gooブログはじめました!今、日本が何処へ向って行ってしまうのか、とても気になっています。原発もTPPも気になります。

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官邸前、議事堂前での金曜デモの写真を発表出来たらいいなぁと思っています。

ジャーナリスト伊藤詩織さんが書いた手記『Black Box』について

2017-11-13 15:33:08 | 福島原発事故
一昨日、H29/11/9の東京新聞夕刊の大波小波欄に安倍晋三へのヨイショ本を書いた自称ジャーナリストの山口敬之により強姦被害を受けたジャーナリスト伊藤詩織さんが書いた手記『Black Box』についての紹介記事が載っていた。
この本に書かれているのは、被害者の怒りや悲しみではなく、ジャーナリストとして性犯罪の真実に向き合いたいという著者の問題意識と、そこでぶつかった警察、司法など数々の巨大なブラックボックスである。
この事件の根本的な闇は山口敬之への逮捕状が止められた事実である。その過程について、当時の中村格・警視庁刑事部長の説明責任が求められているのだ。強姦魔山口敬之の権力中枢との関係も問題である事は間違いない。




11月1日の金曜デモに参加して!

2013-11-02 17:55:43 | 福島原発事故

山本太郎が園遊会で陛下に手紙を渡した事が色々と取りざたされている。
陛下は招待者の何人かと話をされ、山本太郎とも話されたのだと思う。
しかし、その時間は余りにも短い、自分の想いの全ては伝えられない、だから彼は手紙に綴って来たのだろう。手紙を受け取ってくれますかと聞いて彼は渡したそうだ。
その行為が、天皇の政治利用だとかで騒がれ、自民党を初めとするバカ政治家や追従するマスゴミはここぞとばかりに彼を叩いている。中には議員辞職だ!と息巻くバカもいる。
良心的な物言いで通っているメディアも、自民党に彼の事を避難する事が出来るのか、天皇を政治的に利用してきたのは自民党ではないかと尤もな批判はするのだが、一言、山本太郎も軽率のそしりは免れないなどと付け加えている。

だが果たして彼は軽率だったのだろうか?
私は全然、そんな事は無いと思う。
天皇は彼の手紙を読んで、政治的な行動に出る事は絶対にない。そんな事は誰だって判っているし、フクシマの現実は彼の手紙の通りなのだから、それの何処が政治利用になるのかさっぱり判らない。

見苦しいのは、自民党にゴマをすっている学者共であり、コメンテイターと称するゲス人間たちである。バカ憲法学者などが、彼の行為は憲法の精神からして間違っているとかほざいていたが、そんな事よりも自民党の特定秘密保護法が憲法違反だと大声を上げろ!

本当は、昨日の金曜デモのスピーチで感動した言葉を紹介しようと思ったのだけれど、腹が立ったので、ついつい園遊会手紙騒動を書いてしまった。

昨夜の官邸前で、ある女の人のスピーチが心に残ったので記しておく。その方は、掃除婦をしていて、毎週金曜日にこの官邸前に来る事が、生甲斐なのだと述べていた。
辛い掃除の仕事もここへ来て、安倍総理に向って、原発の売込みをやめて貰いたいとか、柏崎刈羽などの再稼動はやめて貰いたいと述べる事で一週間のストレスは発散出来るのだと。近くにいた多くの人達がうなずいていたから、共感した者は多かったと思われる。実は私もその一人だ。

ほぼ毎週私がここへ通って来て、大声で叫ぶのも、生甲斐というか、原発を無くしたい想いの人達と共に、此処でコールする事が、この時代に生きる者としての、生きる証の様に思うからだ。

3・11の後、日本は変ってしまった。日本全土が確実に放射能に汚染させられてしまった。誰もがその汚染を受け入れざるを得ない世界になってしまった。だから、これ以上の汚染は何としても防がねばならない。それがこの時代に生きる人としての定めだと思うからである。

だが、人々の多くは、政府とマスゴミの世論操作で、フクイチ事故など無かったかのような嘘ばかりの日本でバカにされつくしている。
そんな人達は私等が、毎週金曜日に官邸前で声を上げているなど、知らないだろうけど、いつかは声が届くと信じている。だから、私は、毎週通って来ているのだ。
・・・と書いて来たのだが、本当はもう一度戦争に行かされ、原発ももう一回ぐらい爆発しなければ、この国の人々は気付かないかも知れないなぁ・・・という絶望も抱えていると記しておこう。





映画『朝日のあたる家』を黄金町のジャック&ベティで観て来ました。

2013-10-25 13:22:00 | 日記
『朝日のあたる家』は上映する映画館がないと言う事で話題になった作品である。
何故ならば、原発事故を扱った映画であるからだ。原発を扱おうと、映画として優れているかどうかが鍵だと思うのだが、この国ではどうもそうではないらしい。
映画も政治に左右されてしまうとは、なんとも情けない国である。

原発映画は政府に逆らう作品だと興行界は思ってしまい自粛してしまうのだろう。
勿論、興行界はそんな事は一言も言わないが、結果的にそうなってしまっている。
山本太郎がテレビからは完全に干されてしまったのも、テレビの自主規制によるのだから。
テレビだとて、文化の一環を担うのものであるだろうに、この国のテレビ局はNHK初め、そんな矜持は何もない。ただただ、お上にへつらうだけである。

だが映画はテレビとは違う。ある意味で反権力の要素があるものと信じたい。
この映画もそんな社会風潮に抗して出来たものであるだろう。反原発の山本太郎とか、反原発アイドルと言われる藤波心ちゃんなどが出ているのもその所為だろう。

