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あげちうのブロマガ

定番の奈落を覗く

ヒットラーの絵画は、美学生の習作レベルである。

何が足りないか?と言えば、「テーマ」だ、人に対して訴え主張する、何か。それはそこに有るモノを書き写した”だけ”で、それに対しての主張その他、そう言うのが無く、閲覧する側に対しての”同意”が発生し難い。価値とは同意の束である、なら。そこには同意を形成出来ないと、その絵は意味を持てない。

…と言う価値観で形成されたのが「アートスケール」だが。その採点の結果、「機動戦士ガンダムSEED」それは改めてか、0点、それを言い出してしまう部分は、ある。

「戦争ネタなんてファッションです」

この作品の監督が残した、有名な?インタビューだ。それは今も何だか、重い否定感をここに産んでは居る。

放送当時から、自分としては何だか全否定?ではあった。”それ”の理由が、後で考えるに自作の「トランディ」それに”被せ”ていた、事からどうも発生していた様だ、と言うのはでも、「ガンダム」と言うコンテンツの意味だろうか、それは今も、かなり巧妙と言うか…隠蔽?してしまっては居る。ともかくトランディに被せるのなら、その方向性、道理、目指す何か、それに対しての恭順は必要だ、が。「皇帝創作」と言うべきか、それは、もちろんそう言う方向性を見せ、世間もまた、”それ”に対して同調はしていく。

結果、この作品もまた、名誉的な事態には成っていない。製作中には騒乱の話が多く、脚本家の暴走?等は有名かで、そして、その脚本家もその後、病で死去してしまった。「道理」と言う視点はある、ガンダムの上で描く限り、戦争を軽んじる、それは大罪である。野球に真剣な人々に対して、「球遊び、楽しそうだね」そう言う、その感性には、憤りを超えた何かは有る訳で。

意図はともかく、この作品には、否定感しか、無い。

自分はその時、「ガンダムSEEDミラースタイル」と称した、そう言う「私的リテイク」を創って、それはそれとして、自身のお気に入り?のネタ、としては現在もある。当時に残っていた、放置されたネタの殆どを回収、ナチュラルとコーディネーターの戦いその始まりと、何とか帰結させると言う結果?は、自身にしろ思い出深い時期と作品ではある、そのプロットしか手元には無いが(・・・)。

とは言え、ガンダムと言う「コンテンツの意味」と言うか、この題材は「PCのソフト」を足場にしてる結果?そこに有るアプリケーションはピンキリではあり…アストレイ系の、多分同人ソフト、その領域まで含んでいくと、”その”戦争と言うか認証、それはもう収拾がつかなくなっていった…と言うのは或いは有って。それはもちろん、現在だってより発展し膨らみ続けているのだ。

だからと言うか、続編と言うか、そう言うのがある、それは問題では無い、むしろ無い方が不安になる位だ、しかし。

「戦争ネタなんてファッションです」

この台詞は今も、何かの大きな否定感として、そして逆に、”彼ら”のフラグシップとして、それはそこに有る訳だ。最近話題のか、「攘夷」の如く曖昧であやふやな、とにかく「許し難い!」へ向かう、そんな何かとして、それはまだ…蠢いている。

その根っこにあるのは、ヒットラーの絵画、だろうか?

それに対して「22点では買い取り出来ません」それは、同意を得られる物か否か。

「私は神だぞ?!」

それは何故、そこへと膨らんでいくのだろう。

ユダヤ教の王もまた、同じく。



使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10700582
https://publicdomainq.net/omoda-seiju-0017296/

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