私が生かされていていいかどうかは分からないけど、3月11日
「震度6弱」を会社で体験し、「もう死ぬな・・・」と思ったけど、
でも生きていました。
地震のあと1週間の停電と20日間の断水を経験し、お金が
あっても物が買えない経験もさせて貰いました。
来たる宮城県沖地震に備えて… と仙台ではいつも言われていて
それなりの心の準備をしてきた筈だったのに…
甚大な爪跡を残した「東日本大震災」の前には、あまりにも
足りない30年間の準備でした。
まるで何千もの爆弾を投下された様な、太平洋沿岸の町々には
人々の生きる気力や明日への希望すら残されていないのです。
あれから2ヶ月経ってそれでも生まれ育った町を元に戻したいと
思う多くの人達がいます。
避難生活を余儀なくされ日々を過ごしていく中で、何も無くなった
けど、やっぱりこの町は捨てられないと強く思っているのです。
同じ地震を経験していながらも、結果の違いがあまりにも大き過ぎた
事に私はとてもショックを受けました。
生かされた私だから、少しづつでも役に立ちたいと思っています。
仕事で被災地を廻ったりしながら、施設の復旧に取り組んでいます。
被災地でまた皆さんが前と同じ様な生活ができる、そんな環境を
整える為に頑張って行こうと思います。
「震度6弱」を会社で体験し、「もう死ぬな・・・」と思ったけど、
でも生きていました。
地震のあと1週間の停電と20日間の断水を経験し、お金が
あっても物が買えない経験もさせて貰いました。
来たる宮城県沖地震に備えて… と仙台ではいつも言われていて
それなりの心の準備をしてきた筈だったのに…
甚大な爪跡を残した「東日本大震災」の前には、あまりにも
足りない30年間の準備でした。
まるで何千もの爆弾を投下された様な、太平洋沿岸の町々には
人々の生きる気力や明日への希望すら残されていないのです。
あれから2ヶ月経ってそれでも生まれ育った町を元に戻したいと
思う多くの人達がいます。
避難生活を余儀なくされ日々を過ごしていく中で、何も無くなった
けど、やっぱりこの町は捨てられないと強く思っているのです。
同じ地震を経験していながらも、結果の違いがあまりにも大き過ぎた
事に私はとてもショックを受けました。
生かされた私だから、少しづつでも役に立ちたいと思っています。
仕事で被災地を廻ったりしながら、施設の復旧に取り組んでいます。
被災地でまた皆さんが前と同じ様な生活ができる、そんな環境を
整える為に頑張って行こうと思います。