2004年のお正月に旅したマリ
今は危険地域になり、当分は旅できない・・・とても残念です。
サハラに生きる人達は強い! 交通手段は『足』・・歩くことなのだ!
季節によりサハラ砂漠から、砂嵐(ハルマッタン)がやってくる。そんな嵐にもめげず生きている。
黒い顔も白くなっていたが・・・そんなのお構いなし!
マラリアの発生率が高く、万が一、高熱がでたり、下痢をしたり、体調が悪くなると、
旅行を中止してすぐにバマコに帰る様に注意があった。
要するに「蚊に刺されない様にするのが一番よ」と言われた。
蚊のお尻が高く上に向いているのがハマダラ蚊らしい。
部屋に入る前にアースをスプレーし、しばらくして入る。
部屋にも蚊帳が吊ってあった。
私は日本でマラリアの薬を買い、あいつはイタリアのミラノで薬を買った。
もちろん飲んでいるし、必ず香取線香もし、虫除けスプレーもする。
それでも大丈夫かな?・・・不安になった。
万が一高熱が出たり、下痢をしたり、体調が悪い時は旅をやめて、
首都「バマコ」のパスツール病院に行くしかない。
インフラが整っていないので、4WD日産ジープが6日間=CFA330,00
ガソリン代=CFA170,000 ガイド代=CFA150,000 合計=CFA650,000(¥143,000)
後はホテル代&食事代がいる。
でっかい国『マリ』の旅が始まった。
ニジェール川を渡り、ツンブクトゥまで走った。
「トンブクトゥ」とは「窪地」を意味するらしい。サハラ砂漠の南の窪地?
そこは、ニジェール川交易の終点。
19世紀には幻の黄金都市として探検家を魅了した「トンブクトゥ」
日干し煉瓦を積み、壁を泥で塗った砥の粉色したモスク『ジンゲリベリモスク』(世界遺産)
ただの土色一色だけれど、、、、お日様に照らされると、綺麗な亜麻色、金茶色に見える。
日が陰ると駱駝色に変わる。
モスクは静かな砂の町に溶け込んでいた。
中は薄暗く、静寂な空気が流れていた。壁には小さい穴が空いていた。
そこから差し込む光りがなんと!星の形・・・小さな星の光りがとても美しかった。
草原には『バオバブ』の木があちこちにあった。
神様が怒って逆さまに植えたとか!
でっかいぃぃぃぃぃ・・・・・・・
ドゴン村を見学!ここも世界遺産に指定されているが、観光地化されていず、
村に入るには村長さんの許しがいる。
まずは村の長老達に「コロナッツ」という木の実のお土産を渡し、ご挨拶する。
穀物を貯蔵する家。人が住む家の中には、山羊、鶏が一緒!
穀物の貯蔵庫
一番上には、村の集会場があった。ご近所同士のいざこざや、喧嘩の仲裁をする場所にもなるらしい。
そこには村の長老がいた。
バオバブの木の皮から縄を編んでいた。長老の仕事はどの村でも一緒みたい。
岩山にへばり付いて立っている日干しレンガの家
上に伸びる家々・・・女性は下の井戸から水を汲む。
1日何度も往復するらしい。強くなければここでは生きていけない!!!
ニジェール川を再度わたり、ジェンネを目指す。
ジェンネはニジェール川とバニ川の中州に位置し、「ニジェール渓谷の宝石」と言われている。
13~16世紀にはトンブクトゥと、上流の内陸を結ぶ交易の中継地として繁栄した。
村の中心にあるスーダン様式の大きなモスク(世界遺産)。
数年前から非イスラム教徒は入場出来なくなっていた。
マリのモスクは日干しレンガを積み、泥を塗って作られている。
修復作業が出来るようにモスクの壁には棒が出ている。
何度も、何度も修復しているのだろう。簡素だけど美しいモスクだった
ジェンネのモスク前の広場では、毎週月曜になると巨大なマルシェ(市場)が開かれる。
どうしても日程が合わず次の日になった・・・残念・・・それも旅の思い出!
マリは元フランス領なので、言葉はフランス語!
語学はあいつにお任せ!少し喋れるので私は知らんぷり!あいつには私の無言が快いみたい(苦笑)
今は危険地域になり、当分は旅できない・・・とても残念です。
サハラに生きる人達は強い! 交通手段は『足』・・歩くことなのだ!
季節によりサハラ砂漠から、砂嵐(ハルマッタン)がやってくる。そんな嵐にもめげず生きている。
黒い顔も白くなっていたが・・・そんなのお構いなし!
