私は「物」にも命が宿るように思う時がある。
先日、7月に買ったばかりの愛車を派手にぶつけてしまった(人 物損なし)。そして10日ほど入院させてしまった。この時に受けた衝撃は大きかった。手足をもぎとられたような、10日間悶々とした日々を送った。
思えば、7月に買って以来、愛車に乗らなかった日はなかったし、どこへでも一緒だった。それは私の秘密の部屋であり、相棒であり、肉体の一部だった。
そうしてまた、こうも考えた。人や物に危害を加える前の私の愛車からのメッセージでもあったのではないかと。
また、命が宿ると思ったのは車だけではない。私はこの写真を撮ったノクチルックスというレンズを愛している。詳しいことを言ったらきりがないが、言ってみればじゃじゃ馬なこのレンズで撮る時、私はこのレンズと共同作業をしているのだと感じる。
持っているレンズやカメラはみんなそれぞれに個性があり、やはり生きている感じがするのである。
神様でもない一人の人間にすぎない私が、物に息吹を与えているなどとはおこがましいが、物を活かすと言う意味で生命を宿らせることができるのかもしれないと思っている。
私の写真が一人でも多くの方にそれぞれに生なる意味を持って頂けたなら、そんなに嬉しいことはない。