透明人間たちのひとりごと

幻のマッカーサー神社

 1951年 4月、朝鮮戦争の行き詰まりを打開するために、
マッカーサーは中国本土(主に満州への)爆撃や台湾の
国府軍(中華民国軍)の中国南部への上陸および原爆の
戦術的な使用の可能性など … 積極的な攻撃のプランを
ワシントンに宛てて強硬に主張していたのですが …

 4月11日、連合国軍最高司令官にして国連軍総司令官
であった彼は第三次世界大戦を怖れるトルーマン大統領
によって、すべての指揮権を予告も警告もないままに突然
に剥奪されるのです。

 その命令は自分の部隊に別れを告げることさえも許され
ないほどのそれは厳しいものでした。

 この解任劇は米国のシビリアン・コントロールの威力を
まざまざと見せつけるサンプルのような出来事でしたが、
マッカーサーがトルーマン大統領に敬意を払わないなど、
配慮に欠けていたことも要因のひとつであったようです。

 これから話すことはあくまでも if の世界というか、推測
に過ぎませんが、朝鮮戦争での「原爆使用提案」はブラフ
の要素が強く、膠着する事態を憂慮した米政府が和平劇を
演じようとするのに対し、鴨緑江(中国東北部と北朝鮮
との国境となる河)以北の工業施設への空爆と中国沿岸の
海上封鎖で補給路を遮断し、さらに国府軍(50万)が参戦
すれば、それで チェックメイト であり、そこに核兵器
の使用をちらつかせば、さらにダメ押しになるはずだと
マッカーサーは考えていたのではないでしょうか

 彼は作戦の許可と承認を繰り返し求めますが、そこには
居丈高で挑戦的で十分過ぎるほど挑発的なマッカーサー
の姿があったのかもしれません

 共産軍(中国、北朝鮮)の大補給基地となっていた満州
(満州国建国後の日本による多額の投資で一大工業地帯
となっていた right 第二次大戦後もそのまま使用されていた
工業設備やインフラ施設)への攻撃は兵法の常道であり、
一方の当事者としての国連軍司令官としては当然に進言
すべき攻撃内容ですし、敵の補給路を断つために中国の
海岸を封鎖する許可を求め、台湾の国府軍の投入を再三
再四にわたって要求したのも、当然と言えば当然のことだ
ボクは思うのですが …

 しかしながら、

 トルーマンは満州どころか鴨緑江にかかる橋の爆破さえ
許さず、中国軍が鴨緑江を渡って攻めてきた時も、鴨緑江
にかかる6つの橋を空軍に破壊するようにマッカーサーが
命じたのに対し、ワシントンからの電報で彼の命令を撤回
させているのです

 ソ連参戦の可能性に逡巡をつづけるトルーマン大統領に
マッカーサーは 「今のソ連に米国と戦争する力はない」 と
強引に迫ったわけですが、結局のところトルーマンに解任
されてしまうのです。

 ソ連崩壊後の情報公開で、ソ連政府は朝鮮戦争に参戦
しないと決めていたことが判明しましたので、マッカーサー
の読みは見事に当たっていたというわけですね

 中国も米国と全面戦争をする軍事的能力はなかったし、
原爆など使わなくとも米軍の軍事力をフルに活用すれば、
満州を攻略し共産軍を窮地に追い詰めて、戦争の終結に
向け事態が前進したことは間違いないことだったでしょう。

 ところが

 戦争状態からの解消を模索していた国連や米政府中枢
の意向に反して、あからさまに シビリアン・コントロール
無視して暴走(戦闘が中国国内まで拡大することによって
ソ連を刺激して、第三次世界大戦に発展しかねない危険
な行為を)するマッカーサーを抑えるべく、連合国軍および
国連軍における彼のすべての地位と権力を剥奪し、即時
解任したというわけですが …

 もしも満州を攻略していれば、現代の朝鮮半島問題や、
北朝鮮による日本人拉致問題なども起こらなかった歴史
が、近代史として教科書に載っていたのかもしれません。

 終戦後にもかかわらず北方四島の侵略を続けたソ連が
北海道を要求して、トルーマン大統領に拒絶されたという
ようなことが、 『東日本人民共和国』 のなかに
書かれていましたが …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/348.html(参照)

 日露戦争以前から日本固有の領土であった北方四島と
北海道を占領し、あわよくば東北地方から東日本を含めた
エリアを共産圏とする野望をスターリンは抱いていたと、
いう1号 さんの記事に、あえてマッカーサーに関連する
話を付け加えるとすれば、