この映画のチラシの宣伝コピーには、「放射能に美しいふるさとを奪われた、あの日。
家族の幸福も、踏み砕かれて・・・」 舞台は美しい大自然に囲まれた静岡県湖西市。過酷な原発事故を題材に「家族の絆とは?」「親子の幸せとは?」「あたりまえの風景。あの時は気づかなかったけど、あれが幸せだったんだ。」とある。

この作品はフクイチ事故の後で、フクイチ事故をすっかり忘れてしまった日本人が二度目の原発事故を体験するというものである。静岡の浜岡原発が爆発したとの想定でストーリーは展開する。

普通の家族が家を追われ、故郷を追われ、身体を放射能に蝕まれ、家族がばらばらになってゆく過程を描いている。思わず涙が零れてしまうシーンもあり、感動の作品である。上映館ジャック&ベティの好意で一週間続映するそうである。是非観てください。

私が見た24日は監督の太田隆文氏のトークがあり、彼に質問なども出来てなかなか良かった。私が一つ疑問に思ったのはこの街の住人たちがフクシマ原発に続き二度目の原発事故なのに、余りにも放射能に対して無知なので、こんな事はないないんじゃないかと質問した。

監督の応えは、実際彼は浜岡原発のある地元で住民達にフクイチ事故に付いて聞いたら、本当に何も知らなくて驚いたという。原発のある地元がそうなのだから、無い処は推して知るべしではないかと思い、初めての体験の様にして描いたとの事であった。
大方の日本人はもうフクイチ事故は終わったものと思い、記憶の彼方に押しやってしまったのだろうか?情けない。

この後私は、首相官邸前で行われている、特定秘密保護法反対デモに参加した。


阪神大震災の事 NHKのETV特集を見て

2013-09-25 18:11:29 | 福島原発事故
先日の土曜の夜に録画していた、ETV特集『”復興”はしたけれど~神戸 新長田再開発・19年目の現実~』を今日、見た。ヤッパリと言うのが見ている時の感想だった。

長田地区は木造家屋の多い典型的な下町であり、大正商店街は当時何度も映像に出てきたので覚えている人もいるだろう。神戸市はその長田地区を西の副都心にする計画を震災前から持っていて、これ幸いとばかりに大地震の起こった翌日から図面を片手に職員が現地を視察していたというのだから驚く。

その役人たちは、未だ人が埋まっている場所を指差して、此処をビルにしてと話し合っていたのである。

18年経って、確かに長田地区は計画通り、ビルばかりの地区に生まれ変わっているのだが、大正商店街はその入り口付近からしてシャッターの閉まった店が続くのだ。

商店街の人々は自分の店があった土地を神戸市に売って、新しいビルの店を買って商売を始めたのだが、ビルが出来るまでの生活もあり、新しいビルを買うにも借金をせねばならない状態であったらしい。その上、固定資産税、管理費も払わねばならず、昔のお得意さんの多くは他所へ行ってしまい、借金を返す当てもない状態に追い込まれているのだった。

神戸市の復興計画は大失敗したと言っていいだろう。
その事は18年前の神戸市の都市計画、復興計画ありきのやり方に根本的なミスがあったと言う事を示している。

箱物を幾ら作ってもそこで暮していく人々の事を考えなかったら、決して復興なぞ出来る訳がないのだ。

当時から神戸市のやり方に不満を述べる市民が沢山いた事も当時の報道をみていたのでよく知っているが、神戸市は市民の反対を押さえつけて、箱物ばかり作って人が生活できない町を作ったと言う事だ。それは多分国の方針であったのであろう。

当時、私は阪神大震災を扱ったニュースやNHKスペシャルの様なドキュメンタリーを録画した、そのビデオの数は7~8本になるだろうか?

後日、そのビデオ資料は一本の芝居『冬支度』に結実した。
その芝居は東宝現代劇75人の会公演に書いたものだったが、H15年8月にNHKBSⅡで放映してくれたので私にとって忘れならに作品となっている。

その芝居のラスト近くで、「行政が市民の暮らしを守る町つくりをするかどうか、しっかりと見守って行きます」と言う台詞を登場人物に言わせたが、結局、その人物の不安は的中して人の住めない町を造ってしまったと言う事なのだろう。

東日本大震災の復興もこの国の役人に任せていたらきっと同じ事になるだろう。



福島の人は被災者ではなく、被害者なんです!

2013-09-12 16:21:11 | 福島原発事故
東日本大震災の被災者は未だ25万人が家を離れて暮しているという。
福島では15~16万人の人が土地を奪われ、家を奪われ、家族がバラバラにされた状態で暮さなきゃならない状態に追い込まれている。

昨日は経産省前で、テント撤去の裁判に反対する集会に参加した。
怒りのヒューマンチェーンで経産省を取り囲んだのだ。

その時どなたかの、演説で表題の言葉を聞き、目が覚めた思いだった。
(テント立ち退き裁判の被告にされた淵上太郎氏の言葉だったかも知れない。)

地震や津波で大きな被害にあったとしても、それは被災であるのだが、福島はこれに加えて原発事故による被害が多いのだ。

原発事故は人災である。人災ならば、加害者がいる。東電と原発を国策として推し進めて来た、経産省を初めとして、文科省、環境省、それらに金を配分していた、財務省などが、そして、安全神話を信じ込ませた、御用学者、マスゴミが、フクイチ事故の加害者となるのだ。

だから、福島の人は被害者と呼ばねばならない。

私は、今まで一律に被災者と書いて来たが、これからは福島に関して被害者と書く事にする。被害者には加害者がいるのだ。常にそれを意識して使うことにする。