苦笑で済むかどうか。
貴方のしてる事は、10代がやってたら文句も無いけどね。
不意に、結構問題がある状態、それは自覚もする、かなりの年上にも、だ。
この辺、今までのシステム?の…かなり大きな歪み、なのかもしれない。
平成が始まり「王の権威」昭和天皇が持っていた王冠、それは新たな所有者を探した。
様々な事情を鑑みる結果、”それ”はやがて、まだ昭和天皇の影響力が残っていたか、そのゲームのコンテストを経て、あげちうに齎された。
…しかし、根本的な問題は打開されておらず、”それ”は王の印籠「黄昏の狩人」だけ?皇帝に盗まれ…森宮は封印される事に成った、エヴァンゲリオンで言うなら「アダム」状態。
表の人々は、その「皇帝」を新たな王として掲げて。平成はそして始まったが。
構造の問題、だろうか。
そこに居る人々の多くが、何か、精神的な成長が出来ずにいる。
”大人”に成れない。責任者の自覚?そう言うのが、持てない。
何故か?「皇帝の奴隷で有れば良かった」からだ、能力の多くを、預けてしまった。
結果的に、世間の諸問題の多くが皇帝に集中、対処出来なくなり、やがて破綻する。
皇帝は消えたか、ともかく「王の印籠」それはその力を失い、その環境は瓦解した。
エヴァンゲリオン劇場版、そのラストの様に、しかし。
或いは問題?はアスカに集中はする。
映画のラストで、アスカは、目を覚ましたのだろうか?
その後の確か「ヱヴァンゲリヲン」では、一部のキャラは不老化していたと思う【見てないので知らんけど)。それはでも、いい意味では無いのではあるまいか。体?はどんどん老いていくのに、心は子供のまま、然るべき大人に成長できないで居る…或いはそんな絵。
不意に気づく訳だ。やれる事は新人と変わらないのに、求められてるのは「先生」の”それ”だ。覚悟とか、心構えとか、生き方とか。何か、後輩に教え伝えられるモノを持って、大人。
…何も無い。
責任の全ては「皇帝」には集中はする。それ以上を考えたり手に入れたりする事を求められなかったから、だ。時間は止まったまま、どんどんと時代は変わっていく。然るべき能力とは何だろう?皇帝に聞いても解らない、理解…する前に、皇帝は消えてしまった。後に残された人々は、心に何かの欠陥を抱えたまま、そこに呆然と佇んでいる。
個人的には、劇場版でアスカは、死を前にして目を覚ました、とは思いたいが。
だからこそ、それ以降の”全て”は夢だった、で済むのだけど。
不意に、ゲームを企画?する。
「キングスソード」某セガ社製多人数対戦ゲームの亜流。
http://www.avis.ne.jp/~asper/work/kingsw.htm
反論?が有る。
ゲームデザイン的に、「前に立つ上で求められるモノ」そう言うのを重視。
重い否定だ。
「面白くない」
それはでも、何だか年老いた否定だ。
セガのゲームは、誰が企画?したのだろう。