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あげちうのブロマガ

固執する正義の先にある壁

ともかく「セクシー田中さん」の作者が、自分で脚本書いたら自殺した、事実は重くある。

「独裁性」それは、深刻な命の危険を背にするものな訳だ。そして超えられた人は多分、いない。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「う、マスク切れてる」一昔前なら有りえない感の恐慌。

 

「なら私がその初めての人間に成ろう」とか、こういう衝動は、人間の象徴みたいな物、だろうか。ダメ出しされると反発したくなる、というのは自分も解らないでもない、そしてその先で痛い思いをして少し学ぶのだ、が。上手くやった人は、意外とそう言うのが無くステージに上がってしまって、そして。そもそも「生贄」それを求めるのが、或いは衝動の背にある何かではある訳だが。

理屈の上では、1000個あるモノを20人で分配、その時一人は50個もらえるが。それが40人になると貰える額は半分になる…その時、それ以上は締め出される、そう言うのは物理的な道理としてある。昔は、漫画家に成ろうなんて少数派も良い所で、そして市場も猫の額だったのだが。社会から締め出された人々が言い争いをしている、のは或いはその他の面白い娯楽でしか無かったのかもしれないしかし。状況が変わった、という事をまだ、多くは理解できない、そう言うのは有るのかもしれない。

不意にまだ、「手塚治虫」この神様の影響、そう言うのは強い、という事だろうか。

多くの漫画家の固執、「俺の好きに描かせろ!」が、実際には”ここ”から出ている?というのはやっぱり、少しあるかもしれない。彼の言葉で「子供の見たい物を見せてやれ!」はしかし逆に、そんなに良く知られた話じゃない、のは少し奇異な事実としてある。テレビでは怪獣番組を放送していて子供は楽しく見ている。しかし同時刻帯には、彼の「ワンダースリー」と言うアニメが裏番組で放送中。母親が子供らに「お父さんの番組を見なさい」とチャンネルを変えてしまう、その時の彼の声だ。本来なら「それがプロの厳しさである」と、まあ理解する所だが。ただ、その割にその言葉は今の漫画家に、あまり影響を見せていない。

実際には、少し事態が違ったのでは。

彼の何かの固執だった、それは確かだとは思う。キリストにしろ、次第に自分が理想と反する単なる広告塔に成っていく事に苦悩していた、様な逸話は残る。彼にもそう言う事態が起きていた、そう言うのはあった可能性ともかく、彼はこの時強く思う事があった、気は。

自分が良いと思う物が子供らが求める作品である。

編集その他は、それを解っていない。自分らのやりたい事をただ、自分を利用して具現化したいだけだ。

最終的には間違っているにしろ、ともかくその時「売れるモノ」それは、彼の方にあって故に、固執は残ったのかも。

俺の好きに描かせろ、だったら売れる。

もちろんこれは、或いは今も、物理的な壁の前で破壊されてしまうのだけど。

今の漫画家を、いや作家を。根っこで支配しているのはこの意識、かもしれない。幸いと言うか?今は”それ”が誰でも具現化し得る状況ではある、インターネットは広大で有って。成果さえあれば、自費でアニメを作り掲載する、事さえ可能で今は必ずしも届かない額じゃない。しかし、”彼”が現代に生きていたら、自分の求めた環境を前に現在、どんな事態だろうか、だ。ともかく間違いなく、”その”言葉はインターネット上で、再びの物理的な失敗として、数多の喪失に成っていくのだとは思うが。

言葉は利用され、独り歩きする事はある。ともかく「俺の好きに描かせろ」それは、漫画家の捨てがたい執着に成ってしまっている、それは間違いないだろうか。

”誰”が、芦原妃奈子氏を殺したのか。

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