という見出しに誘われて、4月9日10時56分 配信の記事
(読売新聞)にアクセスしました。
大阪のコンビニエンスストアで、若い男がアルバイト店員
に 「お金を出して下さい」 と要求したそうです。
店員 が聞き返すと、男は 「強盗です」 と話して
ナイフをちらつかせ、店員 が差し出した約3万5000円
入りの袋を奪って逃げたのです。
約10分後、警察署に 「私がやったんです」 と
出頭、強盗の疑いで緊急逮捕されました。
発表によると容疑者(26)は調べに対し、「生活費がなく、
国民健康保険料の支払いなどに困ってやった。自転車で
逃げる途中で、自分のしたことが怖くなった」 と話して
いるということでした。
「ふう~ っ、なんてこった」
溜め息と一緒に思わず口走った言葉のように、まったく
何ということなのでしょう。
無性に悲しい気持ちと万力で締めつけられているような
強烈な胸の痛みと同時に、息苦しくいたたまれない思いに
言いようのない怒りが交錯したのです。
おそらくは、その辺にいる極々普通の青年なのだろう。
魔がさしたというより、そのような卑劣な行為を選択した
背景には、そうせざるを得ないような袋小路にはまったか
落とし穴に誘導されたような気がしてならないのです。
派遣切りや正社員切りなどのリストラの嵐とは別に、
一方で増え続けるワーキングプアの人々…
「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」 彼も何度となく、
じっとその手を見つめていたのかもしれません。
結果的には、自らのその手にナイフを持つという最悪の
シナリオを選択してしまったわけですが…
それを世の中の問題だと、時代にもその原因の一端が
あるとして責任を転嫁することができないシステムが
資本主義という制度やしくみにあって、たとえ生活弱者で
あっても、無知蒙昧というか短慮で軽率で卑怯で、決して
許されざる行為であると言わざるを得ないわけなのです。
そこに言い知れぬ怒りと憐れみや哀しみを覚えるのです。
結局、行き着くところは“配分”の問題なのでしょう。
日本の人口はともかく、世界的には人口爆発は必至で、
すでに過剰傾向にあります。
ある本によれば、10億~20億前後の人口が適切範囲で
ある地球に、その数倍もの人間がひしめき合っているわけ
で、どこぞの神様が申した 「生めよ、ふえよ、地を満たせ」
どころの騒ぎではないのです。
創世記 第1章28節 天地創造のなかの言葉です。
適切な人口の範囲内でなら、解決不可能に感じられる
エネルギーと食糧の2つの大問題も起きなかったでしょう。
かつて、間引きや姥捨てという殺人行為が平然として
行なわれていた時代がありました。
限られた状況下で生き抜くための許されざる悪習です。
地球全体の容量も能力にも限度、限界があり、そこから
生産されるエネルギーや食糧には当然リミットがあります。
詰まるところ、その配分の問題に直面するわけです。
その意味では間引きや姥捨ての時代と同じような状況
がいずれ世界中のそこかしこで起きうるということです。
誰がどう控え目に見ても悲観的にならざるを得ない筈の
地球的規模での危機に対して、まだ先の話だとのんきに
構えていられる状況にはないのです。
と、言うよりも …
その恐るべき 未来 の出来事に気づいていながらも、
さかしまな知能をもって解決できると楽観しているのか、
それとも将来のために、その所業の清算手段として今から
爪や牙をとぎ、角(ツノ)という武器を準備しながらも着々と
謀略をめぐらしている国があるのかもしれません。
「きっと、そうだ~うぃん」(前稿) での生存闘争の果ての
「適者=強者」となるために …。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/166.html(参照)
人間は生存に可能な最小限のものだけを他から奪い取る
のではなく、欲望という名のもとに必要以上のものを貯えて
おこうとする習性をもっている。
つまり、現在はまだいいが、いずれは他人を押しのけて
でも生き残ろうという究極のエゴイスティックな生き方しか
残されていないと知るべきなのです。
人間にしろ、動物にしろ、植物から微生物にいたるまで、
すべての生物は他の生物の犠牲のうえに成り立っている
わけでDNA自体がエゴをプログラムしているのです。
生きるとはある意味で立派にエゴを貫くということでも
あるのです。
それは、ときに、《魔がさした》 とか 《悪魔のささやき》 と
いった表現にカムフラージュされてしまいます。
先の強盗犯の場合で言えば、そのとき、ひとりでも他の
客がいれば、あるいは、通りを歩く人影を見つけることが
できれば、その行為を思いとどまっていた可能性が高いと
考えられます。
ふっと我に返り、怖くなって出頭してきたという事実からも
容易に想像されます。
悪魔が囁(ささや)くとは、まさにこうしたタイミングの
ことをいうのです。
「やめなさい !」 とか 「愚か者 !」 が無理なら、
せめて小声で …
「やめておいた方がいいと思うけど …」
くらいの助言は囁(ささや)いて欲しいのに、こういうときに
限って神も仏もあらわれず、天使も決まって無言なのです。
「衣食足りて礼節を知る」 情けないか、それが人間の性
(さが)なのです。
現在は衣食は足りても不安感を拭(ぬぐ)いされない時代
なのです。
むしろ衣食を獲得し維持することよりも安心を担保したり
確保することのほうがずっと困難なのです。
強盗犯を擁護する意図はありませんが、一線を越えるか
踏みとどまるかの心のリミッター値は、下降の一途をたどり
罪の意識は日に日に希薄となり、刑罰もまた甘く酌量される
傾向にあるような気がするのです。
いわゆる、罪と罰のバランスの問題なのですが …。
『罪と罰』 罪を犯したひとりの人間が徐々に更正して
ゆく物語 … 作者 ドストエフスキーは結びで、この小説を
そのように紹介しているそうです。
(ごめんなさい。 読んでないので …)
生活費の工面もつかず国民健康保険の支払いの当ても
なくなり、ほとんど飢餓状態で狭苦しいアパートの一室
に閉じこもったままの青年の耳もとに、ある日、天使の声が
聞こえたのです。
「コンビニでお金をもらいましょう」
そう、それが、「ですます口調」の強盗犯を生むことになる
悪魔の囁(ささや)きだったのです。
彼は凶器としてドス(ナイフ)を用意して、大好きなファミマ
(ファミリーマート)を襲う計画を立てた。
ははぁ~ん、読めたぞ。
オチは、ドス(ナイフ)とF(ファミマ)好き~ってわけか!
えっ! 違う。
襲われたのは、「サンクス大阪加美北8丁目店」 …
どうも、腑に落ちないなぁ。
サンクスじゃ、ごっつあんですの王手飛車角獲りでしょ!
歩が成ってトキントキンで飛車角獲り。
えっ! ふ に落ちた
つまり王将を獲られれるわけにはいかないから、歩(腑)
に飛車角のいずれかが落ちるというわけですね。
神の飛車角、堕天使ルシファ(留守ファ)じゃないんだ。
てっきり、オチ は、
ファミマ が 留守 だったからだと思ったのに
なんかやっぱり、腑に落ちないなあ~
「ですます口調」 の強盗犯の1日も早い更正を祈ります。
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