日本列島を戦場にと … 東京、大阪、横浜、名古屋、京都
などを名指しして標的とする威嚇を発表(掲載)しましたが、
さらに一昨日(12日)には、朝鮮中央通信の論評で …
「(北朝鮮のミサイルの)射程圏内には常に日本が入って
おり、もしも日本が一瞬でも動きを見せれば戦争の火花は
まず日本で散ることになる」 と威嚇を強めています。
確か去年の今頃も北朝鮮の人工衛星と称する長距離弾道
ミサイルの発射に 右往左往 させられていたように記憶
していますが、この切迫した状況下で頼らざるを得ないのは
米軍の存在です。
米国自身が強調しているように、日本も韓国も米軍による
核の傘の中で守られていることは否定できない事実です。
こうした好戦的な隣国からの脅威と威嚇を目前にしても、
我が国は、米軍の力なしに自国を守る術を持てないでいる
というのが実際であり、三島由紀夫が憂(うれ)いの果てに
決起を促した 「三島事件」 の当時も、あれから40数年が
経過した現在の日本も、結局のところは何ひとつ変わって
いないというのが現実なのです。
そこで 5号 の記事 『三島由紀夫と北朝鮮』
に関してですが …
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多少なりとも誇張して語ったいくつかの陰謀論を 5号 が
真に受けたわけではないのだろうから、ああいう茶化し気味
のオチで終わらせたのだろうけど、内容は肝心なところが
抜け落ちていて中途半端な表現がかえって誤解を生む恐れ
があるので 、三島事件における1号 の推理をあらためて
ここに書き記(しる)しておきたいと思うのです。
結論から言えば、
三島由紀夫は 「自決したのではなく、自刃させられた
のではないか」 ということなのですが …
世上で喧(かまびす)しく語られる究極美としての自己陶酔
による殉教的な死やクーデターの失敗による覚悟の死では
なく、詰め腹を切らされたというのが1号 の見解です。
つまり、三島事件は、三島由紀夫と 『楯の会』 4名の単独
による行動ではなく、他にも共謀する存外の者たちの存在が
疑われるという意味です。
他の関与を疑る理由は、三島たちの計画行動が余りにも
性急で短慮・短絡に映るからです。
まがりなりにもクーデターの決起を促すのであれば、もっと
周到であってしかるべきだし、明晰な頭脳の持ち主である筈
の彼らにそれができないわけがないのです。
要は、そこなのです。 そこが腑に落ちないのです。
『三島由紀夫割腹余話』 によると …
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【事件のあらまし】
死についての三島の計画の立てかたは、その小説
の結構と同様、手が込んでいた。 彼は細心の注意
を払って、身辺をきれいに整理した。 ― 中略 ―
それはその通りでしょう。 もとより死は織り込み済みです。
当然、死についての準備も身辺整理もできていた筈です
が、それは取りも直さず非合法の武力行使に対する責任を
とる意味での武人しての切腹を想定したものです。
しかし、そこにはクーデターの成功という大望が叶うという
前提が必要で、目的が成就せずして負け犬が如き割腹劇
など演じたくはなかった筈なのです。
だとしたら、
バルコニーから檄文を撒き、ともに立ち上がろうと隊員ら
に呼びかけるだけでなく、蹶起(けっき)を促すための事前
の下慣らしや惹起させるための方策というか、クーデターの
成功までの青写真やシナリオなどがあったはずで、そうした
用意に対する周到さというものが死に対する準備と比べて
微塵も感じられないという点が不思議でならないのです。
ただ、やみくもに義憤というか、「憂国の激怒」 に駆られた
だけの稚拙な行動にしか見えません。
1号 が何かを知っているわけでもありませんが …
ちょっとしたデモでも、何事かを要求するための集会でも、
拡声器やメガホンの類は準備するでしょうし、大勢の人々に
訴求して喚起を誘おうとするなら、マイクのひとつやふたつ
の用意は場所柄から言っても可能だった筈です。
つまり、持ち込みは不可能なので現地調達をするわけです
が、切なる思いを訴え、蹶起(けっき)させようとするならば、
なおさらのことではないでしょうか
一事が万事ではないですが、段階の差こそあるにしても、
不自然に思えることがいくつもあるのです。
紙幅の都合上、すべてを検証する余裕はありませんが …
たとえば、前述の 『― 割腹余話』 では …
― 三島と若い部下たちは、車で市ヶ谷の陸上自衛隊
東部方面総監部に向った。 ― 中略 ―
(東部方面総監 益田兼利陸将に面会を申し込んであった)
到着すると直ちに総監室に通された。二、三分雑談
したあと、前もって打ち合わせておいた合図に従って、
なんの疑念も持っていなかった益田総監に飛び掛って
縛りあげ、机や椅子などで部屋の入口を塞いだ。
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★ 午前11時30分頃、総監室の窓ガラスを破り、窓越しに
説得を試みた吉松陸将補、功力一佐、第三部長 川久保
一佐らに対し、日本刀を振りかざしながら、四つの要求を
