少し疑念はある。
これは、古い方法論だろう。「大賀さん」がある事により、”それ”に不意に許容が出てきた、のだが。それでも、そこには問題もある。
「試行錯誤が必要だ、考えれば解る」
というテーマに対して、その作者?は、”解らないまま過ぎてしまった”事がある、場合。それは意味を持つのか。
「テーマに対して全体が調整される」と言う、「システム2基板」を土台にした理想?は、しかし。結局は経験則、”作者の”そう言うのを重視する事には成る、”そこ”こそが足場だ。目的に対して、そのテーマは意味を持っていたのか、その結果こそがこの場合の武器?であり。似て非なる、その時の大きな差であり、それが有るか無いか?は、あくまでもプライバシーの問題。
「為せば成る、なさねば成らぬ何事も」
ゲームを創る上で、パソコンと言う巨大なパズルの箱を前に、そこに必要なのは試行錯誤と諦めない意識、高い目的、責任を他者に廻さない感覚、そう言うのではあるのだが。なら、”それ”を唱える人は、その結果として自身の目的を達成したのか?と言う、そこに重い疑念。「それは出来ません」が、ぶっちゃけコンピュータのプログラム、である。熱意も労苦も意味が無い、鍵が合わなければ、それは先に進まないのだが。
実例として、ゲームセンターは何故、衰退したのか。
状況が変わり、鍵が変わってしまったから、だ。そして当時の、しかも「試行錯誤が必要だ、考えれば解る」それを唱える人さえ、”それ”を超えられなかった。
考えても解らなかったんですか?
最早。
「グラディウス」も、結論ではそこに陥った訳で。「良いモノを創れば売れます」売れましたか?と、平成に入って、問われる事が増えてしまった。時代が変わった、そう言うそれは、しかし。それをどう見るべきか、ともかくその結果、今までなら通った物の多くは、その価値を失ってしまった。
「アイドル」と言う、存在の意味、だろうか。
ともかくこの方法論は、今後も、このリスクと共に、”これ”で良いのか。
ともかく想定通りなら現状、「アダルトビデオは女性だけで撮影する物で、そうでないなら違法扱いに成ります」的な変化、それへ向かっても、問題は無さそうな感覚はある、本来は誰だってやりたくない仕事?である。「大賀さん」での衝突により、本来?アダルトビデオで発生したモノは、代替えし得る様になった、良くも悪くも「諦める」その感覚。犠牲が出た、その過失は誰に?が無ければ、或いは止まらなかった物は、何とか止まる感覚はあり…結果での、古き方法論の復活、な訳だが。
それまで積み上げたモノが、ある日破壊される、そのリスクと、100の失敗の先に有る、一つの栄光と。
しかしその成功は、「ストリードの連携」では産み出しえないモノ、かもしれない。
そしてそれを得た人と、そうでない人の間に、重い溝は創る、そんな。
騒乱は続く、それはそれでリアリティ、だろうか?