The Alan Smithy Band

The band is on a mission.

僕らのアダプタプラン

2018年01月10日 | ヒデ氏イラストブログ
任天堂のSwitchというゲーム機。

持ち運べる大きさで、つまりこの手軽さでこの精密なゲームは一体どういうことだ。

ひで氏です。

ソフトはSDカード大だ。自分が子供なら絶対的に無くす自信がある。

スーパーマリオのオデッセイというゲームは、3D仕様で、高所から飛び降りたりすれば胸が悪くなるほどのクオリティだ。
また憎いのが、途中で時折2Dになる場面があり、私ひで氏のような古いユーザーも心をくすぐられる作りとなっている。

私ひで氏の世代は、テレビゲームの進化の歴史と共に歩んでいるように思う。

任天堂のゲームウォッチから始まり、エポック社のカセットビジョン、ファミコンという風に幼いころはそれなりに充実したゲーム機環境に恵まれていた。





どう考えても業界のブレイクスルーとなったのはファミコンだと思うが、個人的にはディスクシステムに一票を投じたい。

ファミリーコンピュータディスクシステムは私ひで氏が小学校高学年ぐらいの時にリリースされた、ファミコンの拡張機器だ。本体の上にファミコンを置いて使うのだが、ソフトがフロッピーディスクのような形をしている。



最大の特徴は、一枚のディスクを持っていればなんと500円でゲームの「書き換え」ができることだった。
近所のジャスコのゲーム売り場に行くと専用の機械が置いてあり、そこで実際に500円で新しいゲームが手に入った時は「なんという時代が来たのだ。もうこれは完全な未来」と思ったものだ。この価格設定は現代でも充分お得感のある値段だと思う。



さて、そんなゲーム機の中でもやはり思い出深いのはファミコンにまつわる話だ。

これについては今も昔も子供は同じだが、当時私ひで氏も、ご多分に漏れず兄と一緒になって必死でゲームをやっていた。

やがて余りにも熱中する我々兄弟に業を煮やした母の堪忍袋の緒がついに切れ、ファミコンの心臓ともいえるACアダプターを没収されてしまったのだ。

こうなるともうどうしようもない。電源がなくてはゲームは使用不可能なのだ。

それからというもの、母が外出するときには常に「いってらっしゃい」と笑顔で送り出し、ドアが閉まると同時に空き巣のような目になった我々兄弟は家中を探し回った。タンスの中、キッチン棚、天井裏、ガレージ… 考えられる場所はすべて探したが見つからなかった。

私はまだ小学校3,4年だったので「もしかしたらアダプタを挿さなくても一瞬ぐらいつくのでは」と思いカセットをセットし、そうっとファミコンの電源スイッチを入れてみるも、微動だにしないテレビ画面をみて「だめか…」と真剣につぶやいた記憶がある。

そんな状態が数日続いたあと、ある日兄が驚くべき行動に出た。

いつもなら母の外出の後一緒に家中を探し回るのに、兄は外に出ていったのだ。

そして戻ってきたとき、手にはファミコンのアダプタを持っていたのだ。

「お、お兄ちゃん!それ…!」

私にとってその瞬間の兄は、火事場でもうだめかと思われた現場で、女性をお姫様抱っこで抱えながら煙の中より現れるヒーローのようだった。


我々は当時団地に住んでおり、周りには同世代の仲間が沢山いた。
兄は、そのうちの何人かに約束をとりつけ、ACアダプタを借りてきたのだ。

約束というのはつまり取引だ。その内容は、算数の宿題を代わりにやる、相手のACアダプタが隠されたときにはACアダプタを工面する、新しいゲームを買った暁には優先的にレンタルする、など実に多岐にわたっていた。

こうして我々兄弟は母の外出中、心ゆくまでファミコンをプレイすることができた。

しかし兄が最も恐ろしい側面を見せたのはここからだった。

母が帰って来る頃には借り物のACアダプタを秘密の場所に隠し、何事もなかったかのように母を迎え入れる。

そしてご飯を食べたり風呂に入るなどの普通の生活ルーチンを自然にこなしたあとで、決まって寝る前あたりにパジャマ姿で

「いつアダプタ出してくれるんよっ!もう1週間以上ゲームしてないよッ!」

と目に涙を浮かべながら憤慨して母に駄々をこねるのだ。

その行動に入る直前に私にもアイコンタクトを送ってくるので私も一緒になって「ないよッ!」と叫んだ。



兄としてもACアダプタのレンタル期間が無限ではなかっただろうから、「期日までに自分のアダプタを戻しておかなければならない」と、借金取りに追われる者の様な心境になっていたのだろうと思う。

