透明人間たちのひとりごと

もののあわれを知る心

 自分を日本人だと信じて疑わないボク だけど、自分を
日本人だと認識させているものとはなんだろうquestion2

 ふと、そんな疑問にぶち当たったボク は馬鹿にされる
のを覚悟で先輩の 2号 さんに訊(たず)ねたのです。

 「日本人の両親から生まれて、日本で育った人間は、皆、
日本人ですよね」

 「何をトチ狂ったことを言っているんだ。  日本の国籍が
あれば日本人に決まっているだろ」 という返事を半分以上
期待しての質問だったのですが …

 「形而下(物理的 right 形式的)にはそうかも知れないけど、
形而上的(無形 right 精神的 right 心情的 )には日本人だとは
呼べない輩が多い」 という小難しい答が返ってきました。

 どうやら見てくれだけは日本人でも心は日本人じゃない、
日本人もどきがいるということらしいのです。

 「日本人の両親から生まれて、日本の学校に通い、日本
で育った人間はすべからく日本人という仮面を被るけれど
その実体は必ずしも日本人とは言えない者になっている」
と説明してくれたのですが、どうもよく分かりません。

 「そもそも日本人って、『日本人の心』 って何ですか」

 「敷島の 大和心を 人問わば …
         朝日に匂う 山桜花」
だな。

 ますますもって、わけが分かりませんase2

 この和歌の作者が国学者の本居宣長であることは、
薄っぺらな知識としては把握していましたが、その意味まで
は深く考えたことなどなかったからです。

 有名であることと、その内容や心情が十分に理解されて
いることとはイコールではありません

 この歌が一般に周知されるキッカケというか、有名となる
原因のひとつに、先の戦争に連なる軍国主義を想起させる
というものがあります。

 正確には利用されたと言うべきですが、予断や先入観を
もってそのように受け取られてしまうのです。 

 知る人ぞ知るように、太平洋戦争末期に急遽編成された
神風特別攻撃隊 の先陣を飾るべくして命名された
「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」
のもとになった和歌でもあるからですase

 洒落で、本居(もとおり)とかけるわけではありませんが、

 もとより 「桜」 は散り際の潔さをもって、武士の心得を
謳うと解釈(誤用)されました。

 ましてや、この歌は、

 新渡戸稲造 が著した 『武士道』 に紹介され、
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
で有名な 『葉隠』 における文言と相まって、ますます、
お国のために 「散る」 ことを潔しとするような間違った
考え方を助長して賛美されたわけです。

 本居宣長が生きた時代は、藩が主体の封建制です。

 武士においては当然のことに、藩のためにという意識は
あったのでしょうが、商人や百姓たちにはお国のためなど
という発想があろうはずもありません。

 本居宣長は、武家ではなく伊勢国(三重県)松坂の商家
の生まれで、長じて医者となった人物です。

 ですから、

 「春の山々を美しく彩(いどろ)る 「やまざくら」 に日本人
は親しみを覚える … だから 「やまざくら」 に日本の原点
を知る思いがする … 朝日にほのかな香りをただよわせて
とても美しいと思う。 そうした心こそが日本人の心なのだ」

