透明人間たちのひとりごと

ウサギとカメの物語 <4>

 イソップが語る 「ウサギとカメ」 の物語の本当の意味が、

 1 わかる 2 分かる 3 解かる 4 判る 5 わからない

 あなたは 15 のいずれかにあてはまるのでしょうかquestion2

 1 わかると思っている
 2 一般的な解釈として分かる
 3 いくつかの解釈があるが理解できる
 4 隠されている意図や罠を判別することができる
 5 含意(真意)がわからないということがわかっている

 大多数の人は123 のカテゴリーに納まりますが …

 極々、少数の変わり者か、偏屈者や天邪鬼(あまのじゃく)
あるいは、予言者、霊能者、天才などが、45 の範疇を
分けあうことになります。

 表面上においては完全にうさぎの負けだけど、それは …

  、油断なのか 、わざとなのか 、必然なのかquestion2

 目に見えるかたちとしては、カメの勝ちだけど、それは …

  、偶然なのか 、ご都合なのか 、作戦勝ちかquestion2

 勝敗は、関係があるのか、ないのか、 問題外なのかquestion2

 もしも

 ウサギがぶっちぎりで勝つ話なら論外も論外で、たとえ話
にはなりません。

 その意味からいえばカメの勝ちは動かし難い結果として
(作者にとっては)必然であったということになりますが …、

 イソップの罠は複雑に絡み合い、落とし穴はあちこちに
掘られているのです。

 この場合には、A、B、C、イ、ロ、ハ、のいずれも該当する
ことになると考えられます。

 《A》と《イ》は一般的な慢心によるウサギの油断から生じた
偶然の結果としてカメの勝ちとなるケースです。

 《B》と《ロ》は八百長で合意のうえか、ウサギの単独なのか
別に胴元がいるのか、などのケースが考えられます。

 《C》と《ハ》はウサギには負けるべくして負けた理由があり
カメには勝つための戦術なり戦略があったというわけです。

               《ロ》    《イ》    《イ》
              up_slow     up_slow      up_slow
 もちろん、他にも、《A》    《B》    《C》
              down_slow     down_slow      down_slow
               《ハ》    《ハ》    《ロ》            

 …といった組み合わせも考えられ、もっと複合的に複雑に
絡み合う可能性(落とし穴 right 罠)もあるのですが …、

 前回までの 「ウサギとカメの物語<1>,<2>,<3>」 のなかで
陥りやすい思考パターンを断片的ではありますが、いくつか
紹介してきました。

 すべてを紹介するのには、さすがに紙面も時間も足りない
ので、《C》と《ハ》の場合における典型的な事例を示すことで
ウサギとカメの物語」 が単なる寓話ではないことの傍証と
したいと思います。

 ウサギは負けるべくして負けたのであり、このレースは、
完璧なるカメの作戦勝ちであるというものです。

 いわく、ウサギには怠けぐせがあり、それを見越したうえで
挑発に乗ったカメの戦術・戦略の妙を示すものであり、何事
においてもそうした準備や下調べをしておくことの重要性を
説く話だというわけなのです。

 つまりは、こういうことなのでしょう。 

 ウサギとカメWikipedia より 抜粋参考

 テレビ番組 「トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~」 の
トリビアの種」 のコーナーで、「『ウサギとカメ』 が競争した
距離は何メートルか」 というネタが登場しました。

 この番組での調査によるとウサギはギリシャに生息する
ヤブノウサギでカメは挿絵などの特徴からフチゾリリクガメ
であると仮定したうえで、「ヤブノウサギは夜行性で昼間は
12時間中6時間以上も寝ている」 という習性を考慮の結果
、「カメが勝利する最大の距離は280メートル33センチ」 に
なるとしたのです。