 トルーマンに拒否されたあともスターリンは北海道への
上陸作戦を用意周到に準備していたわけですが、それを
知ったマッカーサーは米憲兵隊(MP)にソ連占領軍代表
テレヴィヤンコ中将を拘束させ、関東に配備の予定だった
米軍 第11空挺師団を急遽、北海道へ緊急空輸したこと
で、さしものスターリンもやっと諦めたというわけなのです。

 そうでなければ、「東日本共和国」 はともかくも、
「北日本社会主義人民共和国」 が現実の
国として存在していたのかもしれませんよ

 さて

 トルーマン大統領に解任されたマッカーサーが帰国直後
の議会(上院公聴会)で、日本人は「12歳の少年」
過ぎない旨の発言を行なったことは有名ですが、その意図
するところは、一体、どのようなものだったのか について
は、議論を要するところです。

 symbol2kirakira2 しかし、ひとつだけ確かなことがあるのです

 もしも、そうした発言がなかったならば、米国に建てられた
「慰安婦像」 や中国のハルビン市でお披露目された
「安重根記念館」 などと同様に、世界の国々から
モノ笑いの種となるような モニュメント と比肩しても、
なお、威容を誇る大きさの 「マッカーサー神社」
なる壮大たる 建造物 が、ボクたち日本の国にも存在
していたのかもしれないということです

 『バターン号と死の行進』 でも書いたように、

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/352.html(参照)

 4月15日、マッカーサー元帥の離日を知った多くの日本の
老若男女が彼の宿舎である米大使館の前に集まり別れを
惜しむ様子が新聞等で報道され、翌16日 早朝の6時25分、
家族と車で出発する元帥を見送る人々は、彼の「回顧録
によれば、200万人にのぼったそうです

 沿道では、日・米の紙小旗が振られ万歳を連呼する人々
の声がいつまでも鳴り止まなかったようですが …

 これって、中国の白髪3千丈にも匹敵するような誇張が
甚だしくて、鼻高々で高慢ちきなマッカーサーの面目躍如
って感じがしますよね

 国会では、この日の午後に、マッカーサー元帥への感謝
決議案が上程され可決されたとありますが …

 それは本当のことでしょうか

 どうやら事実のようですが、ボクが調べた範囲では …

 1951年4月15日、昭和天皇が米大使館に赴き、感謝の意
と別れをマッカーサーに告げます。

 同日、都議会は臨時会議を開催して、全員一致をもって
感謝決議文を採択します。

 4月16日、羽田までの沿道に都民 20万人 が見送り、
NHKのラジオ中継では、アナウンサーが 何度も、何度も
「Good-bye General MacArhur」 と叫び、
朝日・毎日、両紙は社説で感謝を述べています。

 国会では感謝決議をして、政府は 「名誉国民」
称号を用意します。

 並行して、「マッカーサー記念館」 をつくって、
「永久国賓」 にしようとか、日本を救ったとしての
「マッカーサー神社」 を建立しようとする運動が
起こり、建立の発起人として、秩父宮両殿下、田中耕太郎
最高裁長官、金森徳次郎国立図書館長、野村吉三郎大映
社長(元駐米大使)、長谷部忠(朝日新聞社長)、本田親男
(毎日新聞社長)などが名を連ねているのです。

 日本人はなんという純真無垢なる国民なのでしょうかquestion2 

 言葉を換れば、なんと幼く、未成熟で疑うことを知らない
民族なのだろうということでもあるのですが … ase2

 一見すると顔つきが同じように見える日・中・韓でも恨み
を忘れないためのモニュメントをせっせとつくることに没頭
する国や自国におよそ関係のないテロリスト(殺人者)の
記念館を自国内につくることにさしたる抵抗を覚えない国
と自国を占領した人物であっても、その威徳を称え感謝を
忘れないようにしようとする国とでは、自ずと民度の違いが
知れようというものです。

 しかし、結局は …

 「like a boy of twelve」 と言ったマッカーサー
の言葉に差別意識を自覚した日本人からマッカーサー熱
が急速に冷めて 「マッカーサー神社」 は幻と化し
立ち消えとなったわけですが、この 「12歳発言」 は、
実に 意味深長 なものだと考えられるのです。