 そう和歌に詠んだだけ … と、2号 さんは言います。

 ちなみに、「敷島の」 は大和=日本を修飾する枕詞
(まくらことば)なのだそうです。

 換言すれば、「自然を愛し、自然と調和する心を持って
いるのが日本人だ
」 とあくまでも個人として問われた時に
そう思うと言っているにすぎないのです。

 現代でも 「桜」ボク たち日本人がもっとも愛する
花のひとつに違いはありません。

 「桜」 を好む心情は、日本に咲く桜が日本固有の種と
いう理由ではなく、桜の花の美しさと気品と優雅さと儚さが
日本人的な美意識や美的感覚に適うのだと思われます。

 それはヨーロッパ人が愛でるバラの花にも比較されます
が、その心情を分かち合うことは到底できません。

 バラには桜の花のような純真さはありません

 あでやかで気品を感じさせますが、濃厚な香りが曲者で
色艶と甘美さのなかにトゲと毒を隠し持っています。

 いつとはなく散り果ててゆく桜に対して、枝についたまま
朽ち果ててゆく姿は否が応にも生への執着を連想させて
死を厭い恐れているようにも感じます。

 桜の花のひとつひとつは実に質素ですが、満開ともなる
と、その美しさはすべてを凌駕する迫力と圧倒的な粧いで
人々を魅了します。

 もちろん、そこには トゲも毒もありません

 あとはただ、自然のおもむくままに、決して抗うことなく、
時に従いつつ淡い香りとともに風に命を散らすだけです。

 個はさほどならずとも、集団や組織となると力を発揮する
なんて、いかにも日本人的すぎて怖いくらいですが …

 それもこれも手前みそのエコ贔屓ってヤツでしょうかase2

 それとも、「郷土愛」「祖国愛」 … あるいは
「愛国心」 とやらが 日本人 であるべき ボク
そう言わせているのでしょうか

 元々の大和心 right 大和魂は 「もののあわれ」
知る 「心」 にあるとされます。

 そういえば 「桜」 は、バラ科サクラ属に分類
されるのだそうですが、バラ科とは実に興味深いものです。

 そこで、

 植物 を動物を含めた生物全般を内包するものとした
場合に、バラ科 を霊長目ヒト科と同義(人類)とすると、
サクラ属は日本民族というカテゴリーに入ります。

 日本の固有種である 「山桜」 に日本人の 「心」
投影すれば、そこに 「もののあわれ」 を知る術が
あるということでしょうかquestion2

 だとしたら、ボク たちが日本人であるための確固たる
アイデンティティは 「もののあわれ」 を知る「心」
に帰結するということになるのですが …

 ところで

 「日本人には日本人もどきの似非(エセ)なる日本人と
純然たる日本人がいる
」 と言った 2号 さんにその辺り
のことを確かめようとしていると、唐突に1号 さんが割り
込んできて、「愛国心と日本人」 に関する記事を
それぞれにエントリーしようと持ち掛けてきたのです。

 要請のかたちではあっても半ば強制であり、上意下達の
トップダウンです。

 少なくとも1号さんには 「もののあわれ」 を知る
「心」 など微塵もないと思っていたら、ある意味でこれが
「もののあわれ」を具現化した事例だと云うのです。

 なんのことやら、まったくもってチンプンカンプンで、自分
自身を含めてほとんどの日本人が純粋な心根と無垢なる
「大和魂」 を持っている日本人であるとは信じ難く …


 symbol2 「敷島の 大和心を 人問わば …」

  もう 完全疑心暗鬼生じ させて

 「朝日に匂う山桜花」 なのです。

 2号 さんによる解説では、朝日新聞は捏造ばかりで、
山桜花(日本人の心の原点)さえも怪しく疑わしく匂う
(思えてならない)という意味合いになるそうですが …

 それにしても、

 先の 1号 さんの要請がたとえ理不尽に思えても

 そこに 「もののあわれ」 があると云うのは …

 どうにも合点がいきません

 それを理解できないボクはエセ日本人なのだろうかquestion2

 もし、そうだとしたら、いったい何をどのようにしたのなら

 本当の日本人になれるというのか


 …て、 これじゃあ、ボク自身

 もののあわれ そのものじゃんase

 だ・か・ら …

 それが 日本人だっちゅうの

コメント一覧

むらさき納言
そっか、ココナンくん大先輩だったんだ!

じゃ、ヤマトナデシコしなくちゃ。 なんてね❣
ココナン
正確には覚えていないけど、多分もう、とっくに10年選手になってると思うけど、むらさき納言さんはボクよりもずっと後輩だったんですね。

何か途中から完全に逆転してるようですが・・・
おじゃま虫
このページがむらさき納言さんのコメントデビューだったんですね。

ココナンさんは、さらにもっと古そうですが・・・
ココナン
日本人と日本人もどきの見分け方とか、選別の基準とかのエセ日本人に関する話が中途半端で尻切れトンボ状態なのが残念です。
むらさき納言
はじめまして、むらさき納言と申します。
日本人って繊細で気遣いのできる優しい人々だと思います。
桜とバラの比較は的確で納得のいく比喩でした。
「もののあはれ」は「一期一会」や「諸行無常」と同じ「心」です。
意識するしないに関係なく日本人のDNAに深く刻み込まれていると思いますよ。
皮肉のアッコちゃん
「日本人と云ふは不可解なりと見つけたり」…ですね!
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