マラリアの発生率が高く、万が一、高熱がでたり、下痢をしたり、体調が悪くなると、
旅行を中止してすぐにバマコに帰る様に注意があった。
要するに「蚊に刺されない様にするのが一番よ」と言われた。
蚊のお尻が高く上に向いているのがハマダラ蚊らしい。
部屋に入る前にアースをスプレーし、しばらくして入る。
部屋にも蚊帳が吊ってあった。
私は日本でマラリアの薬を買い、あいつはイタリアのミラノで薬を買った。
もちろん飲んでいるし、必ず香取線香もし、虫除けスプレーもする。
それでも大丈夫かな?・・・不安になった。
万が一高熱が出たり、下痢をしたり、体調が悪い時は旅をやめて、
首都「バマコ」のパスツール病院に行くしかない。
インフラが整っていないので、4WD日産ジープが6日間=CFA330,00
ガソリン代=CFA170,000 ガイド代=CFA150,000 合計=CFA650,000(¥143,000)
後はホテル代&食事代がいる。
でっかい国『マリ』の旅が始まった。
ニジェール川を渡り、ツンブクトゥまで走った。
「トンブクトゥ」とは「窪地」を意味するらしい。サハラ砂漠の南の窪地?
そこは、ニジェール川交易の終点。
19世紀には幻の黄金都市として探検家を魅了した「トンブクトゥ」
日干し煉瓦を積み、壁を泥で塗った砥の粉色したモスク『ジンゲリベリモスク』(世界遺産)
ただの土色一色だけれど、、、、お日様に照らされると、綺麗な亜麻色、金茶色に見える。
日が陰ると駱駝色に変わる。
モスクは静かな砂の町に溶け込んでいた。
中は薄暗く、静寂な空気が流れていた。壁には小さい穴が空いていた。
そこから差し込む光りがなんと!星の形・・・小さな星の光りがとても美しかった。
草原には『バオバブ』の木があちこちにあった。
神様が怒って逆さまに植えたとか!
でっかいぃぃぃぃぃ・・・・・・・
ドゴン村を見学!ここも世界遺産に指定されているが、観光地化されていず、
村に入るには村長さんの許しがいる。
まずは村の長老達に「コロナッツ」という木の実のお土産を渡し、ご挨拶する。
穀物を貯蔵する家。人が住む家の中には、山羊、鶏が一緒!
穀物の貯蔵庫
一番上には、村の集会場があった。ご近所同士のいざこざや、喧嘩の仲裁をする場所にもなるらしい。
そこには村の長老がいた。
バオバブの木の皮から縄を編んでいた。長老の仕事はどの村でも一緒みたい。
岩山にへばり付いて立っている日干しレンガの家
上に伸びる家々・・・女性は下の井戸から水を汲む。
1日何度も往復するらしい。強くなければここでは生きていけない!!!
ニジェール川を再度わたり、ジェンネを目指す。
ジェンネはニジェール川とバニ川の中州に位置し、「ニジェール渓谷の宝石」と言われている。
13~16世紀にはトンブクトゥと、上流の内陸を結ぶ交易の中継地として繁栄した。
村の中心にあるスーダン様式の大きなモスク(世界遺産)。
数年前から非イスラム教徒は入場出来なくなっていた。
マリのモスクは日干しレンガを積み、泥を塗って作られている。
修復作業が出来るようにモスクの壁には棒が出ている。
何度も、何度も修復しているのだろう。簡素だけど美しいモスクだった
ジェンネのモスク前の広場では、毎週月曜になると巨大なマルシェ(市場)が開かれる。
どうしても日程が合わず次の日になった・・・残念・・・それも旅の思い出!
マリは元フランス領なので、言葉はフランス語!
語学はあいつにお任せ!少し喋れるので私は知らんぷり!あいつには私の無言が快いみたい(苦笑)
こんな 過酷(彼らはそうは思わないでしょうが)なところでも宗教はちゃんと存在するし 人々は毎日 生きている・・・
こんな国の 動物も黙々と働いて 人間に貢献してくれているんだね
蚊のすごく苦手な私には 非常に恐ろしい土地です
西アフリカには、猛獣はいないんですよ。
アフリカというとサファリ!のイメージですが、
西アフリカには居ませんでした。
ロバ、ラクダ、ヤギ…………でも、生活には重要な動物でした。
蚊は嫌いです。
やっぱり一番効くのが、金鳥蚊取り!
海外にもありますが、これより勝るものは無し!
除虫菊が良いのでしょうね。