私のたまにトラブルなトラベル

そんな旅は愉快!爽快!我慢!忍耐!
トラブルが襲ってもめげずリュックを背負って世界を旅する大和撫子!

ギネス登録も色々・・・

2014-05-13 10:35:32 | キューバ
86歳のフィデロ・カストロは暗殺計画回数多数でギネスに掲載がきまった

アメリカ合衆国のCIAによる147回を含め638回・・・
これだけ狙われると平気になるのかな???

フィデロ・カストロはハバナの革命広場を埋め尽くした数十万人の前で、
長い演説をした。









カストロの演説は長いことで有名!

党大会では10時間以上の政治報告。
・・・聞いているほうは辛いだろう・・・

2006年からは5歳下のラウル・カストロが政務を代行、
2011年には正式に党第一書記を辞任し政界から引退している。

キューバでは存命中の人物のモニュメントを、
公式の場所に飾ることは違法なので、
カストロ兄弟をはじめとする存命中の人物のモニュメントはない!

ハバナの革命広場の正面の内務省の壁面にはチェ・ゲバラ







その隣の情報通信省にはカミーロ・シェンフェゴス




カストロ、ゲバラと共に革命闘争で重要な役割を演じた人である。






この革命広場には星形のホセ・マルティ記念館がある






高さ109mの塔を持ち、上の展望台からはハバナ市街、フロリダ海峡が良く見えた。









でも・・・私もあいつもホセ・マルティを知らなかった。

ホセ・マルティは第二次世界大戦の指導者で、
キューバではとても有名で、キューバ中に彼の銅像があり、
キューバの英雄としてキューバ人にあまねく知られていた。






革命からもう54年。
フィデロ・カストロ、ラウル・カストロの独裁が続き、
最低の生活は保障されているが、
貧困からは脱出できず、自由が制限されている社会。

人々に活気があるようには見えなかった。

一度、キューバ人の本音が知りたいものです





↓ ↓ ↓ ポチッとしていただければ嬉しいです。

海外旅行 ブログランキングへ

アホや!高い勉強代やな!・・・と『あいつ』が私に言う・・・

2013-10-22 00:01:00 | キューバ
キューバの通貨は外国人用とキューバン用と2種類がある

外国人用は・・・1クック(106,1円)現地用で換算すると24モネダ・ナシオナルになる。
現地人用は・・・1モネダ・ナシオナル(4,4円)

2種類のお金はとても紛らわしい作りである。

クックは多色刷りで中央にpesos convertiblesの文字が書かれている。
モネダナシオナルの方は一色刷りで冴えない色使い。




(この写真を見ても今もっても判りずらい)



コインもクックのほうは分厚く八角形の模様がある。





モネダ・ナシオナルのほうは薄っぺらくチャチ。





土地の人はすぐにわかるが、わざと似せて、外国人観光客を戸惑わせて、
あわよくば間違って使わせようとしているみたいに感じた。

問題をさらにややこしくしているのは、2つの通貨の呼称と表記。
「モネダ・ナシオナル」ともいうが、「ペソ・クバーノ」あるいは単に「ペソ」と呼ばれる。
一方で「クック」と言うことが多いが、スペイン語では「セーウーセー」と呼ぶ。
あるいは単に「ペソ」と呼ばれることもある。

どちらも「ペソ」では区別が付かない

さらに表記はどちらも$マーク。
たまに親切に「クック」としてくれている場合もあるが、
そうは問屋がおろさない!

キューバの金銭感覚に慣れていない私は、
売店で売っているジュースが1$と表示されていたので、
当然1クックと思い支払ったのである。
すると売店のおばちゃんが、もう1杯ただでくれたので、めちゃ喜んだ!

1$の表示はクックじゃなく1モネダ・ナシオナルだとあいつが言った
1杯4,4円を106,1円払っていたんやで、そりゃ1杯くらい只でくれるやろ!とあいつが笑った。


本当に油断は禁物で、一番大切なのは「キューバの金銭感覚になれること」なのである。


例えば、缶入りのジュースが「$0.8」と表記されていれば、それはクックに決まっている。
現地通貨であれば、日本円で3,5円程度になってしまう。そんなことはあり得ない。

逆に、サンドイッチが「$10」と表記されていれば現地通貨である。
クックなら日本円で1060円にもなってしまう。そんなことはあり得ない。

いちいち確認しないといけないのが・・・しんどくなった。

大体キューバという国は外国人から取れ!という国、
間違って1クック出しても違うよなんて誰も言わない。
間違った私が悪いんだけど・・・高い勉強になった








マウスで遊んで・・・キューバのリズムにノリノリ・・・

2013-09-24 06:28:55 | キューバ
キューバのトリニダーと言う町に「カンチャンチャラ」という飲み物がある。

早速、あいつと飲みに行った。
その酒場の名前も「カンチャンチャラ」








ラム酒にハチミツ、レモン汁、クラッシュアイスを混ぜたレモネードのようなカクテルで素焼きの器に入っていた





結構強いお酒で、あいつがほとんど飲んでいた。
甘くて口あたりが良いので・・・ついつい飲みすぎる。

飲みながらキューバの音楽が楽しめる。
観光に来ているキューバ人は、みんな踊っていた。





カンチャンチャラを飲んでいると、キューバの音楽は、
身も心もノリノリにさせる魔法みたい!