母も最終的には我々が改心したと信じ本来のアダプタを出してきて兄に渡した。こちらに向き直った時の兄の表情がどんなだったか明確に記憶はしていないが、きっとオーメンのラストシーンのダミアンみたいな顔だったに違いない。


しかし最も戦慄したのは、


後年このエピソードを笑い話として兄に話してみると、


本人は「覚えていない」、といった時だ。








サバイバーしげおの朝食

2017年11月23日 | ヒデ氏イラストブログ
名古屋で迎えた朝。

ホテルには夜到着したので、カーテンも閉めたままだった。

朝になって開けてみると、意外に高層だったことに改めて気づく。


気持ちのいい朝だ。

そう言えば朝食がついていたはずだ、と確認してみるとやはり最上階レストランのビュッフェがついている。

お腹もすいたので早速行きたいのだが、上下スウェットだ。

この日は実は人前で話すという人生初の「講演」をしに名古屋に来ていたので、まぁまぁちゃんとした恰好を来て外に出ることになっている。
まだかなり時間に余裕があるのでできれば朝食を食べて戻ってから着替えて出たいところだが、最上階のレストランで朝からビュッフェを楽しんでいる人々のムードも壊しそうでエチケット的にやはり疑問が残る。

ということでネクタイこそ締めなかったものの、スーツに着替えた私ひで氏、意気揚々とレストランに向かった。

予想した通りレストランはかなりちゃんとしたところで、景色は抜群、宿泊客でにぎわっていた。
スウェットの人など誰もいない。良かった…

ちなみに、ホテルの朝食バイキングのこの入れ物が好きだ。何か底知れないおもてなし感がある。


大概この手のバイキングでは和食と洋食の二つのパターンがあると思うが、あなたはどっち派だろうか。
私はこれまで、こうして選べる場面で和食を食べた経験がほとんどない。

しかしやはり年齢だろうか、今回はなぜかスッと和食の方に手が伸びたのである。
大根の煮つけや鮭の切り身など、妙に美味しそうな感じがしたのだ。


結局、遭遇する食べ物を必ず一つずつ取ってしまうというバイキングあるあるによりお皿は和のおかずで一杯になってしまった。
またお米もとても美味しそうだったのでご飯も一膳。

これまたちなみにだが大型炊飯器の蓋というのはなぜあんな無防備な閉まり方をするのだろうか。


ソフトクローズ機能のついた大型炊飯器があればとても嬉しい。言い換えると「バーーーン!」と思い切り騒音を鳴らして恥ずかしい思いをした私ひで氏。ようやく着席した。

ふと隣を見ると80歳といっても過言ではなさそうなご老人の男性が座っていた。ループタイをして、気品が全身からにじみ出ていた。
テーブルの上には、ヨーグルトのみ。それをゆっくりと食べておられる。

その姿がとても上品で素敵だった。

目の前に広がる景色を見ながらおそらく大好きなヨーグルトを噛みしめるように味わう姿に感銘を受けるとともに、
浅ましくも食べきれないほどのおかずを見境なくとってきた自分が恥ずかしくなった。

そして自分が数品を食べ終える頃、おじいさんはヨーグルトを終えてコーヒーを飲んでいた。

そしてほどなくご老人は席を立っていった。お帰りのようだ。

本当に小鳥が食べるような量で、それがまた可愛らしいな、と思っているとなんとご老人は戻ってきた。
手にはサラダとパン。

フフ…おじいちゃん、やはり多少食べたりなかったのかな…?


