透明人間たちのひとりごと

恐怖の大きな見えない壁

 面接をします。 持参した履歴書の連絡先に書き込まれた
電話番号は、固定電話ではなく携帯電話の番号です。

 学生なら、まだしも、社会人、いや、れっきとした所帯持ち
でも携帯電話だということは、もう、珍しくもありません。

 さもありなん。 こと連絡を取るという一点だけでみても、
携帯電話の方が優れていることは明白です。

 ましてや、ほとんど利用しないものに、基本料金その他
のお金をかけることは合理的でもありません。

 残る問題は社会的な信用上の 有無 だけですが、そこも、
いずれは崩れ、通話が目的だけの固定電話は消えてゆき、
TVやインターネットなどとの複合した機能をもった双方向の
固定型の機器に取って代わられる運命にあるのでしょうね。

 前稿 「有る時代とない時代」 のなかでも触れましたが、
そんな固定電話(化石のような黒電話)ですら、あるほうが
珍しかった時代が、昭和30年代です。

 当時、電話のある家には 大事役目がありました。
その時にもお話しましたが、「呼び出し電話」の呼び出し
業務、文字通りに呼びに行く仕事です。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/141.html (参照)

 一個人の家の電話機ではあっても、実質的には、となり
近所のみ~んなで利用できる電話でもあったのです。

 しかも、電話口のむこうには、取り次ぎを待っている人が
いますので、のんびりというわけにはいきません。

 「〇〇さんから電話だって、どこそこのおばさんに知らせ
といで、急ぐんだよ!」

 てな具合で、家にいるときに使い走りをさせられるのは、
大抵の場合、子供たちでした。

 そりゃあもう、ズックやサンダルを突っかけて走って
知らせに行くのです。

 ですから、単なるお喋りやくだらない用事に電話などは、
もってのほかで、本当に必要で大事な用件や急ぎの連絡
をする場合に利用するのであって、そうそう頻繁に呼びに
走っていたわけではありませんが、呼ぶ方も呼ばれる方も
何をしていても、その手を止めて駆け出すわけです。

 さて、『出物 腫れ物ところ嫌わず』 と同様に、大事な用や
急ぎの出来事は場所と時間を選びません。

 来客中だろうと食事中だろうと、「呼び出し電話」のベルは
お構いなしに鳴ります。

 「あらァ、お客さま! すいませんねぇ、ごめんなさい」 とか
「お食事どきに悪いわねぇ」といった調子で、多少の気兼ね
はあったものの、すぐ横や近くにある電話口で話が始まる
わけです。

 当然、話の内容は筒抜けです。 聞くつもりはなくても、
聞こえてしまいます。 だから、何もかもそっくり聞かれても
文句は言えません。

 こちらはこちらで、お客さまの様子や夕食の献立の中身
バレバレです。 見せるつもりはなくても、しっかりと
見えてしまうのですから、どうしょうもないのです。

 なんと平和で、おおらかで、開けっぴろげのままの世界。

 プライバシー も 何も、あったもんじゃありません。

 正直、子供心には、ちょっぴりは気まずい思いも、あった
ように感じていますが …。

 まったくもって、今じゃ到底 考えられないようなご近所
付き合いだったわけです。

 そして

 時には、10円玉を片手に、ご近所さんが電話を借りに
やって来ることがあります。

 その頃は、市内なら、一律10円で利用でき、超過時間に
よる加算システムではなかったように記憶 していますが、
ひょっとしたら、3分以内は10円で、あとは加算される方式
だったのかもしれません。

 でも、10円しか貰った覚えがないのです。

 時計を見ながら確認 をしていたわけでもありませんし、
「じゃあ、ここに10円玉置いておくわね、どうも …」 てな
感じでした。
 
 市外に電話する時は、たぶん100番だったと思いますが
、電話局を通して、こちらの番号を伝え、通話が終わると、
局から電話があって、料金を教えてもらい、その分を頂戴
するかたちでした。

 たぶんに、この頃は、まだ、
 
 長電話は迷惑だということで、ご法度というか、不文律の
ような掟があって必要最小限での言葉での自重した使用が
基本だった時代も、東京オリンピックの頃(昭和39年)とも
なるとテレビはカラー化され、電話も一般の家庭にあるのが
あたりまえとなり、便利な意思の疎通の道具としての使用の
版図も広がってきました。

 そうなると、電話は頻繁に使われ出します。

 毎日のように、どこそことなく、かかってくるようになると、
否応がありません。子供にも電話での応対が教えられます。

 ひとりで留守番をしているところに、リリリンと鳴ると、
ドキッ としたものです。

 今、思えば、きっと、会社にかかってきた電話に初めて
出るときの新入社員のような不安 な心持ちで受話器を
取ったのだと思います。 

 さらに、1~2年が過ぎて、昭和40年代…

 時代は 青春真っ只中、中学から高校ともなると
異性に対する興味は尽きないもので、それなりに彼女
できます。

 電話は恋人たちの必須アイテムになります。

 つい、さっきサヨナラをしたばかりなのに、すぐにでも声が
聞きたくなるからです。

 しかし、ここに、あるひとつの大きな壁が立ち塞がることに
なります。

 この壁を突破してしまえば、あとは長電話に小言を言われ
るくらいのもので済むのですが…

 ずばり、彼女の 父親存在です。

 別れた後ですから、どうしても夜遅くになるケースが多く、
好印象を持たれねばと緊張するし、先様の迷惑も考えなきゃ
と思うから、余計に神経を使うし、その電話に集中する姿は
尋常ではありません。

 あれこれと想定した問答を何度も繰り返し練習したあとで、
さて、いよいよかと思いきや、手にした受話器をあげる前に、
もう一度大きく深呼吸をして「よ~し、行くぞ!goo などと
気合を入れてから勇気を出してダイヤルをまわします。

 もう、心臓バクバクです。

 「遅くに失礼かとは思いますが、〇〇さん、お願いします」

 ルルル ルルルル …  呼び鈴のあいだにも頭のなかで
必死に復唱します。
 
 できれば本人が、さもなければ、せめて、お母さん
出て欲しいなどと願いながらも…
 
 「こんな時間に迷惑angerだろ ガチャン!! だったら
どうしょう などと、よからぬ不安がよぎります。 

 大方の場合、それらは杞憂に終わりますが、世の中は
そんなに甘くはありません。


 マーフィーの法則 の通りに、

 お父さんが出て、「娘は、もう寝ました」 とさ。
 
 夜とはいっても、まだ9時前なのに… トホホです。

 あれだけ必死に、練習したのにネ nose3

 そして、これが昼間なら「出掛けて居ませんよ!」 という
口実に変わるのです。

 でも、これって完全に 親のエゴ、勝手に娘を眠った
ことにしたり、居留守 を決め込むわけですから…

 人権蹂躪だ と叫んでみてもむなしく響くばかりです。


 いやはや、大人ズルイ! 

 と言っても、いまや万人が持つような携帯電話の時代。

 「見えない壁」としての抵抗を示す手段を持ち得ません。

 そんな、父親の壁 は削られっぱなしです。

 いまでは、すっかりといい親父になってしまいましたが、

 「娘は、もう寝ました!」 とか 「娘は、いません!」 など
と一度は言ってみたいものですね。

 案外とそれが、
 
 「身近に有るちょっとした幸せ」 になるのかも…
 
 
 いい意味での「見えない壁」として…
 

コメント一覧

昔の少年B
その昔、親父の壁は厚かった。
今じゃ、嘆きの壁としての痕跡すらない現実に科学進化の発展が人類の幸福に必ずしも寄与しないことを痛感する。
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