 一般的には、日本人を蔑み、小馬鹿にした言葉であると
受け取れるわけですが、上院公聴会での発言記録では、

 「日本は自由主義陣営の一員として留まり、ソ連側に
  なびくようなことはない


 「ドイツは悪党だが日本はそうでない」

 … という日本擁護論の文脈のなかで出てきた言葉です。

 公聴記録を引用すると … 「ドイツは成熟した人種でした。
もしアングロサクソンが人間の年齢で45歳であるとすれば、
ドイツ人も同じくらい成熟していました。 しかし、日本人は、
時間的には古くからいる人たちですが、指導を受けるべき
状況にありました。近代文明の尺度で測れば、われわれが
45歳という成熟した年齢であるのに比べると、日本は12歳
の少年と言ったところでしょう」

 以下を要約してみると、「ドイツ人はわれわれと同じくらい
の成熟度であり、彼らが国際的な規範を破ったとしたなら、
それは彼らが意図したことであって、世界について知識が
なかったからそういうことをしたのではありません」

 「日本人がある程度そうだったように、ついうっかり、そう
してしまったということではなく、ドイツ人は自らの軍事力を
用いることが、自分の望む権力と経済制裁への近道と考え
、熟慮の上での政策として、それを行使したのです」

 「ドイツはいうなれば確信犯で、冷徹に国益の損得勘定
を考えてああいう悪いことをやった。 日本はそうではない。
まだ国際社会に出て間がなくて、ちょっとだけ道を踏み外し
てしまった。 でも、自分が占領統治をして良い国になった
のだから、大丈夫だ」

 「日本はまだ12歳の少年で、まだまだ
教育が可能で、覚えが早くて優等生だ」


 確かに日本擁護の流れのなかでの発言ですが、やっぱり
どこかで日本人を見下しているのは間違いありません。

 昭和天皇は、マッカーサーが帰国する前日に米大使館を
訪問し 別れを告げていますが、帰国当日にGHQが見送り
を要請した際には侍従長を派遣しただけでした。

 昭和天皇訪米のときも、マッカーサー夫人の再三の案内
にもかかわらず 「マッカーサー記念館」 に行くことも、彼の
墓参をすることもありませんでした。

 その意味からも、「マッカーサー神社」 が建立
されなかったことは、歓迎すべきことだったのでしょうase2

 日本において未来永劫にわたりモノ笑いの種
になったであろう 「幻の遺物」 の話は、もうこれくらい
にするとして、実は、マッカーサーが言いたかったことは …

 「極東国際軍事裁判(東京裁判)」 とも
関連しますが、日本が起こした戦争行為は自らが意図した
侵略行為ではなかったということなわけですね

 つまり、それは …

 「東京裁判」 の批判であり、「12歳の少年」
の犯した罪は少年法に照らしてみても、「無罪」
であって、その趣旨からいっても 要観察の必要
あるという程度のことだったのですpeace

 それにしても、

 なんだか ムカ nose6 つく話なんですけど …

コメント一覧

〇〇ブン-〇ブン
ロバもイソップ寓話では大概がまぬけで愚かな役回りが多いと思うけどね。
出たとこ勝負
「オオカミ少年」だろうな!?
ボクにおまかせ
不当に貶められているイソップ童話の●●って何だろうな?
むらさき納言
不当に貶められ続けている日本って、まるで、福音書の中のイエスだったり、前半生のシンデレラやイソップ童話の〇〇のようですが・・・
夢見る悪魔もどき
日本人って、どうしてこうもお人好しなんでしょうか?

でも、純真無垢な少年の心を持ち続けられないのが処世ですので、性善説はほどほどに・・・
やぶにらみ
拍手ランキングに唯一あったので、また覗いてしまったが、
百田尚樹が確信犯であることは、疑う余地はない!
だが、「日本国紀」の内容はなかなかですな。
江戸川ドイル
「売り家と唐様で書く三代目」は、洒落っぽい皮肉気味の
ジョークつうか、「売り言葉に買い言葉」的なニュアンス
を感じますが、旅人さんには通じなかったのかも!

5号さんの勇み足だったということですね。

やぶにらみさん、百田尚樹は確信犯ですよ!
やぶにらみ
し、しまった(^▽^;) うっかりミスや、洒落にならんで!

百田氏の心境はそんな感じかもしれませんね。

せめて、旅人さんのコメントにある白井聡氏の書籍並みに「マッカーサー記念館」とも呼ばれていたとか何とか註釈を入れておけばよかったのにねぇ!