思わず苦笑してしまった私ひで氏が戦慄したのはここからだった。

サラダとパンをあっという間に平らげたと思うと、また席を立ち今度はトレーいっぱいに和食を積み込んできたのだ。

テーブルの上に徐々にたまっていく小皿。

そうか、あのヨーグルトとコーヒーは終わりなんかではない、前菜だったのだ。

更にものすごい勢いでそれらを平らげたかと思うと、また席を立ち今度は洋食をたんまり持ってきた。
私はこの時点でまだ半分ぐらいしか食べていないというのに。

その時、これまで光が反射して見えなかった彼のメガネのレンズの奥に目が見えた。
つまり彼の顔の角度が変わったのだ。彼は唖然とする私に気付いて私を鋭い眼光で見つめ返してきたのだ。

可愛いおじいさんなどと一瞬でも誤解した自分を呪った。
そうだ、誰かが昔言っていた。年寄りを子ども扱いするな。彼らは子供なんかじゃない。全てをくぐり抜けてきたサバイバーなのだ。


フードファイター。いや、フードサバイバー。

そんな言葉が頭に浮かんだ。

この時点でもう、尋常ではない量を食べている。
無言で私を数秒見つめた後、しげおは元の方向に向き直りまた食活動を再開した。
「しげお」はイメージだ。


人を見かけで判断してはならない。今までの人生で一体何度同じようなことを経験しているのだ。
学習しない自分を恥じた。それがこの朝の後悔の一つ。もう一つの後悔は、この日に限って和食を選んだ自分だ。

なぜなら、さして理由もなく取った鯖の煮付けをしげおに睨まれてすくんでいるうちに箸から滑り落とし、


一張羅のズボンの腿に落として大きなシミを作ったからだ。



その時フードファイターしげおがまた私の方をちらっと見たような気がしたが、

しげおは私には一瞥もくれず、彼の喉仏は相変わらず忙しそうに波打っていた。





シャッターチャンスの代償

2017年10月22日 | ヒデ氏イラストブログ
台風もヒットしているがここ最近の雨続きはたまらない。

雨は嫌いではないが、梅雨でもないのにこれほど降るとなかなかツラいものがある。

ひで氏です。

こういうイレギュラーな天候だと季節の移り変わりが感じにくい。例年だともう秋を感じさせる頃だ。

秋の暴れ蚊、という言葉がある。

秋口の蚊にさされると、いつもより痒い。昔から周りでこの言葉をよく聞いた。

そんな言葉を聞くと、蚊にまつわる悪夢を思い出す。

私は心底蚊が嫌いだ。

まずあの縞模様のデザインが耐えられないし、体のサイズに似合わず耳元でやたら不愉快な音を出して来たり

汗や体温はもちろん、黒いものにも寄ってくるなど、寄せ付けるきっかけが多すぎるのも腹立たしい。

そしてもちろん何より、吸血するというおぞましい習性と、加えて痒みを残してあざ笑うように飛び去るという愉快犯的な一面も最悪だ。

仮にこちらがとらえたとしても手のひらや壁にしっかりと生きていたころの証であるかのように自らの体の残骸を黒いシミとして残す。
あの自爆テロのような死に方も非常に後味が悪い。

そういえば過去にも蚊に関して書いたことがある。
過去エントリ:朝のモスキート革命

そんな蚊嫌いの私だが、ある許されない想い出がある。

とてもシンプルなのでくどくどと説明する必要はない。

ある時、写真を録るというときに、写真のために笑顔を保持していたときだ。

そこには木々がたくさんあり、蚊がたくさん飛んでいた。

嫌な予感はしていたが、まさに写真を撮るその時、頬に違和感を感じた。

しかしシャッターチャンスをぶち壊してはならないという良心から、そのまま我慢し通したのだ。

数分後、頬が痒みを伴って腫れ出した。
蚊に咬まれる箇所は色々あるが、悪夢を通り越して最悪な足の裏や指の関節などを除くと、やはり避けたい部位は顔だ。

なのに頬が腫れ出したことで、やはりあの時だ…!というやるせなさがこみ上げてきた。

写真を撮っていた時に蚊にやられたのだ。

まあ咬まれたものは仕方ない。そのうち腫れも治まるだろう…

しかし私ひで氏が感じた屈辱が頂点に達したのは、しばらくして撮った写真を確認した時だ。

なんとそこには、今まさに私ひで氏の頬から吸血している蚊が写っていたのだ。
もちろんその時に吸われていたことは認めるとして、まさにその瞬間を捉えるなどいうことがあるだろうか。

