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あげちうのブロマガ

勝者の視線は何処であろうと

「性格が悪い」と言う問題は、果たして当人の問題なのか、ではある。

「チー牛」と評されたイメージは、決して犯罪者のそれでは無いのだが性格は悪そう、だ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「そんな事ないよぉ」とか、そのふくよかで言うか。

 

視点では、「製作者にとっては」と言う事かもしれない。基本的で一般論の衝動には無関心で、”非生産的な事”に固執し、その部分での追及は少し常軌を逸している、様な。ただその「非生産的な事」を提供してるのが創作側である、という矛盾の狭間で、単にそれは、ツッコミを毛嫌いする創作側の横暴か認識の軽さ、かもしれない。

ゲームとしては、「トイレタイムの間にゲームオーバーになるよね?」と言う想定を超えてゲーセンで数時間100円で粘るゲーマー、そんな人々のイメージではある。プレイヤーに「良識」みたいな物を期待して裏切られる時、敵意は彼らに向くにしても果たしてそれは正当か?だ。バグかどうか解らない領域で、彼らは何かの戦いを続けている。

或いは?「お前は神じゃない」と言う、”それ”を訴え続ける存在かもしれない訳だが。

善悪が逆転する領域、というのはまあ、あって。成果を出せず負債を抱え、結局会社を売り渡す事になった存在は、果たして自身の無能さだけが原因か?ではある。システム的な奈落に落ちた時、それはあの京アニの悲劇みたいな反発の原理には成る、その時それを呼んだのは?そのシステムを強いている何か、ではある。そう言う話が、自身の”雅”市場そこに起きないとも限らない、時。不意に、”その”事例とそこから脱出できない「性格の悪い存在」それが、そこに居る様な気にも、なる。

「資本金1000万円程度でゲーム屋起業して、そんなん続く訳ないだろ」

「一般論では」それは疑問ではある、が。現状では、深刻な真理ではありしかし、或いはそれは、「要求され挑戦した後の実感」かもしれない、訳で。出来る大丈夫サポートするから、みたいに言われ始めるがもちろんかその全てが実際には無いのだ。無理だし根拠はないし助けるつもりはない、単にその時、周囲は面倒をその一人に押し付けただけに過ぎない。破綻し負債が残っても、打開し得るスキルも経験も無い、有るのは単に「自分はこの分野では無能である」その事実だけで。”それ”を抱えてどうやって、再起しようというのか?

・・・ただ、もちろんかその前に、こういう人物が他の人々に何か悪さをしていない、訳でもないのだ。

「ガンダムSEEDフリーダム」の成功は、ちょっとした夢を今、見せては居る。なんか頑張ったら出来ちゃうんじゃないか?実は”そう言う結果”でさえある…何かの喪失を抱えた人々にしろ、だ。前には「有能」を自認する連中が壁を作っていて、その否定は容易くその願いを粉砕する、としても。多少の高揚感が支配する中で、しかし、そこには深刻な、或いは冷静な「否定」剣呑、それはふいに残って居る。

無理だよ。

今ではもう、本来かの小さな?夢さえ消えた奈落の底で、それはチーズ牛丼を食べながら、そう呟くのだ。

まだ何か出来た頃、”それ”は他者への否定というか不快と言うか、その供給に余念が無かった、そんな事実も或いはある。相手の成功その可能性に対して妨害出来た、良い憂さ晴らしの結果はしかし、ではあって。

しかし業界全体も、「新規参入」みたいな話を否定してたのも、或いは現実ではある。一人上がれば一人落ちる世界の中で、落ちた人の呪いは状況を黒く淀ませていた、それは一因として想像し得るともかく。

そこに扉はあるが、その先の未来は今も見えない。

”彼ら”の境遇それは果たして、自己責任で終わる話か否か。

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