見出し画像

あげちうのブロマガ

持って帰る筈のものが無い

寺田農氏が亡くなった、という報道。役的にはムスカ大佐が、というのが面倒な話。

世間での知名度と、本人の意向とが合致しないのは、今も昔も良くある話、だろうか。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「あーすいませんそれ売り切れなんすよー」とか絶望の狭間

 

役の方向性に対して宮崎監督とモメて、何とか恭順しつつもその後30年、作品を振り返る事は無かった…という話で、ともかくそう言う固執あってこそ、みたいな部分はこの世界には多々ある。それだけに衝突もあって命にぶつかる、そう言う事、だろうか。なんにせよ大概、「ああ、あの人」なそれは、何処かそこか命を賭している、それは有るのかも。

良い話でもなく、再現性も低く、真似ない方が良い、とは思うがしかし。それは境目の一つでは、ある。

”彼ら”は「何か」に対して命が掛かってしまっている、のだ。それが出来ないと命に関わる、そう言う使命か決意か現実、それを背にして彼らはその仕事に挑んでいる。”その先での”成功こそが、人々の記憶に刻まれる結果、それを出す訳だが。ただもちろんか、その先にある一つの結果が芦原氏の自殺、なのかもしれない。ただ、結局彼女は記憶に残ったか?というと、個人的主観ではそうでもなく。

間違いは、間違い、ではある。

故に、問われて返答できる内容でもない、のかもしれない。自分の?いや、他人のそれだろうか。自分の願望実現の為に漫画を描いていれば、ある程度の先には限度は出てくる。彼女はともかくその先へ進んで、そして。愚かな結果だったとは思うが、具現性の無い結末に絶望したかで、自らこの世を去った。

ともかく命懸けの先に有るのは、命懸けの戦場である…それは定理ではある。

”成功”出来ない、という結果は結局その、「命を賭ける」それが出来るか出来ないか?ではあるのだろう、が。ニュアンスは伝えにくい、「それが普通」と言う環境だからの場合もあるし、「じゃないと打開出来ない」と言う思いの先、という事もある。ともかく、前に出てる人々、それはそれなりの「使命」を背負っている、訳だ。その時、「普通」とは境目は出来る。逃げようと思えばいつでも逃げられる、何時でも今関わってる仕事を罵倒して他へ移れる、そう言う「普通」とは、少し異なる領域の人々にしか、結果は付いてこない、気はする。

それでも、「選ばれた」とは言うべきだろうか。

しかし「覚悟が足りない」と言うそれは、今そこにある疑念か固執、それへの返答なのか或いは。

個人的な視点で、「ゼビウス」それには今も、固執が残って居る、「なんでダメなんだ」その。理由は「問題ないオーダーを問題なく熟す事が出来なかったから」だが。誰かのプライドだったのだろうか?要求には応じた筈だ、その。しかし「潜水空母計画の成功その可能性について」としてゼビウスはもちろん妥当ではなく、他に表現したかったもの、というのもはっきりしない。デザイン的には、「ちょっと舞い上がったオタク」のデザインというニュアンスは、その「売れなかった」結果に対して妥当ではあるのだが。

価値観の溝、だろうか。

この価値観は更に、或いは「太平洋戦争での徴兵」それも免れている、感じはある。

娯楽に命懸けとか間抜けているし、戦争で死ぬなんて愚者以前の問題だ、死んだら何にもならない。

沈みかける船から一番最初に逃げ出す船長、というそれは、何故過失を問われるのか?

ちょっと今もまだ、世界は混沌の中で足掻いている。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事