実際の写真はあまりに残酷で涙すら誘うほどのショッキングなものなので、

思い出しながらイラストを描いてみた。皆さんも拡大して確認して欲しい。



シャッターチャンスのために支払った代償は、あまりに大きかった。





オフィシャル家宅侵入

2017年08月28日 | ヒデ氏イラストブログ
先日、あるピンチが訪れた。

ひで氏です。

少し状況を説明しないといけないのだが、私ひで氏が向かっていたのは実家だ。そして実家はその時無人。

私のミッションは、あと1時間ぐらいで来る、とある業者さんを実家の中に案内し作業してもらい、完了までを見届けるというごくごくシンプルなものだった。

当然実家の鍵を持って、少し前に行った私ひで氏は鍵を開けてドアを引っ張った。

ガッ。

んん?ともう一度引っ張るが、やはり開かない。

も、もしかしてなんかの間違いで開いていたのを閉めてしまったのか?そう思い鍵を元に戻してみるがやはり開かない。

実家のドアには鍵が二つ縦に並んでいる。普段は二つ目の鍵はかかっていたことがないので、私はその鍵はそもそも持っていないのだ。


瞬時に私ひで氏の顔は青ざめた。

そもそも私がここに業者さんに対応するため来たのは、この近くに住む兄がお盆で遠出しており不在だからということでピンチヒッター的に来た背景がある。つまり第二の鍵を持っているはずの兄は居ない、誰もこの家に入れない。
業者に来てもらうこの日はかなりのピンポイントで設定しており、この日を逃すと非常にややこしい。

まずは兄に電話した。

なぜ、第二の鍵がかかっているのだ、これでは家にも入れないと言うも、言ったところで状況も変わらない。鍵は間違ってかけてしまったとのことだった。
ここからほど近い兄の家には例の第二の鍵があるのだが、当然遠出している兄の家にも入れないわけだ。


すると兄がこういった。「ちょっと確信はないが、いまから言う場所にウチの鍵(鍵が二つ出てきてややこしいので便宜上この鍵を「兄鍵」と呼ぼう)があると思うから、見てくれ」という。
それは兄の家の庭のとある場所だった。その説明を聞いて、とりあえず兄の家に行くことに決めた。待っていても業者の人が間もなくきて、
「すみません、僕も入れないんです」「あ、はぁ…」というやり取りがなされるだけだ。

つまり兄鍵を使って中にさえ入れれば、キッチン横に実家の第二の鍵があるらしい。その可能性に賭けるのだ。

とにかく兄の家に急いだ私は早速兄に言われた場所をチェックした。

兄鍵は無かった。

万事休す、と思われたが、とりあえずは久しぶりに来たこの家の周りを観察してみた。

勝手口が開いている...なんてことは無いよね…と色々引っ張ってみるがやはりがっちりとロックされている。

もうダメだな、と思ったその時。少し目線を上げるとそこにある窓の鍵が開いていることに気付いた。


何と…開いているではないか。
しかしそこは色んな家具が置いてある裏側で、人間が入るには窓の位置からしてもかなり難しそうだ。

とりあえず兄に電話して、指定の場所に兄鍵は無く、諦めかけて帰ろうとしたらどこそこの窓が一つ開いているのに気付いた、と伝えた。
兄はそこから入るのは難しいだろう、しかしトライしても構わない、と言って電話を切った。

もう一度窓を見上げる。そして中の隙間を見る。


不可能ではないかもしれない…

とにかく、時間がない。早速踏み台になりそうなものを集めて身を窓枠にかけてみた。
隣の家との隙間での行動だったので、背徳感がすごい。

とりあえず目の前にある隙間に顔を入れてみる。これは…イケる。

そう思って多少体をひねったりしていると、隣の家の犬が鳴きはじめたではないか。
それもキャンキャンという小型犬のそれではなく、結構なサイズ感のある野太い声をしている。

ワン!ワン!ワン!

こ、これは…映画でよくある「ジョン!静かになさい!もう、ジョン、何をそんなに… はッ!」

と見られるパターンではないのか。

もしくは景気よく吠えていたジョンが「キャイン!」と言って口封じのために絶命させられて飼い主がそれを見てギャーとなるヤツではないのか。

いずれにせよジョン、黙るんだ…!