私もあいつもこんな感じやったよ↓↓↓↓↓↓↓






キューバの聖地・・・グランマ号上陸地へ・・・

2013-08-11 16:07:03 | キューバ
キューバのバヤモという町からタクシーで2時半!
1956年、革命戦士・・・フィデル・カストロ、ラウル・カストロ、チェ・ゲバラ等・・・が、
プレジャー・ボートGranma(グランマ)号に乗り、メキシコを出発し、
キューバで上陸した海岸に行った。

戦闘用の武器、食料を積み込み、82名の乗るとギューギューづめ、
6日間の航海は大変だったそうだ。



(レプリカ 本物はハバナの軍事博物館に展示)

上陸時の激しい戦闘で生き残ったのは18名!
山に逃げ込みゲリラ活動を続け、1559年に当時のバティスタ大統領は国外逃亡し、
革命は成功する。

是非とも、革命が成功する起点を見たくて、あいつとタクシー代6400円もはたいて、いったのである。

今は、公園も整備され、海岸までは歩きやすいように桟橋が続き、
ガイドの説明を受けながら1kmほど歩いて行った。
まわりはマングローブの樹林帯の沼地で、
爪が一つしかない赤いカニが無数にいた・・・ちょっと不気味。





激しい銃撃戦の中、重い銃器を担いで体が沈むこの沼地を1km行軍するのに6時間もかかり、
フィデル・カストロ、ラウル・カストロ、チェ・ゲバラや女性戦士等が、
強固な意志を抱いているとはいえ、空爆の下、その困難さは想像に絶する思いがした。



(藁葺の簡素な家があり、内部は質素)

小さな博物館には、当時の写真や、銃等が展示されていた。












あいつも私も、彼らたちの困難さや、革命の思い等を噛みしめていた。

・・・なのに・・・タクシーの運ちゃんのお陰で、すべてが搔き消されたのである。
40歳のマッチョな黒人の男性で、車の中でもタバコは吸うし、女の子を見かけるとクラクションはならすし、
食べながら運転するし、えんじ色の古い大きなアメ車なので、エンジンの調子が悪く、
何回も停まって車体の下を修理するし、挙句の意果ては、夜6時になったので夕飯を食べるという!
あいつがノー!私もノー!
するとカフェを飲もうと車から降りようとする!
二人が一斉にノー!ノ~!ノ~~~!
渋々、ダラダラと運転する。



(故障中)


60クック(6400円)やけど40クックでよいのと違う?
6400円も払うのバカらしいわ!
でも・・・あいつは決めたことやからといい、支払っていた。

「あんたはアホや!態度も悪いし、ムカムカするわ!」
「日本人をバカにせんといて!アホちゃうの?アホ、アホ、アホ!!!」


あいつにあんたも言い!!!
「バカたれが!!!」
それだけかいな???まぁ~ええわ!


最後に思い切り憂さ晴らししちゃっいました。






キューバのトリニダーで、目が点!!!

2013-06-15 08:58:20 | キューバ
夕飯前に時間があるので、ビールを、飲みに行った。

木々が木陰になっているオープンなお店。
クリスタルという銘柄は、口当たりが軽く、喉越しもスッキリなので、良く飲んだ。

ビールだけにしようと思っていたが、
美味しそうな鶏のもも肉の焼いている匂いが………あいつと一皿だけ食べようと頼んだ。

キューバ人はビール好き!お酒好き!
でも、嗜好品は高いので、酔いに任せ『たかり』にくる。
酷くなると、人のビールを勝手に飲む!

食べていると、ニャンコの鳴き声が!
白黒の痩せた猫ちゃんがいた。
鶏の肉を少しあげると、美味しそうに食べていた。
欲そうに顔を見るので、せせってはあげ、せせってはあげ………
テーブルに帰ると、えぇ???お皿だけで、鶏の骨が無い~!!!

何で???私の目が点

あまりにも驚いた顔をしてたのか、
周りのキューバの人が笑iいながら、指を指すので、
そちらをみると何と!!!
店の外で骨をしゃぶっているお爺ちゃんがいた。

あいつに聞くと、欲しいと言うからあげたと言う。
えぇ~???そしたら、
少し肉をつけておいてあげた良かったかな?
こちらを見て、お爺ちゃん、ニコニコと笑いながらアミーゴと叫んでいた。

『たかり』が多いなか、鶏の骨をくれなんて………
可愛いお爺ちゃんでした。

次の日は雨が降り、お爺ちゃんの姿が無く、ちょっと残念だった。
鶏のもも肉をお裾分けしようと思って行ったのに………