マッカーサーは中国本土(主に満州への)爆撃や台湾の
国府軍(中華民国軍)の中国南部への上陸および原爆の
戦術的な使用の可能性など … 積極的な攻撃のプランを
ワシントンに宛てて強硬に主張していたのですが …
4月11日、連合国軍最高司令官にして国連軍総司令官
であった彼は第三次世界大戦を怖れるトルーマン大統領
によって、すべての指揮権を予告も警告もないままに突然
に剥奪されるのです。
その命令は自分の部隊に別れを告げることさえも許され
ないほどのそれは厳しいものでした。
この解任劇は米国のシビリアン・コントロールの威力を
まざまざと見せつけるサンプルのような出来事でしたが、
マッカーサーがトルーマン大統領に敬意を払わないなど、
配慮に欠けていたことも要因のひとつであったようです。
これから話すことはあくまでも if の世界というか、推測
に過ぎませんが、朝鮮戦争での「原爆使用提案」はブラフ
の要素が強く、膠着する事態を憂慮した米政府が和平劇を
演じようとするのに対し、鴨緑江(中国東北部と北朝鮮
との国境となる河)以北の工業施設への空爆と中国沿岸の
海上封鎖で補給路を遮断し、さらに国府軍(50万)が参戦
すれば、それで チェックメイト であり、そこに核兵器
の使用をちらつかせば、さらにダメ押しになるはずだと
マッカーサーは考えていたのではないでしょうか
彼は作戦の許可と承認を繰り返し求めますが、そこには
居丈高で挑戦的で十分過ぎるほど挑発的なマッカーサー
の姿があったのかもしれません
共産軍(中国、北朝鮮)の大補給基地となっていた満州
(満州国建国後の日本による多額の投資で一大工業地帯
となっていた 第二次大戦後もそのまま使用されていた
工業設備やインフラ施設)への攻撃は兵法の常道であり、
一方の当事者としての国連軍司令官としては当然に進言
すべき攻撃内容ですし、敵の補給路を断つために中国の
海岸を封鎖する許可を求め、台湾の国府軍の投入を再三
再四にわたって要求したのも、当然と言えば当然のことだ
とボクは思うのですが …
しかしながら、
トルーマンは満州どころか鴨緑江にかかる橋の爆破さえ
許さず、中国軍が鴨緑江を渡って攻めてきた時も、鴨緑江
にかかる6つの橋を空軍に破壊するようにマッカーサーが
命じたのに対し、ワシントンからの電報で彼の命令を撤回
させているのです
ソ連参戦の可能性に逡巡をつづけるトルーマン大統領に
マッカーサーは 「今のソ連に米国と戦争する力はない」 と
強引に迫ったわけですが、結局のところトルーマンに解任
されてしまうのです。
ソ連崩壊後の情報公開で、ソ連政府は朝鮮戦争に参戦
しないと決めていたことが判明しましたので、マッカーサー
の読みは見事に当たっていたというわけですね
中国も米国と全面戦争をする軍事的能力はなかったし、
原爆など使わなくとも米軍の軍事力をフルに活用すれば、
満州を攻略し共産軍を窮地に追い詰めて、戦争の終結に
向け事態が前進したことは間違いないことだったでしょう。
ところが、
戦争状態からの解消を模索していた国連や米政府中枢
の意向に反して、あからさまに シビリアン・コントロールを
無視して暴走(戦闘が中国国内まで拡大することによって
ソ連を刺激して、第三次世界大戦に発展しかねない危険
な行為を)するマッカーサーを抑えるべく、連合国軍および
国連軍における彼のすべての地位と権力を剥奪し、即時
解任したというわけですが …
もしも満州を攻略していれば、現代の朝鮮半島問題や、
北朝鮮による日本人拉致問題なども起こらなかった歴史
が、近代史として教科書に載っていたのかもしれません。
終戦後にもかかわらず北方四島の侵略を続けたソ連が
北海道を要求して、トルーマン大統領に拒絶されたという
ようなことが、 『東日本人民共和国』 のなかに
書かれていましたが …
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/348.html(参照)
日露戦争以前から日本固有の領土であった北方四島と
北海道を占領し、あわよくば東北地方から東日本を含めた
エリアを共産圏とする野望をスターリンは抱いていたと、
いう1号 さんの記事に、あえてマッカーサーに関連する
話を付け加えるとすれば、
トルーマンに拒否されたあともスターリンは北海道への
上陸作戦を用意周到に準備していたわけですが、それを
知ったマッカーサーは米憲兵隊(MP)にソ連占領軍代表
テレヴィヤンコ中将を拘束させ、関東に配備の予定だった
米軍 第11空挺師団を急遽、北海道へ緊急空輸したこと
で、さしものスターリンもやっと諦めたというわけなのです。
そうでなければ、「東日本共和国」 はともかくも、
「北日本社会主義人民共和国」 が現実の
国として存在していたのかもしれませんよ
さて、
トルーマン大統領に解任されたマッカーサーが帰国直後
の議会(上院公聴会)で、日本人は「12歳の少年」に
過ぎない旨の発言を行なったことは有名ですが、その意図
するところは、一体、どのようなものだったのか について
は、議論を要するところです。
しかし、ひとつだけ確かなことがあるのです。
もしも、そうした発言がなかったならば、米国に建てられた
「慰安婦像」 や中国のハルビン市でお披露目された
「安重根記念館」 などと同様に、世界の国々から
モノ笑いの種となるような モニュメント と比肩しても、
なお、威容を誇る大きさの 「マッカーサー神社」
なる壮大たる 建造物 が、ボクたち日本の国にも存在
していたのかもしれないということです
『バターン号と死の行進』 でも書いたように、
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/352.html(参照)