 かくして

 「ウサギとカメ」 の物語が動物の行動に忠実なかたちで
作られている話であることが判明したのです。

 トリビア品評会会長のタモリいわく 「そうか、カメはウサギ
が夜行性だって知っていたんだね」

                   以上  ― Wikipedia ― 
 
 ならば負けるべくして負けたのはウサギにとっては必然で
あり、カメにとっても偶然のタナボタ式の勝利ではなく十分に
勝算のあったレースということになります。

 つまり、戦略的なカメの完全なる作戦勝ちだったわけです。

 また

 ソースが定かではないので、参考とする程度に止め置いて
いただきたいのですが、ウサギとカメの競争を実際に試して
みたところ、本当にカメが勝ってしまったということなのです。

 ウサギにとってみれば、まったく天敵のいない状況下では
これといって走る理由もモチベージョンも見つからず、前に
進むだけならばカメの方が自在性があるのかもしれません。

 まあ、距離の設定とかやり方次第ではそういう結果も十分
にあり得る話でしょうね。

 いずれにしても、いまから2600年も前の時代の寓話にして
は余りにも出来すぎの感は否めません。

 子供のころに読み聞かされた 「ウサギとカメ」 の物語は、
なかなか良く出来た教訓話のはずでしたが、時代が進めば
進むほどに、イソップの語るたとえ話が単なる寓話ではない
深い謎を持つ話の集まりなのだということがわかってくるよう
になったのです。

 それは、その時代になって初めてその意味がつながり解る
という場合と繰り返し何度となく同じ過ちを犯しつづける人類
への警告という側面をもった普遍性のあるテーマで構成され
ているからです。

 先に

 「ウサギとカメの物語 <1>,<2>,<3>」 のなかでイソップ物語
は、『予言の書』 である旨の記述をしました。

 予言という意味からは、むしろ 「ウサギとカメ」 以外の話の
なかにこそ、イソップの予知能力が無意識に昇華されている
ようなのですが、それらは続編(〇〇の物語)として機会ある
ごとに随時紹介していく予定でいます。

 「ウサギとカメ」 の正体は、私たちにとってかけがえのない
この地球に住まうすべての生き物の代表であり、すべての
出来事の総代であり、すべての事柄の総称なのです。

 ですから、この物語の真の意味は勝ち負けにあるわけでも
ウサギとカメに代表される対象者や出来事や事柄でもなく、
過去から未来へと向かう運命共同体としての宇宙船地球号
そのものに帰結する話なのです。

 未来の子孫たちに対する警告のメッセージ(予言の書)で
あることを宣言(喚起)するためのプレリュードやプロローグ
であり、水先案内的なイントロダクションでもあるのです。

 そうです。 ある時代が到来したときに、そのことに人々が
気づくように工夫されていたのです。

 物語の本質を穿(うが)つには、当事者たるウサギとカメ
にも気づかれないように仕組まれている見えざる力による
イカサマの八百長レースにあることはすでにお話しました。

 それは

 仮に、ウサギ自身がカメに自信を持たせようとしてわざと
負けたのだとしても、その行為をも含めてウサギ自身にも
気づかれないうちに計画され操られていたという意味です。

 「ウサギとカメの物語 <1>,<2>」 では、ウサギやカメに暗示
されている事柄として、女性と男性やデジタルとアナログなど
いくつか列挙してみましたが、そうしたものをすべて含んでの
『地球の物語』『イソップ物語』 であること
を 「ウサギとカメ」 が代弁しているのです。

 イソップの本音である 「真実を見抜く目と耳」 が訴える
見えざる力》 によるイカサマの八百長レースについては、
次回 「ウサギとカメの物語 <5>」 でお話することにします。

 それでは、きょうのところは、

 時代の下った遠い地球の未来に罠をかけてみたのが、
「イソップ物語」 ならぬ 「トラップ物語」 だということで …

 香り立つドリップ珈琲でも飲みながらイソップによる
ウソップではないトラップだらけのたとえ話を聞けば
タイムスリップしたような夢のトリップが楽しめる …

 って、ウップ もう、いいかげん食傷気味だよ

コメント一覧

傍観者
何かイソップの小話を持ち上げ過ぎかな。確かに、日本にも、かぐや姫物語やカゴメの歌詞みたいに何を意図しているのか判らないものも有るけれど、「ウサギとカメ」はそんなに深読みするするに値するのかな?
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