透明人間たちのひとりごと

オオカミ少年の物語 <3>

 最悪「レベル7」 ですって 

 福島第1原発事故の深刻度を示す国際評価尺度(INES)
の暫定評価で外部へのリスクを伴う事故である 「レベル5
の状況に戦々恐々としていたのに 「レベル6」(大事故) を
飛び越えて、一気に最悪の危険度とされる 「レベル7」 へと
評価が引き上げられてから9日が経過します。

 これ以上はないとされる最悪のワースト評価ですよ。

 本当でしょうか

 もし、本当ならば深刻どころの状況では済まされない話で
、大袈裟でもなんでもなく世界的な危機となり得るものです。

 そうならば日本政府としては、一民間企業である東京電力
などにいつまでも任せてはおけないはずで、それこそ世界中
の頭脳を集めては、事故に対応しうるあらゆる装備や重機を
集結し一刻も早い事故の収束ための手段・行動を取るべき
なのです。

 ところが、相も変わらずに会見するのは、東電であったり、
原子力安全・保安院であったり、政府高官(枝野官房長官)
や菅総理大臣だったりで、その内容もまちまちです。

 他にも、原子力委員会などもあり、原子力関係の窓口が
実際によく分かりません。

 世界的には、 核の番人として、オーストリアのウィーンに
本部を置く IAEA (国際原子力機関)があるわけですが、
JAEA というと、日本原子力機関 という組織ではなく、
日本原子力研究開発機構(略称では原子力機構)という
独立行政法人になります。

 何をするところなのかは分かりませんが、名称通りだと
すれば、原子力の有効利用の研究・開発なのでしょう。

 少なくとも 原子力の番人 ではないようで、どうやら
原子力安全・保安院に管理・監督権があるようなのです。

 尚、IAEA の地域事務所は東京とトロントに、連絡室は
ニューヨークとジュネーヴにあります。

 その IAEA が19日の記者会見で、福島第1原発事故の
本格的な原因究明などを行なう調査団を来月(5月中)にも
日本に派遣する方針を表明しました。

 すでに、日本には放射線量の測定などの専門家チームを
派遣し、事務局長(天野之弥氏)も訪日しましたが、日本側
の要請によって各国の専門家による構成で事故の評価など
の総合的な活動を行なうようなのです。

 話を戻しますが、
 
 「レベル7」 の衝撃が世界中を駆け回っているような
途轍もない緊急事態時において、情報が錯綜かつ多元的
なのは何故ですかquestion2  

 どこかですっきりと一本化できないものなのでしょうかeq

 つまりは、そうです。 そういうことなのです。

 そんなんで本当に最大限の危機的状況下にある最悪の
事態としての 「レベル7」 なのですかeq

 実質的には、大事故としての 「レベル6」 の段階なの
ではないのですか

 … という 疑問 が、当然のことのように ボク のなかに
湧き起こっています。

 ボク ひとりだけでなく国民の多くが政府の評価に疑いを
持ち、その対応にどこか懐疑的になっているさまは、まるで、
イソップ物語の 「オオカミ少年」 が暮らしていた村の
村人たちと同じです。

 このままでは、羊飼いの少年(政府)の言葉を信じられない
ままに被害を大きくした村人(日本国民)になりかねません。

 この場合の被害とは福島県の人々に対する事故の実害と
日本国内での風評被害はもちろんのこと、最悪の「レベル7」
に陥った日本に対する世界中での風評被害などを指します。
 
 もしそれを本当に、 「最悪」 と言うのなら事故そのもの
の状況ではなく 「レベル7」 と発表した時間的な意味で
タイミング だったというべきなのでしょう。
 
 村人が 「もう、ウンザリだよ。 いいかげんにしてくれexclamation2
と言わんばかりに辟易としていたそんなバッドなタイミングに
「オオカミが来た!!レベル7 だ)と叫ぶ
羊飼いの少年の声がしたのですから …

