例えば何百年生きている木からみたら僕が生まれて死ぬことと、蝉が一匹生まれて死ぬことはそんなにかわらないかもしれない。
人間が何かをしって、海を渡ったり、空を飛んだり、地球を抜け出しても「彼ら」からしたら目の前を横切ることと大差ないような気もしてくる。
今日は雨。
人間って不思議。
ご飯を食べて、眠っておきて、子孫を残して死ぬだけじゃあ満足できないみたい。
「それはね、宇宙意思なんだよ」と、浜辺で酒をのんでいた元漁師のおじさんがいった。
長い話の中で彼がいいたかったのはこういうことらしい。
人類全体でみて、少しずつ、少しずつ「真実」を知っていく。
そして、すべてを知ったときは「すべての終わり」だといった。
彼はまた歩き出したので僕は家に帰ることにした。手には「なんだか会」のチラシが握られていた。
浜辺から上がり、防波堤を抜けたところでネコが車に潰されるのを見た。
そしてそのネコであったものをじっと眺めながら、「幸せ」について考えていた。
のは、高校3年の頃の「話」。
あれこれ考えていて、とりあえずたどりついた結論はこんな感じ。
ーーー「不幸は、幸せではないということ」ーーー
「幸せ」なんて、だれが始めにいったんだろう。
今ある空気の中に、「しあわせはいいもんだ」
「幸せでなくてはならない」
「みんなも幸せを感じよう」
そんな言葉を感じる。
でも、「幸せ」が何かはいわない。
「幸せは目の前にあるそのものだ」
と、言う人もいれば。
「生きていることそのことが幸せ」
ともいう。
人それぞれってこと。
でも、「幸せ」ってきっといいことなんだな。
そう思わせるから、「幸せでないこと」に「不幸」を感じる。
幸せっていう概念がないほうが不幸を感じないでいいような気がする。
喜怒哀楽に「幸」の文字はない。
とかなんとか、一人間の一人が考えているわけで。
たまんないね。
一億人の憂鬱の重みで地球が軋んでいる、みたいなことを言ったのはブルーハーツだったかな。
「はやく化粧を落とさないと」と彼女が言った。
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