書いた紙をドアの隙間から廊下に投げ出した。
☆ 「攻撃行動、妨害行動を加えなければ、総監に危害は
加えない。十二時までに隊員を集めろ。もし要求を容れな
ければ、総監を殺害して自決する」
三島は幕僚たちに要求書を出して、これらの要求が容れら
れなければ総監を殺し、自分も切腹すると脅迫したわけです
が、彼の美学にそぐわないと思いませんか
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もちろん、これは脅しであって三島に総監を殺す意図など
まったくないのは明白ですが、自決のシナリオは展開次第で
如何様にも加筆修正される余地のあるものだったのです。
いずれにせよ、暴漢となった作家の一行が本気であること
を知った幕僚たちは要求を受け入れたわけですが、この時
にマイクなり拡声器なりの要求も十分に可能だったのです。
なぜなら幕僚たちは三島の演説を聞かせるために駐屯地
の全隊員を正午前に集合させることと午後一時十分までは
何が起こっても妨害しないことに合意していたからです。
★ 午前11時50分頃、森田、小川は要求項目を書いた垂幕
二本を総監室前バルコニーから垂らし、檄文をを多数撒布
した。 三島は(制服に身を整え「七生報国」の鉢巻をきりり
と締めて関の孫六の抜き身を持ち)、バルコニーに立つ。
★ 午後0時きっかりに、三島は足元に集まった隊員たちと
膨れ上がってきた報道陣に顔を向けた。 高揚する意識が
そうさせるのか、芝居染みた身振り手振りもぎこちなく演説
は始まった。 隊員を前にマイク無しの肉声で、真の「国軍」
として目覚め、われわれの決起に参加せよ
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しかし、演説の大半は頭上を旋回する警察のヘリコプター
の騒音にかき消され、かすかに聞き取れる言葉も、隊員たち
の野次と怒号にまみれていた。
☆ 「お前ら聞け、聞けぇ
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よく聞け、よく聞け、よく聞けい、静聴せい
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賭けて諸君に訴えているんだぞ。 … そこでだ、俺は四年
待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる
日を。 … そうした自衛隊の … 最後の三十分に、最後の
三十分に … 待ってるんだよ」
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☆ 「… … まだ諸君は憲法改正のために立ち上がらない
と見極めがついた。 これで俺の自衛隊に対する夢はなく
なったんだ。 それではここで俺は天皇陛下万歳を叫ぶ。
天皇陛下万歳
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☆ 三十分間予定されていた演説は、七分間の茶番劇で
終わった。 天皇陛下万歳を三唱した後、三島は森田と
ともに総監室に戻ります。
★ 午後0時10分頃、「二十分間ぐらい話したんだな、あれ
では聞こえなかったな」 と独り言。 (総監には) 「恨みは
ありません。 自衛隊を天皇陛下にお返しするためです。
こうするより仕方がなかったのです」 と言って制服を脱ぎ、
正座して短刀を両手に持つ。 森田に 「君はやめろ」 と
三言ばかり殉死を思いとどませようとした。
三島は割腹し、結果、森田も後を追って自害するわけです
が、森田の首が介錯人(古賀)の手によって首の皮一枚残す
手練の一太刀で切り落とされているのに比べ、三島の首は、
何度も打ち下ろされた形跡を示す解剖所見となっています。
以上は生き残った証人たちの証言をもとにしていますが、
すべてが事実でしょうか、偽証の疑いはないのでしょうか
綿密に調べたわけではないので的外れの疑問を呈する
ことになるのかもしれませんが …
まず、
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やって持ち込んだのでしょう
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了解が交わされていたのではないか
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![3](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/3.png)
なぜマイクを要求しなかったのか
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![q](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/q.png)
![4](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/4.png)
どういう意味なのか