と心の中で唱える事十数回、ジョン(かどうか知らないが)は興味を失ったようだ。

海老反りになり震えながら「命拾いしたなジョン…」とつぶやいた。

もうそこから先はさながらスパイ映画でよくある「赤外線トラップをくぐり抜ける主人公」のようだった、はずだ。


最後は体力テストでやる伏臥上体反らしと立位体前屈を繰り返すような形で家の中に転がり込んだ。

そしてキッチン横にあった目当ての実家の第二の鍵を無事ゲットしたのである。


出るのは比較的ラクだった。こうして第二の鍵を持って実家に戻った私ひで氏は、ギリギリで業者の到着にも間に合い、すべてのミッションをコンプリートしたのである。


全てを終えて、また第二の鍵を返しておかなければ、と兄の家に戻り電話で連絡する。第二の鍵は、兄鍵があるはずと言われたところにそっと入れておく、と伝えたところ、兄がちょっとまて、お前の言っている場所はおかしい、と言い出した。

今一度兄の説明を聞くと、兄鍵があるという隠し場所は別のところだった。気が焦っていて聞き間違えたのかもしれない。とりあえず第二の鍵はそこに返しておいてくれ、と言われたので改めてその場所を見ると


兄の家の鍵があった。


ピアノ運搬物語

2017年07月19日 | ヒデ氏イラストブログ
先日のコードカラーが見えるという話の後でのTHE WAREHOUSE、場所は大阪京橋ソムリエ。マスター、古希のお祝いということだったのだが本当に信じられないぐらい元気な古希である。

ひで氏です。

ソムリエでのライブというのは節目節目で色々とTHE WAREHOUSEに影響を及ぼしている。それはピアノについてだ。

THE WAREHOUSEのライブでは、必ず88鍵のフルサイズピアノが必要になる。ライブハウスやバーによっては案外置いてなかったりするので、その場合は必ず持ち込まなければならない。ユニットがライブをし始めた当初、毎回田中氏の自宅にピアノを取りに行っては、二人で電子ピアノをもってらせん階段を「ひゃっほう!」とギリギリのラインで衝突・転倒を避けながら命からがら車に積み込んで、約1時間かけて運んでいた。それはもちろん帰りに全く逆のことを繰り返すことを意味する。

これがかなりの地獄絵図だった。




毎回となるとさすがにこれは…ということで、あるソムリエライブの時に田中氏から提案があった。それは田中氏の実家に眠っている電子ピアノを私ひで氏宅に常駐させておき、樫本君には運搬面で迷惑をかけるが毎回そこから出動するということでどうだ、ということだった。

その案を快諾した私ひで氏、その後何回か自宅からの運搬をし続けるが、ほとんどとっかかりのない全長150センチほどの物体を縦にして運ぶのは思った以上に精神的にプレッシャーがかかることが分かった。しかも鍵盤のほうを内側にして運ぶのは常に体に鍵盤が当たってとても機械に悪そうだし、逆でも常にどこかのキーには手の圧が思い切りかかるのでこれまた非常に良くない…しかもバランスを崩して倒れれば大惨事だ。それでドラマチックにピアノがダーーーン!とでも鳴ってくれればまだ救われるが電子ピアノなのでそうなったとしても無音だ。悲しすぎる。



ということでまたあるソムリエライブをきっかけに私ひで氏は田中氏に、ローランド社製の純正のケースを買いませんか、と提案してみた。ケースであれば、一応肩に引っ掛ける紐が付いているのでかなりラクになるのではないかと思ったわけだ。結果から言うと、これによってピアノの運搬は激変した。頑張れば一人で運べるのだ。

ただ、持ち運びはじめがかなりきつい。地面に置いたまま並行に立ち、自分もひざまずいてせえので立ち上がるのだが、なんかのトレーニングか、というほどの負荷が腰と膝にかかる。かついでからの肩への負荷も相当なもので、風にでも吹かれたら終わりだし、過去にはこんなこともあった。




しかし人間慣れというのは恐ろしいもので、私ひで氏は今はというともう楽勝で一人でピアノを持ち込みセットできるようになった。

ソムリエが作り出したといっても良い我々のピアノ運搬物語。この苦労をしてでも歌いたいと思うのがソムリエのステージでありTHE WAREHOUSEの曲たちであり、田中氏のピアノの存在だ。


この日も田中氏のピアノの振動を肌で感じながら、吸収しながら歌うことができたように思う。特にLiving Without Youは気持ちがぐっと入って、


自分でも印象に残るパフォーマンスになった。


見に来てくださった方々、ソムリエのマスター、スタッフのみなさん、ありがとうございました。










今回も素晴らしい写真をたくさん取っていただいたHidehiro Shirakashiさんに感謝。あの限られた空間でこれほどのバリエーションに富んだ写真が撮れるって、シンプルにすごい!







Is this a risk?

