を追い込んで最終的には、彼を静かに発狂させる事になる。「悟り」と言ってもいいのではあるまいか、本人には。「創作とは、つまり世論操作の道具なのだ」そこに利益は発生してない、金本位制の感覚でも正しい。あくまでも原価10円を500円で売る、そんな手品か詐欺のような物でしかない。売れているというその全ては実は犯罪のような物だ、現実は歪んでいる。
「どこが間違っている?」これは、今だって言いにくい話ではある。当時も有ったろうか、「”それ”は勧めるべきだ」国か、ともかく”それ”に対してのメディア操作というか、それはますます彼の断言を固執させていく。そもそもスペースインベーダーの画面に硫黄島の決戦が表現されているとか、バカも休み休み言え、ではある。
反論しにくい。
”これ”が、やがて”世間”の?天皇制、昭和天皇への反発…も背に膨らんでいき、昭和の頃にもあった「これ、ホントに売れたの?」そういう事例を量産していく事に成る、訳だがそれは。昭和天皇の死後、一気に状況を支配する様になって、平成は始まってしまった。
ともかくその結果で世界は空前の不景気、借金持ちに成って。しかしようやくというか・・・それは今も疑問だ、ほぼ別件逮捕という形でその、何かの権威性それは喪失した、が。平成30年の固執、何かの理想と言えばそう、それは残ったまま、利益性の無い追及それに深刻な執着を残している。
・・・と、現状の自分はそう言う認識ではある。つまり、今もその「狂った王」に特に業界は支配されている、のだ。平成で、その創作の多くは売れなかった、結果で人本位制で言う「価値」が生成されず、それは深刻に経済状態を悪化させていった、訳だが。ただまあ、”これ”も自分一人の分析と理解ではあり、権威、その後ろ盾を得ていない。結果、「世間」メディア、というかそこに「存在」を認識されていない状態ではあり、単なる陰謀論と大差ない現状だ、それはまあ、そう。それはちょっと思う。自身の信仰、「大衆は神である」売れれば正しい!的なそれは、その時大いなる疑問を壁として見せている、訳だが。
神よ、何故?
ともかく、自分が考案、設置?した「大賀さん」その、「最終的にはゲーム機によって決着に」それは、その決定に逆らえば利益性を喪失する、そう言う物理を見せている、様なのだけど。しかしその状況でも、”ここ”はスピーカー的には鈴虫の音色より聞こえない抗議の声、ではあるのだった。
それでも思う。平成は良い時代だったのだろうか。
もちろん昭和だって後半は、ともかく前半は、かなりみんな貧乏で問題もあった訳だが。戦争もあった、原爆も落ちた。それに比べたら、黄金期の20年くらい以外は、平成の方が。
そうだろうか。
今もまた、「評価」を求めて、先人のそれを否定する、マジンガーZに対してグレートマジンガー作って「なんで売れないんだ?!」を言っちゃう感覚は、深刻に不意に目立ってそこに?ある。
”同じ種”はまだ残ってる訳だ、以前のそれさえ駆除しきれていないのに。
これは仮面ライダーが居るなら悪の組織も居る、という「道理」なのか、それとも何かの見落としだろうか。
ただ過ぎていく時間に、少し黄昏たりはする。