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![q](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/q.png)
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のに戻った直後に冷静な割腹が可能だろうか
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の作法と数か所の首の傷の意味するものは
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何か意味があったのか
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これら7つの疑問から総合的な判断を下すと、周知されて
いない事実が隠されたまま深い闇の中に葬られてしまった
事件のような気がすると 5号 たちに語ったわけなのです。
推理を要約すると …
決行日は、偶然にも昭和が始まった日でもあり、昭和天皇
を迎えて第60回臨時国会の開会式が参議院本会議場にて
午前11時から行なわれる日でもあったのです。
計画では、午前11時に別働隊による国会占拠から始まり、
治安出動となって戒厳令が発動される。 この段階をもって
初めて日本の国体が明らかとなり、自衛隊は国軍となる。
別働隊の一部ないし全部が市ヶ谷に終結、その旨を演説
する三島に告げることで、正規軍としての市ヶ谷の自衛隊員
を巻き込んでのクーデター(昭和維新)蹶起という青写真を
三島は描いていたと思うのです。 そしてそれをベースにした
いくつかの段階的なシナリオがあった
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総監だけでなく幹部たちの中にも気脈を通ずる者がいたの
で武器の所持が可能であり、総監室にも入れたが国会占拠
は実行されなかった。そしてそのことは益田総監も承知して
いたのではないでしょうか。
これで、
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![1](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/1.png)
![q](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/q.png)
![2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/2.png)
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実は、時系列で振り返る以前の午前10時6分頃に、三島は
伊達宗克と徳岡孝夫という知り合いの記者たちに、「ご面倒
ですが、11時に市ヶ谷会館においでいただけませんか、そこ
に楯の会の者がおり、田中か倉田という者がご案内します」
という電話をしているのです。
さらには、来てもらった記者たちに 「何事もなく終わることも
ある。その時は私は11時40分に出てくるから」 その場合に
は何も書かないでくれ、と釘を刺しています。
つまり、死なないシナリオも用意されていたということです。
それは国会での占拠(クーデター)が遂行されずに、何事も
起こらなかった場合の話です。
ところが、三島は行動を起こしました。 それは国会占拠が
予定通りに始まったとカン違いしたからです。カン違いさせた
張本人は益田総監と幹部たちだったのかもしれません。
なぜなら、その当時は携帯電話はありませんので誰かが
知らせるしか方法がないのです。
しかるに、すでに三島たちは総監室に入っているわけです
から他に知る術がありません。
おそらくは 「国会占拠、予定通り始動、決行されたし」 と
いうような連絡があって初めて三島隊が動き出す手筈だった
のではないでしょうか。
そして、そう伝えたのが総監たちか、あるいはクーデターの
断念を三島に促した結果が凄惨な事件の端緒となったか
その辺りの判断は微妙ですが、いずれにしても …
計画通りに事が運べば演説はセレモニーのようなもので、
三島は隊員が静聴するもの考えていた。
いや、むしろそれが前提だったからこそ彼は肉声で演説を
始めたのです。いかに見栄え良く見えるか、マイクは邪魔者
以外の何ものでもなかったのです。
ところが、演説を開始するや、野次と怒号の嵐に面食らい
焦る顔から血の気が引いてパフォーマンスだけがやたらと
大袈裟になってしまいます。
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(何故だ
![question2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/question2.png)
総監以下、通じていた幹部たちは何をしていたんだ
話が違うじゃないか
![eq](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/eq.png)
ことに三島はまだ気付いていません。