 つまりそれが、政府の判断や対応が 「レベル7」 だと
いうのなら、話はストンと腑に落ちるのですが …。


 是非ともそうならないように、なんとか日本政府には、

 人類の英知を結集して原子力利用の 「安全神話」
やらを見事にリフォームして見せて欲しいものです。

 とは言っても、一旦、崩れた 「神話」 はリフォームする
ことができたとしても、「神話」 たり得る絶対性や神秘性
は害(そこな)われ、対処療法的に継ぎ接ぎに増改築された
イミテーション・ストリーの謗(そし)りは免れず、結局のところ
増長して舞い上がった裸のサル(人類)の悲しくも空しいだけ
の負の遺跡(遺産)と化すのが オチなのかも知れません。

 人間は自然をコントロールできないのです。(でしょうか)
 ただただ、破壊しているだけなのです。(でしょうか)

 無学とは言えないまでも浅学非才な ボク には、正直な
ところよく分かりませんが、コントロールすることは無理でも
自然と仲良く付き合うことはできると思えるのです。

 「その結果がこれじゃねえかexclamation2」 と言う人々もいるでしょう
が、それは仲良くという姿勢ではなく、単に上手く付き合おう
としていただけだったのです。

 誰だって触れられたくないことや気分を害する場面に遭遇
すれば不機嫌にもなります。

 自然もきっとそうだと思うのです。

 デベロップメント(開発)と言っては、あるべき山の姿を変え
野の緑を隠し、公害を垂れ流し粉塵や排煙を撒き散らして、
川や海や空気を汚し産業廃棄物の山を築いてきたのです。 

 それは、どう見ても仲良くではありません。

 自然を上手く操って付き合おうとする姿です。 

 自然にすれば、それはとても不快で、許し難くすこぶる機嫌
も悪かったのでしょう。

 その結果が今回の大震災の遠因ならぬ一因となっていると
言っても決して言い過ぎではないのかもしれません。

 仲良くするとは、自然の良いところ(四季の景観や風情)も
悪いところ(天変地異)もそのまま受け入れるということです。

 好んで、反抗的、破壊的、征服的になってはいけません。

 ところで

 『オオカミ少年』 の話についてですが …

 オオカミがヒツジの群れを襲うのは自然界の食物連鎖の
一環で日常茶飯事的なあたりまえの出来事です。

 そのことは村人たちも承知していました。

 村はずれに住む羊飼いの少年は、その村の入り口を守る
見張り番のような役割(存在意義)をもっていたはずです。

 そうでなければ、村人たちの命や大切なヒツジを守るため
に番犬や大人の見張り番を置くなど何か別の手段や方策を
村人たちは講じていたはずなのです。

 その観点から言えば、『オオカミ少年の物語』 は、羊飼い
の少年の嘘を諫め、戒めるという主旨よりも、避難訓練
警戒をいかなる時でも怠るなという警告にこそ、その
目的があるとする 1号 さんの指摘に 《一日の長》
見い出だすことができると思うのです。

 『オオカミ少年』 の謎を推理せよという1号 さん
からの指令は、ある種の人災(パワー・ハラスメント)です。

 透明人間として、1号 さんとともに輪番制で記事の投稿
を担当している 2号 さんも 5号 である ボク も、時に
こうして記事のタイトルや内容を拘束され、ブログ名の通りの
「気まぐれ日記」 とはいかない制約、制限されたなか
での 「強要日記」 ということもあります。

 どうやら、いろんな意味合いで 災厄天災and人災)は
忘れる暇なくやってくるようです。

  だから大自然と同じように仲良く付き合うしかありません。

 まずは、一歩。 一歩づつ … ですネっ

 そうして

 一歩前進した時に、初めて未来の扉が開かれるように …

 言い換えれば、一歩踏み出そうとしたその 瞬間 から
未来約束 されるのかもしれません。

 被災地のみなさん! 

  希望をもって、もう一歩まえに踏み出しましょう。

 応援していますよ !!
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