4月15日、マッカーサー元帥の離日を知った多くの日本の
老若男女が彼の宿舎である米大使館の前に集まり別れを
惜しむ様子が新聞等で報道され、翌16日 早朝の6時25分、
家族と車で出発する元帥を見送る人々は、彼の「回顧録」
によれば、200万人にのぼったそうです
沿道では、日・米の紙小旗が振られ万歳を連呼する人々
の声がいつまでも鳴り止まなかったようですが …
これって、中国の白髪3千丈にも匹敵するような誇張が
甚だしくて、鼻高々で高慢ちきなマッカーサーの面目躍如
って感じがしますよね
国会では、この日の午後に、マッカーサー元帥への感謝
決議案が上程され可決されたとありますが …
それは本当のことでしょうか
どうやら事実のようですが、ボクが調べた範囲では …
1951年4月15日、昭和天皇が米大使館に赴き、感謝の意
と別れをマッカーサーに告げます。
同日、都議会は臨時会議を開催して、全員一致をもって
感謝決議文を採択します。
4月16日、羽田までの沿道に都民 20万人 が見送り、
NHKのラジオ中継では、アナウンサーが 何度も、何度も
「Good-bye General MacArhur」 と叫び、
朝日・毎日、両紙は社説で感謝を述べています。
国会では感謝決議をして、政府は 「名誉国民」 の
称号を用意します。
並行して、「マッカーサー記念館」 をつくって、
「永久国賓」 にしようとか、日本を救った神としての
「マッカーサー神社」 を建立しようとする運動が
起こり、建立の発起人として、秩父宮両殿下、田中耕太郎
最高裁長官、金森徳次郎国立図書館長、野村吉三郎大映
社長(元駐米大使)、長谷部忠(朝日新聞社長)、本田親男
(毎日新聞社長)などが名を連ねているのです。
日本人はなんという純真無垢なる国民なのでしょうか
言葉を換れば、なんと幼く、未成熟で疑うことを知らない
民族なのだろうということでもあるのですが …
一見すると顔つきが同じように見える日・中・韓でも恨み
を忘れないためのモニュメントをせっせとつくることに没頭
する国や自国におよそ関係のないテロリスト(殺人者)の
記念館を自国内につくることにさしたる抵抗を覚えない国
と自国を占領した人物であっても、その威徳を称え感謝を
忘れないようにしようとする国とでは、自ずと民度の違いが
知れようというものです。
しかし、結局は …
「like a boy of twelve」 と言ったマッカーサー
の言葉に差別意識を自覚した日本人からマッカーサー熱
が急速に冷めて 「マッカーサー神社」 は幻と化し
立ち消えとなったわけですが、この 「12歳発言」 は、
実に 意味深長 なものだと考えられるのです。
一般的には、日本人を蔑み、小馬鹿にした言葉であると
受け取れるわけですが、上院公聴会での発言記録では、
「日本は自由主義陣営の一員として留まり、ソ連側に
なびくようなことはない」
「ドイツは悪党だが日本はそうでない」
… という日本擁護論の文脈のなかで出てきた言葉です。
公聴記録を引用すると … 「ドイツは成熟した人種でした。
もしアングロサクソンが人間の年齢で45歳であるとすれば、
ドイツ人も同じくらい成熟していました。 しかし、日本人は、
時間的には古くからいる人たちですが、指導を受けるべき
状況にありました。近代文明の尺度で測れば、われわれが
45歳という成熟した年齢であるのに比べると、日本は12歳
の少年と言ったところでしょう」
以下を要約してみると、「ドイツ人はわれわれと同じくらい
の成熟度であり、彼らが国際的な規範を破ったとしたなら、
それは彼らが意図したことであって、世界について知識が
なかったからそういうことをしたのではありません」
「日本人がある程度そうだったように、ついうっかり、そう
してしまったということではなく、ドイツ人は自らの軍事力を
用いることが、自分の望む権力と経済制裁への近道と考え
、熟慮の上での政策として、それを行使したのです」
「ドイツはいうなれば確信犯で、冷徹に国益の損得勘定
を考えてああいう悪いことをやった。 日本はそうではない。
まだ国際社会に出て間がなくて、ちょっとだけ道を踏み外し
てしまった。 でも、自分が占領統治をして良い国になった
のだから、大丈夫だ」
「日本はまだ12歳の少年で、まだまだ
教育が可能で、覚えが早くて優等生だ」
確かに日本擁護の流れのなかでの発言ですが、やっぱり
どこかで日本人を見下しているのは間違いありません。
昭和天皇は、マッカーサーが帰国する前日に米大使館を
訪問し 別れを告げていますが、帰国当日にGHQが見送り
を要請した際には侍従長を派遣しただけでした。
昭和天皇訪米のときも、マッカーサー夫人の再三の案内
にもかかわらず 「マッカーサー記念館」 に行くことも、彼の
墓参をすることもありませんでした。
その意味からも、「マッカーサー神社」 が建立
されなかったことは、歓迎すべきことだったのでしょう
日本において未来永劫にわたりモノ笑いの種
になったであろう 「幻の遺物」 の話は、もうこれくらい
にするとして、実は、マッカーサーが言いたかったことは …
「極東国際軍事裁判(東京裁判)」 とも
関連しますが、日本が起こした戦争行為は自らが意図した
侵略行為ではなかったということなわけですね
つまり、それは …
「東京裁判」 の批判であり、「12歳の少年」
の犯した罪は少年法に照らしてみても、「無罪」
であって、その趣旨からいっても 要観察の必要 が
あるという程度のことだったのです
それにしても、
なんだか ムカ つく話なんですけど …
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