三島は撒布した 「檄文」 の原稿に沿って30分かけて
説明するつもりでいたのですが、聞く耳を持たない隊員たち
を前に7分で打ち切っています。
傍らにいた森田には、うすうす感ずるものがあったのかも
しれませんが、忠実なる部下の責務を全うします。
これで
![q](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/q.png)
![3](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/3.png)
仮に決行の断念を知らされた場合の引くにひけない状況で
の逆上による暴挙という線も考えられないこともありません
が、そうであれば、やはりマイクどころではなかったでしょう。
しかし、その可能性は限りなく小さいもので、その場合には
雑談を交わして11時40分までには出て行くというシナリオで
したから何か不測の事態があったということでしょう。
さて、
![q](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/q.png)
![4](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/4.png)
謎のフレーズです。
「自衛隊の最後の30分に … 待っているんだよ」
素直に聞けば、自衛隊の決起を4年間待ったが、ぎりぎり
最後の30分待っているという意味でしょうが、ならば、30分
ではなく通常5分とか、最後の1分まで … という表現になる
のが普通でしょう
撒布した 「檄文」 に沿ったかたちでの演説だった以上
、その中身が重要です。
問題箇所を抜粋しますが、まずは URLを貼っておきます
ので檄文を参考にしてください。
![url](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/url.png)
「われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。
もう待てぬ。 自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待とう。 共に起って義
のために共に死ぬのだ。 日本を日本の真姿に戻して、
そこで死ぬのだ … 」
檄文では4年を待ち、熱烈に1年を待ち、最後の30分を
待っているという文脈で、助詞 は 「を」 か 「は」 です。
しかし演説では、「最後の30分に … 待っているんだ」 と
「てにをは」 は 「に」 です。 「を」 は単なる直接的な対象で
しかありませんが、「に」 は対象を舞台とする「目的舞台」
を現し、期待を表現するニュアンスを持ちます。
直接的な 「を」 に対して目的を期待する 「に」 です。
つまり檄文と演説での「最後の30分」 とでは、断然に
期待値が違うわけで意味も異なるということです。
打てど響かず、笛吹けど踊らない姿を目の当たりにしても
なお、いったい何に期待をしていたのでしょう
![question2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/question2.png)
それは、援軍の到着です。
国会を占拠し、治安出動で戒厳令下となる知らせです。
それが、「最後の30分に …」 の意味なのです。
![q](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/q.png)
![5](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/5.png)
![q](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/q.png)
![6](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/6.png)
「日本を真姿に戻して、そこで死ぬのだ」 とは、本来ある
べき姿に戻った日本を見てから死ぬということです。
演説をあきらめた三島が総監室に戻り、「あれでは聞こえ
なかった」 と情けなく肩を落して、7分間の演説を20分にも
感じてしまうようなうろたえを示したのです。
そんな男が、その直後に見事な割腹劇を演じられますか
大いなる疑問です。
牛込署の検視報告では三島の短刀による傷はヘソの下
4㎝ぐらいで、左から右へ13cmも真一文字に切っています。
深さは約5cmで、腸が傷口から飛び出していたそうです。
日本刀での介錯による傷は、首のあたりに3か所、右肩
に1か所あったそうです。
森田は腹に10cmの浅い傷があったが出血はほとんどなく
、首は一刀のもとに切られていたそうです。
![symbol2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/symbol2.png)
三島の切腹で一つだけ<奇異な感じを抱かせられた>
のは あの腹の切り方は一人で死ぬ場合の切り方であった
ということである。 ― 中略 ― しかし三島はこの挙に出る
前に、森田あるいは古賀が介錯することを打合わせている