まあ、確信犯かもしれませんが・・・

それにしても、江戸川ドイル殿のナイスフォローの気遣いに感謝してます。
透明人間5号
旅人さんへ、

今風のバックパッカーとはネットサーファー的な安上がりのチョイ見系のトラベラーの意味
で、昔風は耳学問頼りの覗き見タイプです。

やはり、予想通りに贅沢派ではないこだわりの直言居士か、一家言あるくせものの一言居士とお見受けしますが、

要らぬ詮索で気分を害されたらお許しください。

それと、「さま」付けは気恥ずかしいので、今後もコメントしてくださるなら「さん」付けで結構です。

今回の記事を書くことになった端緒は、先輩の2号さんから「マッカーサー神社って知ってるか?」と訊ねられたことがキッカケですが、2号さんによるとマッカーサー神社が先か、記念館が先かは、「ニワトリと卵」のようなもので、神社ではさすがにマズイとして現代風の建築様式の施設である記念館にしたという話も伝わっているようで、そこはもう藪の中なのだそうです。

いずれにしても、ドイルさんの言うように当時、そうしたムーブメントがあって「神社もどきの計画があったという程度の認識でいいんじゃないか!」と2号さんは言っていました。

伝聞に伝聞を重ねると「売り家と唐様で書く三代目」になりかねないので気を付けろとも ・・・

やぶにらみさんの間違いもケアレスミスなのか、意図的なのかは藪の中で、本人のみぞ知ることなのです。
江戸川ドイル
それと細かいことを言うようだけど、三笠宮様じゃなくて、秩父宮様でしょ!

やぶにらみさん、見事な「やぶにらみ」でグッジョブです。

百田尚樹のうっかりミスにかけたシャレなのかもね!
旅人
透明人間5号さま

バックパッカーの、昔風(?)と「今風」の違いは分からないし、「贅沢派」でもないけれど、ちょいとばかしのこだわりはある、旅人です。

驚いたことに、白井聡「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)には、マッカーサー神社の記述があり、注釈には「『マッカーサー元帥記念館』とも呼ばれていたと思われる」とあります。

なんでそんな逆の認識になったのか、いぶかしく思うばかりです。
透明人間5号
旅人さんは、今風のバックパッカーでしょうか?
それとも、こだわりの贅沢派でしょうか!?

ご紹介の記事を読みました。

「憲政の神様」、「議会政治の父」と呼ばれる尾崎行雄の
記念館(現、憲政記念館)のある場所が問題となっている
「マッカーサー記念館」の仮称「マッカーサー神社」建立
の候補地だったということですね。

三宅坂の参謀本部跡地に鉄筋コンクリート3階建てのビル
にする予定だったとか・・・

参考になりました。 有難うございます。
江戸川ドイル
半藤一利の『ぶらり日本史散策』でもマッカーサー神社の件に触れているし、『日本占領秘史』では「マッカーサー神社をつくろうとか、マッカーサー記念館をつくろうとか言っていたという記述があるそうで、別途、神社建立案があった可能性も否定できないと思うよ。

少なくとも、当時そうした運動があったことは事実のようで、記念館にしろ神社にしろ、お人好しのお花畑であることにかわりはない。

「幻の遺物で、本当にありがとう」と心から叫びたいよね。
やぶにらみ
この記事を読む限りでは、確かに三笠宮両殿下以下の日本の
エスタブリッシュメントたちがマッカーサー神社建立のため
の発起人に名を連ねたようにも思えますが、文脈からみれば
、「マッカーサー記念館をつくって、永久国賓にしようとか
、日本を救った神としてのマッカーサー神社を建立しようと
する運動が起こり」と、あることからも、その発起人たちが
「マッカーサー記念館」の発起人たちであることは明白で、
直近の神社建立にのみ限定されるものではありませんね。

そもそも、昭和天皇の弟君にあたる三笠宮様の
名前がある
時点で神社建立が「マッカーサー記念館」の仮称や蔑称の
可能性、つまり揶揄や洒落であることは読めるでしょう。

百田尚樹氏にとってみれば「マッカーサー記念館」よりも
「マッカーサー神社」の方が望ましいわけで、うっかりと
飛びついてしまったという顛末でしょうかねぇ!?
旅人
透明人間5号さま

