「夢が無くなった」それは不意にか、深刻さを増す”理解”には成っている。
ガイナックスが目指した理想郷それは存在しない、有るのは何かの”管理”ではある。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力
中々、「さて旅行にでも」的な話には成っていかない現実ではある
それは理想か?というと、少し問われる絵だ。
巨大か、或いは重大な神像があり、その前で人は「糧を得る手段」を祈祷、模索し取得して、”それ”を打開するミッションへ向かう。打開出来れば然るべき対価は得られ、その時その人は何らかの社会貢献をした、理解は得られる。ともかく、得た対価を持って貴方は、貴方の希望する自由を対価分、買う事は出来る。「喜び」それは、そこにしかない…日常とは、そのループである。
一応設定では、この時「買うべき自由」それが存在しない事が失望の原理という事にはなる。特に作家らは、”それ”を回避するべく知恵を廻さねば成らない、それが仕事としてありそして、それだけに大金のチャンスはそこに有る、訳だが・・・同時に社会的責任?そう言うのも深刻に重い。
好きなガンプラ買って作って、上手く作れれば人々に喜ばれて、更にお金まで貰えちゃう、とか?
そう言うのは無いなぁ。
それが、今の「神」その返答、という事にはなる。ガイナックスだけか?だ、それに近い理想を夢見た意識は今、深刻な喪失の中には居る、訳だ。ガイナックスは続かなかった、それはもう、或いは「同人会場に見た夢」それは存在しないという、その現実でしかない。先人らは、そう言うモノを夢見て起業し、そして成功したのでは無かったのか?その道はもう存在しないというのか?
ちなみに多分、手塚治虫氏の時代であっても、そんなものは無かった。メディア?それが作り上げた…何かの幻想でしか無かったそれは。多くが解っていた事ではある。それでも、自分で非常識なまでに力を入れて創った作品が売れない、というその現実を前にすると、神と言うのが何かの悪魔の様にしか見えない、それはある。
ニコニコ動画は今も、復旧のめどが立っていない、らしい。話ではこれからシステムを再構築する、とかでつまり「創り直し」をせねば成らない、様だ。KADOKAWAの統一したデータセンターで制御されていた、というその、効率の先に有った脆弱性を突かれた、という事だろうか。外部の人間には解らない深刻は、電源を入れ直せば、という程簡単な破断では無かった、という事ではある。何処まで真実か?はともかく、平成の文化はどうも、無理を目指し、社会全体に”それ”を強要してしまった…そう言うのはあったのかも。
鳥山明氏の失望は、その時この事態に、どれだけ影響を及ぼしていた、だろうか。
凡人らが夢見る高みを味わい尽くした?かもしれないそこに有るのは、しかし「届かない」失望だった訳だが。
ニコニコ動画は、いやKADOKAWAは。今後どっちを目指して進むのか、それは深刻な問いではある。