のである。 そうだとすれば、他人による介錯、すなわち
<斬首>ということを予定した腹の切り方をすべきではな
かったか。 ― 中略 ― 三島は生前、映画「憂国」を製作
したさい、二・二六事件で決起に遅れて自宅で割腹自殺を
とげた青島中尉(「憂国」のモデルといわれる)の割腹現場
に駆けつけた軍医から、そのときの実見談を聴取していた
といわれる。そして青島中尉が割腹後五、六時間たっても
なお死にきれず、腹から腸を飛び出させたまま意識を失い
、のたうちまわっていた有様をよく知っていた。 したがって
介錯がなければ切腹が見苦しい死にざまを曝すおそれの
あることを十分に認識しており、そのために介錯を予定し
たことは正しい計算であった。それなのに敢えてあのような
深い腹の切り方をしたのは、なぜなのであろうか …。三島
ほどの綿密な計算をする人にも、 切腹後の肉体的変化ま
では計算しえなかった千慮の一失なのであろうか。<奇異
な感じを抱かせられた>と述べたのはそのためである。
… とあります。
1号 には演説後の三島に死ぬ覚悟はなかったと思われ
てなりません。 失態に終わった演説に失望しているという
よりは、むしろ未練タラタラといった様子が窺えるからです。
少なくとも三島の頭の中では捲土重来というか、この屈辱
に雪辱を期す臥薪嘗胆を考えていたふしがあるのです。
そうでなければ 「あれでは聞こえなかった」 という繰り言
めいたトンチンカンな独り言(未練)を呟くわけもありません。
しかしながら、三島は自刃した。 そうせざるを得ない状況
や事態が発生したからです。
それは彼が思うかたちやタイミングでの割腹ではない
三島には自刃する覚悟も準備もあったけれど、あくまでも
それは悲願成就の生贄として捧げるための命です。
そこで、
無い知恵を絞り、想像を逞しくして再現するとすれば、
総監室に戻った三島は愕然とします
縛った筈の益田総監の代わりに楯の会の3名が捕縛され
ていたのです。 総監の背後には屈強な複数のエージェント
(秘密破壊工作員)が立っています。
「どういうことだ
![nose6](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/nose6.png)
![eq](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/eq.png)
取り押さえた工作員たちは有無を言わさず「割腹」を迫った。
(嵌められた)そう察知したたからこそ、
それを知らしめるために斬首(介錯)を想定した腹の切り方
をせずに一人で死ぬ場合の切り方をしたのではないか
そこで思い出して欲しいのですが、幕僚たちは三島の演説
のために全隊員の招集と午後1時10分までは何が起こって
も妨害しないことで合意をしています。
演説は正午にスタートしておよそ30分を予定していました。
残り40分は何のための時間だったのでしょうか
常識的に考えれば、切腹と介錯などに費やすための時間
ということになるのでしょうが …
それは、クーデター成就の暁における最後の仕上げである
武人としての死にざまを完成させる時間だったのです。
先の解剖所見や検視報告からも明らかなように三島の首
は何度も何度も斬り付られて、漸(ようや)くにして離れます。
この世への未練と裏切りに対する最後の抵抗がそうさせた
ようにも感じてなりません。
「君なら僕がやろうとしていることを十分理解してくれる
と思う。 だから何も言わない。 僕はずっと前から、
文人としてではなく武人として死にたいと思っていた」
三島と親交のあったドナルド・キーン(コロンビア大学教授
・日本文学研究家)宛に投函された最後の手紙より
![mail2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/mail2.png)
「これで俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ … 」
決行の11月25日は昭和が始まるひと月前の日にちです。
真の日本に還すための 「昭和維新」 は成りませんでした。
これは畢竟(ひっきょう)、過信と焦りの北朝鮮を思わせる
弱者の恫喝のような一面もあるけれど、 ある意味では三島
に似つかわしい面目躍如だったのかもしれません。
「益荒男が たばさむ太刀の 鞘なりに
幾とせ耐へて 今日の初霜」
「散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて
散るこそ花と 吹く小夜嵐」
三島の辞世の句とされる2首です。
「限りある命ならば永遠に生きたい」 というメモ書きが、
事件の翌日に三島の自宅の部屋で見つかりましたが …
おそらく、日本という国が存在する限り、三島由紀夫は
永遠に生き続けるだろうと思います。 ― 合掌 ―
![clap](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/clap.png)
![nose1](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/nose1.png)