ご丁寧な返信をいただき、恐縮です。

ご存知かも知れませんが、ベストセラー作家の
百田氏が、『歴史の闇』から『掘り起こし』たと、マ神社のことを「日本国紀」に書いているようなのです。

そこで、マ神社をggって、上の方に表示されるこちらさまにお邪魔した次第です。

そのように探していて、まっとうなサイトに
「幻の『マッカーサー記念館』」という記事を
見つけましたので、よろしかったらご覧になってみてください;

https://www.ozakiyukio.jp/column/009.html
透明人間5号
こんにちは、旅人さん!
ご指摘ありがとうございます。

つい先刻ですが、一泊二日の忘年会から戻ってくるとブログ
が大変なことになっていて、いつもは50~60アクセスくらい
なのに、およそ2倍の訪問数にビックリして調べてみると、
どうやら、この記事の所為のようです。

早速、ご案内のURLを参照すると、なるほどと合点が行き
ました。

お尋ねの件ですが、5年近くも前の記事で、正直なところ
出典先やソース元についての記憶は曖昧です。

おそらく、何かの記事や参考文献があったと思うのですが

西 鋭夫氏の「國破れてマッカーサー」の記事か、何かを
参考にしたのかもしれません。

ただ、このブログの記事の趣旨は、そこにあるのではなく
タイトルこそ「幻のマッカーサ―神社」となっていますが
その真偽云々よりも日本擁護とは言え、日本人を小馬鹿に
した12歳の少年発言と東京裁判に対する批判とをからめた
「少年法」のオチにもっていこうとしただけのたわごとで
あって、記事カテゴリーの分類どおりの「戯言」です。

しかし、たとえ、たわごとであるとしても、出典元などは
キチンと明記すべきであったと反省しています。
旅人
>並行して、「マッカーサー記念館」 をつくって、「永久国賓」 にしようとか

あたかも、マ元帥記念館設立の発起人が言い出したかのようにとれますが、『永久国賓』に関しては政府の発案で、「終身国賓に関する法律案」ですよ
旅人
はじめまして

本気で「マッカーサー神社」を建立しようとした人たちがいたと読みとれますが、そのソースは何なのでしょうか?

マ元帥記念館のことを「マッカーサー神社」と揶揄したひとがいた、という情報しか見つけられないのですが。

そもそも、マッカーサーが敬虔なクリスチャンであることは、よく知られていたはずなのに、「神」にしようなどと考える知識人がいたとは、到底考えられませんけれど。

http://www.prideandhistory.jp/book-archive/book1/section3/chapter2/clause2/000584.html
ゼロッサム
まさか(マッサーカー)ねぇ、本当にマッカーサー神社をつくる気だったなんて、日本人はどうしてこうもお人好しなんだろう?

でも、もしも、あったら笑いものでもあるけど、ある意味では凄いかも、左の護憲派はマッカーサー神社に参拝し、右の改憲派派は靖国神社に参拝する絵が見れたのかもしれないよね!
ニワトリの卵サンド
日本人の寛容さなのか、野放図なのか、いい加減なのか。
それは、さておき、何でも神さまになっちゃう日本の凄さは、何なんですかねぇ。

まあ、この場合はポシャったようですが・・・

こういうのも「神対応」って言うんですか!?
5時から男
ドイツにしろ、日本にしろ、第2次大戦の敗戦国で地域の厄介者扱いだった両国が経済の優等生になった歴史は面白い。
これが偶然ではなく必然だったことは、現在「欧州の盟主」にのし上がったドイツとGDPで1ランクダウンしたとはいえ長い間、地域経済を牽引している日本の存在が証明している。

この必然性には、なんらかの意志がはたらいているに違いないのだ!
ルート1/2
ま、まさか! 「幻のマッカーサー神社」 建立なんてこと…
ないでしょうね??
ココナン
そういえば、一昨日(3月23日)超高層ビル(虎ノ門ヒルズ)の地下を貫通するGHQが建設を目指したとされる幻の「マッカーサー道路」が完成したというニュースが流れていたような…
バカボンのパパのパパ
信じられないのは、それが「日本人の七不思議」のひとつだからなのだ!
あとの6つは知らないのだ!
おいら
http://sin-sei.at.webry.info/
マッカーサーのことはよく知らないけど、敵国の司令官を数年の占領期間で神に祀るまでに日本人の意識を変えるなんて、俄には信じられんわ。
ルート1/2
何でも水に流せばいいってもんじゃない!
無差別空襲や原爆投下にはきちんと反論すべきだと思うし、反対に被害国からすれば、過去をなかったことにする国民性は、加害国として、実に都合のいい民族だと誤解されるんじゃないのかな?
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