私のたまにトラブルなトラベル

そんな旅は愉快!爽快!我慢!忍耐!
トラブルが襲ってもめげずリュックを背負って世界を旅する大和撫子!

旅先で出会った日本人……パート13

2014-01-17 17:36:34 | アフリカ
西アフリカ セネガルのダカールで出会った男性

初めてのアフリカ!
ガイドブック…地球の歩き方もなく…
やっと見つけた『旅行人西アフリカ編』…でもセネガルはたった1枚だけ!

あいつとホテルを探しながら、ダカールの街をウロウロ。
慌てた様子で私達の前に飛んできた日本人男性!
『この道は危ないので1本向こうの道を歩きなさい。
リュックを切り裂かれますよ。』

ビルの窓から外を見ると、日本人が2人歩いているので、
すぐに飛んで来てくれたそうです。
その男性は、ダカールに赴任していたサラリーマンだった。
きっと、のんきに歩いていた我々に、驚いたんでしょうね。
どこが怖い道かなんて判らない。
1本違うだけで大丈夫なんて!そんな事どこにも書いてないし!
たった1枚のガイドブックは頼りにならない。

結局、ホテルもここにしなさいと指示!
セキュリティーはお金で買わないとダメですよ!
と言われ、しぶしぶお値段が高い立派はホテルになっちゃった。

あいつは………不満!その上下痢でダウン……
次の日、もう少しやすいホテルを探しそこに泊まりました。

サラリーマンのお陰で、こと無きを得て、立派なホテルに泊まれ、
私としては、めちゃくちゃ嬉しい出会いでした。







旅先で出会った日本人・・・パート2

2013-12-27 10:21:16 | アフリカ
アフリカ ガーナのクマシで出会った若者

アメリカ大統領『ケネディ』が設立した平和部隊(Peace Corps)。
18歳以上のアメリカ人が発展途上国に行き、教育、青年育成、公衆衛生、ビジネス、環境などの分野で、
途上国の人々を草の根レベルからサポートするプログラムです。
期間は2年間(+最初に3ヶ月の訓練)で、渡航費や生活費などはすべて支給される。

日本の青年海外協力隊と同じ!

クマシの小さなお店で、あいつとビールを飲んでいたら・・・
日本人かな?と思う若者が座っていた。

声をかけると・・・両親は日本人で、彼はアメリカ生まれのアメリカ育ちのアメリカ国籍!
でも・・・とても美しい日本語を話す。
彼曰く『英語の方が楽だけど、両親がアメリカ国籍でもあなたは日本人なので日本語を覚えなさいと、
厳しく指導された』と!


クマシの高校で数学を教えている。

大学を卒業後、どうしても医者になりたい夢が捨てきれず、
再度、医学部を受験!なんと!!!合格したらしい。

医学部入学まで、Peace Corpsに参加し、クマシで数学を教えている。

あいつ『どうして医学部に行きたかったの?』
若者 『「手塚治」のブラックジャックを読んでいる内に医者になろうと思った』
あいつ『ブラックジャックは何処で手に入れたの?』
若者 『父が好きで、アメリカの家に全巻そろっていたんです』

ブラックジャックが若者の夢を育て、夢を実現にさせたのである。もちろん彼の努力も素晴らしい

クマシでの活動が終わると、いよいよ医学部での勉強が始まると顔を輝かせ話していた。
その姿が今も目に焼き付いている。

あいつとガンガンビールを飲んでいた。
そのうち、あいつのほうが出来上がっちゃった!
大声で歌うは、だれとでも抱きつくは・・・私は大変だった。

次の日は・・・『二日酔い』
ガーナがあいつにとって100ヶ国目だったので、嬉しくて、彼のような若者に出会い、
更に嬉しくて、テンションが上がり、ついつい飲み言い過ぎたらしい・・・それを聞いて・・・私も嬉しくなった





カーボ・ヴェルデ・・・行きたくて!行きたくて!

2013-10-24 00:03:14 | アフリカ
西アフリカの西方3875kmに浮かぶ島国・・・カーボ・ヴェルデ
元ポルトガル領でポルトガル語では緑の岬と言われる国


どうしてこんなに遠い国に行きたかったかというと、
大好きな歌手『セザリア・エヴォラ』の出身地で、
ポルトガルのファドが根底に流れ、何ともサウダーデ(哀愁)を感じる切なく美しい歌を歌っている。
そんな歌手がどんな国で生活していたかを知りたくて・・・
10年以上、カーボ・ヴェルデを旅したいと懇願していた。

ず~と、私が行きたい!行きたい!と言ってたので、
2011年4月1日~22日まで、あいつと一緒に行くことができた。

セネガルのダカールから飛行機で1時間45分。
首都「プライア」に到着!
空港でアライバルビザ取得・・・写真もいらず申請書に記入し25ユーロで簡単に取れた。
ただしイエローカード(黄熱病予防注射証明書)は必要!