2017年04月05日 | ヒデ氏イラストブログ
オーストラリアのバンダーバーグという街に到着して二日目、ミッションの性格上規則正しい生活を送らなければならないということもあり、早速私ひで氏は朝からジョギングをすることにした。

海外ミッションの際は私はほぼ間違いなくジョギングをする。
ジョギングはただ単に気持ちいいだけではなく、その街を観察する最高の手段だ。

地図を見ると滞在先のホテルからすぐそこに川があったので、早速川沿いに出てみることにした。

予想通り、非常に気持ちのいい景色が広がっている。


こんな理想的なジョギングコースがあるのだから、もっとたくさんの人が走っているだろうと思いきや、ほとんど誰もいない。
橋の上を渡る貨物列車の音が乾いていて、空気が乾燥しているのがわかる。なんとも言えない爽快感があるのだ。


ちょっとしたことだが、ちょこちょことジョガーの闘争心をくすぐる工夫があちこちになされているここバンダーバーグ。

この街は、この数年で2度もかなりの規模の洪水に見舞われている。そのためであろう、例えばこんな看板。

「洪水の際は丘の上にたどり着くまで水の中にいることに。頂上まで息を止めて持ちますか?」

何の仕掛けもない、単なる看板に書いた文字だけで洪水の恐ろしさを伝えながらも、走り手の自尊心をくすぐりつつ、運動の負荷を上げ、そして気が付けば実際に洪水における緊急時の練習を実施させるという非常に機能的なメッセージだと私ひで氏は思う。

他にも、走っていると時折こんなものが現れる。


フィットネス用のものだが、機械と呼べるような(重りをつけて動かすとかそういう)機構は無い。
ただ、なんかやってみたくなるのだ。こういった、街の人の運動を促すような仕掛けがいくつもある。

スマートなやり方だなぁと感心しながら、横の芝生でストレッチをしていた時、
目の前に大きなオーストラリア人の男性が現れた。

全然人が居なかったので、私ひで氏も自然にハローと挨拶をした。

普通なら向こうもハーイと答えてすれ違うところだが、男性は足を停めた。

そしてアーユージャパニーズ?と話しかけてきたので、私ひで氏もそうだよ、と話しはじめた。
とても体格のいい初老の男性という感じで、二人ともジョギングで額に汗をかきながらまぁ他愛のない話しをしたわけである。

すると男性が、胸ポケットから名刺を差し出し「もしよかったらウチにディナーでも食べに来ないか?」と言ってくれた。


そこには彼の連絡先が載っており、もしよければここに電話してくれ、ということだった。
カードをくれた後はジョギングの続きの為に走り去った男性。

とてもありがたい。

しかし、これはリスクだ。

海外というこの状況で、見知らぬ人からのディナーの誘い。

私ひで氏は昔、インドネシアで私の来ていたUniversity of Rochesterと書かれたトレーナーを指さし「あなたロチェスター出身なの?私の息子もロチェスター大に行っていたの!今ちょうど息子が国に帰ってきていて、パーティをしているから、来ない?」と言われ、考えた結果断った経験がある。

話しが妙にトントン拍子に運びすぎたからだ。

バンダバーグという土地柄を考えると、もちろん十中八九問題ないだろう。
しかし万に一つ、この男性がシリアルキラーでないという保証もないわけである。

逆にあの男性も相当無防備というかフレンドリーにもほどがある、と思える。
トレーニングウェアなのに名刺がスッと出てくるというのはどうなのか。
この土地ではさして珍しくない現象なのかも知れぬ。

私ひで氏は考えた。
もちろんこうして無事帰国してこんなことを書いている時点で、身に危険はなかったわけだが、

果たして私ひで氏はディナーに行ったか、行かなかったか。



さあどっち!







喝采エスカレーター

2017年02月19日 | ヒデ氏イラストブログ
数日前から体調をやや崩していた、ひで氏です。

数年ぶりに風邪を引き、喉は痛いわ咳は止まらない状態になり、あーしんど、と思っていた。

ただその時はまだ、数日すれば治るだろうと高をくくっていた。

すると数日経って突如、右ヒザが痛み出した。

始めはなんか痛いなぁ、ぐらいに思っていたがだんだんと痛みは激しくなってきた。
そうこうしているうちに歩いている時もかなりの痛みを感じるようになり、特に階段の上り下りがキツいということがわかってきた。
とにかく、膝が曲がる瞬間が痛く、逆に真っすぐに伸びている状態、もしくは正座のように曲げきった状態では痛みは感じないのだ。

