使われることは少ないようですが、私たちは毎日、無意識
に他人の顔色をうかがいながら生活をしています。
お得意先の皆さんや1号 さんには特に神経を尖らせて
顔色をうかがいます。
さりげなくガンを飛ばし、アゴであれこれと指図をするのは
2号 さんです。
チラチラと横目で合図を送るのが得意な4号 さんと若い
けど、メガネのむこうの優しいまなざしが、時に鋭く光る瞳に
変わりだすと3号の 「目が口ほどに物を言う」 前ぶれに
なるのです。
顔色というよりも、それじゃ “目の力”じゃんと思った方
、そして、透明人間にも顔色があるのか!と突っ込もうと
された方、ズバリ その通りで、実はあるのです。
顔色とは広義では、表情と雰囲気、つまり、その場の目に
見えない空気も含めてうかがい読む事だとボクは思います。
人間の表情 = 顔色は、「目の色が変わる」 と言われる
ように、目と目の周りを中心とした表情、つまり、眉や頬や
口許などとの一体表現で色分けされている場合がほとんど
なのです。
もちろん、茹蛸(ゆでだこ)みたいに真っ赤になって怒った
り、サイフを落として青くなったり、ミカンの食べすぎで黄色く
なったり … って、
それじゃ、赤、青、黄色に変わる信号機 だちゅうの!
確かに、そういうわかりやすい人もいますが、顔の肌の色
が問題なのではありません。
研ぎ澄まされた精密機械のような正確無比のスパイナー
、「ゴルゴ13(サーティーン)」 でもないかぎり
、感情は顔に、情念や動静は空気にあらわれます。
ロボットにさえ表情は必要だといわれ、人柄もしばしば
顔からしのばれるものです。
機嫌がいい時も、悪いときも、必ず表情にあらわれます。
相手が不機嫌な時に、その人の顔色をうかがわずに
頼みごとをしてもうまくいく確率は極めて低いでしょうし、
意に沿わない意見でも言おうものなら、それこそ大変です。
特に1号 さんが相手の場合、
『さわらぬ神に祟りなし』 とばかりに クモの子を散らす
勢いでみんな逃げ出します。
さて、
新年もアッと言う間に、ひと月が過ぎて、昨日は「節分」で、
今日は「立春」、もう、春なのです。
まだ、春一番も吹いていないうえに、雪も降ったのにね …
って、あくまでも暦のうえの話ですから。
「季節を分ける」という意味での「節分」ですが、どうも、
実感が湧きません。
季節の分かれ目も顔色が変わる予兆もどこか似てるなァ
と思うことがあります。
どちらも、いきなり劇的に変わるわけではなく、気がつくと
サクラが満開だったり、太陽がギラギラと照りつけていたり、
枯葉が舞っていたりして ハッ とするのです。
秋から冬にかけての釣瓶(つるべ)落としのような急激な
日の沈みかたは、むしろ例外で、慌ただしい日々のなかで
つくしんぼやふきのとうの息吹きに気づかぬうちに、梅や
桃や桜の季節になってしまうものなのです。
同様に、
叱られたり、ゲンコツをもらう破目になるのも、その予兆に
気づかぬまま見逃すことが原因というか一因になるのです。
一緒にいる時間が多かったこともあるけど、子供の頃は
父親よりも母親の方が断然に怖かった。
そんな彼女がときにキレる。 もちろん前兆はある。
まず、眉間がけわしくなり、声は1~2音高くなる感じで、
「~なさい!」「ダメでしょ!」「早く!」 で、始まります。
それでも、兄弟、兄妹が、遊びやそのほかの行為に
夢中でいると…、いきなり眉はつり上がり、鉄拳パーンチが
飛んでくるのです。
「何やってるの!いい加減にしなさい!!」 口答えは厳禁
なのですが、つい口を吐いて出てしまいます。
すると、有無をも言わさぬ剣幕で家の外に追いやられ、
物置に閉じ込められることになるのです。
そうするうちに、少しですが成長すると、慎重に相手の
顔色をうかがう術を覚えるようになります。
先程来からの予兆段階でしばし、様子をうかがいます。
昔の母親はなにかと忙しい。ほとぼりのさめるのを待って
いるといつのまにか家事に追われて、一時の怒りの芽生え
は消えている。
それを確認したら、また、遊びを続けるわけなのですが、
実は、怒りのマグマ溜まりには着々とマグマが充満しつつ
あることに気づかされるのは、もう少しだけ大人にならない
と分からなかったのでした。
でも、この「しばらくの間、おとなしくしていれば大丈夫」
は、人間関係における成長の証しとしての第一歩であった
ことは間違いないのです。
叱ることの出来ない親が増えている昨今、確かに顔色を
うかがえない人たちがいる。
傍若無人、唯我独尊、カラスの勝手 …
その~ぉ、つまり、自分勝手で他者を顧みないし、他人の
我慢の限界も分からない。
例えば、「礼節」をわきまえない。「節義」に欠ける。
「節操」がない。 みんな顔色がうかがえない人たちです。
ゴミの「分別(ぶんべつ)」ができない。
物事の「分別(ふんべつ)」がつかない。
こちらも、同様に、他者の顔色が分からない人たちです。
アンダーラインの文字は、「節」と「分」、「節分」です。
節分とは「顔色をうかがう」ことと見つけたり
立春とは、まったく名ばかりで … 気象学的というよりも
実質的な春はまだまだ先のことですが、こうして、きょうまで
人様に大きな迷惑をかけることもなく、なんとか生きて来れた
のも、あの日やその日の鉄拳パーンチのお陰です。
ありがとう。お母さん! そして、ちょっぴり、お父さんも…
きょうの「身近にあるちょっとした幸せ」は、そんな両親の
もとに生まれて来れたことにしょうっと…
やっぱり、顔色は、うかがわなくっちゃネ! じっくりと
おっと、退散、退散…
眉間にシワを寄せた1号 さんがやって来た。
ええぃ、 (鬼は~ 外!)
…って、 節分 は、きのうだっけ …
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