セネガルのダカールとは比較にならないほど治安もよく、立派な車も走り、
清潔な町で、人々ものんびりと過ごし、夜でも人々が集まっていた。





おぉぉぉぉ・・・セザリア・エヴォラの看板があるぅぅぅぅ!
それだけで感激したぁ~






世界遺産「シダド・ベージャ(意味はold city)」へバスで行った。
バスも安心して乗っていられる。








広場には奴隷売買の時に黒人を鎖でつないだ柱が立っていた。





この国も、セネガルやガーナと同様に奴隷売買があり、
悲惨な歴史を思い出させる場所だった。

坂道をあがるとカテドラル跡の大きな壁だけが残っていた。








更に登ると砦があり、ここは修復され入場料(570円)も取られた。









ポルトガル軍が、海賊やイギリス海軍を撃退するために使ったという大砲が並び、
砲弾は3kmは飛んだと説明を受けたが・・・





本当にそんな遠くに飛んだのか?とあいつが不思議やと信じない。
まぁ~人の話は大きくなるっていうからネ!

海岸では中学か高校生ぐらいの男の子、女の子が泳いでいた。





女の子のほうが積極的に寄ってきて、写真を撮ってくれという。








どの国でも女の子のほうがおませさんや!!!


セネガルではカツラが大流行!
ここでは、髪の毛につけ毛を使っての編み込みするお店があちこちにあった。





つけ毛は日本製が一番品質がいいので、使われているそうです。









ビクトリア瀑布・・・轟音が響く・・・

2013-10-18 00:01:00 | アフリカ
ジンバブエとザンビアの国境にある。
最大幅はおよそ1700m、最も深い滝壺は落差108mに及ぶ大瀑布!


ジンバブエから、ザンビアから見ることができる。
ジンバブエには、
この滝を発見したイギリスの探検家『デビット・リビングストン』の像が立っている。
彼はイギリス人だったので、当時のイギリス女王の名をとり、
『ビクトリア瀑布』と命名!
現地では『モシ・オア・トゥンヤ(雷鳴のとどろく水煙)』という。





近づくにつれ、轟音と水煙が見えた。
虹がとてもきれいだった。













次の日はザンビア側から観た。
この日も虹がかかり最高でした。














ビクトリア瀑布は、あまり近づけないので、
ここは空から観ようと・・・清水の舞台から飛びおり(飛び上がり?)
高い飛行機代を支払った!
あいつは絶対に飛ばないと思う

















世界三大瀑布と言われる・・・
イグアス瀑布・ナイアガラ瀑布・ビクトリア瀑布を観たことになる。
どの瀑布も素晴らしい!!!
エンジェルフォールも素晴らしかった。
でも・・・私の一番のお薦めは・・・イグアス瀑布です




アプリコット色の砂漠・・・

2013-10-17 00:01:00 | アフリカ
ナミビアのナミブ砂漠は、アプリコット色をしているので『赤い砂漠』と言われる


南北2,000km、東西50~150kmほどの細長いこの砂漠の成立は、なんと5,000万~1億年前。
恐竜の絶滅が6,500万年前と言われている。
年間降水量は20~50mm(東京は1,500mm)という超乾燥地帯で、
場所によっては数百年も雨の跡がないという。
砂漠特有の気候で、夏の最高気温は40度を超えるものの、冬の最低気温は氷点下にまで落ちる。

ナミブ砂漠 のデューン(砂漠)の特徴はその色。
砂が含む鉄分が霧と太陽光の影響で酸化して、赤味を帯びてアプリコットに妖しく光る。





ナミブ砂漠の中で特に有名なのが・・・デューン45








下から見るとそんなに高くは見えないが、登るとなかなか上まで行けない。
風が強烈に吹き、砂が舞う。一歩出すと砂で滑り、大変だった。











干上がった湖。土中にはまだわずかに水が残っており、
動物や昆虫は水を求めていまだここを訪れる。
乾燥地なので、水が涸れているが、それでも生き物は生息し、木々も育っている。





砂漠には、あっという間に闇がやってくる。







つるべ落としのように日が沈む。


朝・・・太陽の光が砂漠を照らし始める・・・とても美しい光景だった。





地球は未知なる場所が一杯ある。
大自然に感動、感激のナミブ砂漠でした。