そしてさらに悪いことには、この痛みを数日我慢して歩いているうちに、かばって歩いていたからかなんなのか、
ある朝大規模な寝違えを起こし、R2D2のような動きしかできないようになってしまったのだ。

私ひで氏は普段なかなか病院に行かないという悪い?クセがあるのだが、このときばかりは何か異常を感じすぐに整形外科の門をくぐった。

そして先生に症状を説明していると、ふと尋ねられた。

最近何か新しく運動を始めたということはないか、と。

あ… そうだ、最近ランニングをはじめたのだ。

冬の自転車は初動があまりにも寒すぎて乗らなくなる。だから、苦手だったジョギングをこの年になって始めてみたのだ。

といっても忘れていたくらいだ。なんせ最後に走ったのは2週間ぐらい前だったのだ。

しかしそれを言うと先生は「あーたぶんそれやね」と言い、時間差でそういうことも起こる、と付け足した。
念のため膝も、そして寝違えた背中もレントゲンを撮ってもらったが骨には全く異常が無く、これは完全に筋肉の炎症でしょうねということになり、湿布をもらって病院を出た。

結果としては思う以上にあっけなかったがまー湿布で治るのならそれに越したことは無い。

この頃膝の痛みはピークに達し、今すぐにでも貼りたいぐらいだがすでに電車に乗ってしまっているのでとりあえずガマン、家に帰ったら速攻貼ろう、と心に決めた。

悪い状況というのはこういう時に追い打ちをかけてくるものである。

自分の駅で降り、「階段はもってのほかだ、エスカレーターの右側に立ち微動だにせずに降りよう」と思ってエスカレータの方に歩いていくと、なぜか止まる側のサイド(関西では右側)に妙な行列が出来ている。

説明しにくいがこのときその行列の最後尾に並ぶには向かってくる波に逆らわなければならず、とにかく早くエスカレータに乗りたい一心で思わずエスカレータに、それも歩いて下りる人が多い手前(左側)のレーンにそのまま誘導されてしまったのだ。

もちろんわかっている。

エスカレータというのはそもそも止まって手すりを持って乗る物であり、歩いて速く進むためのものではない。手前のレーンに入ったからといって歩く義務はないのだ。

しかしもはや止まる側と歩く側ではっきりと役割が分かれているという実態を知りながら、一刻も早く家に帰ろうと手前のレーンを選んでいる波を止めてまでそこに立つガッツはこのときの私にはなかった。ちなみに右側に入り込む余地は全くない。

今やちょっとした「曲げ」で激痛が走るのだ。焦った私は咄嗟の行動に出た。

前述したように、今回の症状は膝が曲がった瞬間に痛いのであり、真っすぐである限り痛みはないのだ。

つまり右膝を一度も曲げずに降りれば良いのだ…!

最初は自分でも半信半疑だった。そんな降り方ができるのか?と。

しかし右足をまっすぐに前方に出しながら左足で一段ずつ踏み込んでいく。踏み込むというより、左のかかとをずらしてリズムに乗せて落ちていくようなイメージだ。

ダン…ダダン、ダン…!

で…できる。できる!
かあさん、オレ、できるよーーーッ!


夢中に降りたそこからの記憶はあいまいだ。


ただ、その時の私は映画「コーラスライン」のあのダンサーのステップのようになっていたこと、


そして時折右レーンの人々に身体をヒットさせては異様な目で見られ、それでもかまわずステップを切りつづけたこと、

そしてもう吹っ切れた私の耳にはエスカレータの段を下りながら観衆の大歓声を受けているかのような異常な高揚感があったことを覚えているのみだ。



ハァ、ハァ…

オレはやり切ったのだ…!



そんな私ひで氏、このブログを書いている現在は湿布でしっかり膝の痛みは取れ、背中の痛みもほぼなくなり、風邪もすっかり良くなって明日のハウリンイベントにソロで登場します!気分も体調も良いので思い切り歌います!


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2017.02.20 MONDAY - HOWLIN' BAR, OSAKA (HIDE SOLO)
塚本ハウリンバー「20周年記念ライブ第20弾」


今年ASB関連第一弾はひで氏のソロライブから。なんと20周年を迎える塚本ハウリンバーの第20弾イベントというキリのいいイベントに呼んでいただきました。
素晴らしい共演者とご一緒します。ASBはじめはまずひで氏ソロからはじめましょう。

2017年2月20日(月) 大阪塚本ハウリンバー
OPEN 19:00 / START 20:00
Live Charge 2,000yen
樫本英之(The Alan Smithy Band) / ンダ / シーガン山下 / THE TWINS

大阪塚本ハウリンバー
大阪市西淀川区柏里2-1-19 石川ビル2F 
TEL:06-4808-2212






あんバターの流儀

2017年02月05日 | ヒデ氏イラストブログ
パン好きにとって、パン屋を発掘するのはこの上ない楽しみの一つだ。

ひで氏です。

パン屋は美しい。

地域に根差して景色の一つとして街に溶け込み、
朝早くからパンの匂いで行き交う通行人を幸せにする。
当のパンも驚くほどの種類が世の中に存在し、それぞれの個性を競い合う。
それらのパンの命は花のように短いが、そんな儚くも美しいパンを焼く技術を持つ人間は敬意を込めて「職人」と呼ばれ、日々美しいパンを生産していくのだ。

お好み焼き屋の実力を計るのに必ず豚玉を注文する人のように、
私ひで氏も自分なりに新しいパン屋に出会うと試すパンがある。つまりその銘柄は大概どのパン屋に行っても存在するパン、ということだ。

それが「あんバター」だ。

いたってシンプルなパンだ。小さいフランスパンに切り込みがあり、そこにあんことバターが挟まっている。それだけだ。
月並みだが、シンプルなだけにすべてが赤裸々にさらされてしまう。あんこの甘味、バターのクオリティ、そしてフランスパンの味と固さ。ざっくりいうとそのあたりがよくわかるわけだ。

ふと出会った新たなパン屋さんで、先日もそうやっていつものようにあんバターを試した時だ。
残すところふたつとなっていたあんバターに私が手を伸ばすと、同じようにすぐ後に最後の一つを挟んだトングが視界に入った。

すでに二つしかなかった時点で良いサインだと思っていた私ひで氏は、トングの持ち主を見てこのあんバターへの期待を深めた。
なぜならそれはどう見てもこのパン屋さんにしょっちゅう訪れているであろう、とても品の良さそうな初老の女性だったからだ。

地元に愛されるパン屋、そこに通う貴婦人。そんな大人しそうな人が、無くなりかけたあんバターに急いで手を伸ばす。
これは間違いなく美味しいあんバターなのだ。

こうなると他のパンもいくつか試したくなる私ひで氏、パン屋でありがちな「必要以上に買い込む」現象に陥っていると、そのご婦人は案の定レジのお姉さんに「○○です、お願いしてた食パンもお願いします」と言った。やはり常連なのだ。

レジのお姉さんと談笑する様子もとても柔和で好感のもてる人で、最後は「ごめんください」と軽く会釈し店を後にした。
こういう年の取り方は素敵だなぁと思わせるご婦人であった。


アランスミシーバンドのお客さんがみんな素晴らしい人なのと同じように、いいパン屋にはいいお客さんがいるのだ…などと考えながら、早速買ってきたあんバターを食べてみるととても美味しかった。

先に述べたように、パンの種類は同じでも、店の個性がある。それをあんバターのような差別化しにくいパンでどう表現するか、それが見たいわけだ。

この店のあんバターのあんこはとても優しい味だ。まろやかで、柔らかい。

しかしそれに反するように、フランスパンの部分がものすごく固い。普通のフランスパンよりも、何かこう、挑戦的に固い。

両手でしっかりパンを挟み込み、大きく口を開けて噛んで行かなければあんやバターがはみ出てしまう。

それでもまだ歯が立たない。歯に込めるパワーを上げる。

やがてパンを支える両手だけでなく、顔も震え出し、気が付けば鬼の形相であんバターを食べている自分に気付いた。

そうしてやっと一口目が千切れた。一口目でこれだ。最後まで行こうとすれば、両腕と後頭部の筋肉痛は避けられないし、ミクロレベルでの歯の欠損も避けられないだろう。

やるじゃぁないか…

パン切り包丁で切れば良いではないか。そんな声が上がるかもしれない。違う。違うのだ。
これこそがあんバターに対する礼儀作法ともいえる食べ方なのだ。

そう思った瞬間、あのご婦人を思い出した。
彼女の好物でもあろう、この店のあんバター。いったいあの清楚なご婦人はどうやって食べているのだろうか。

よもや包丁でカットして…

いや、一瞬でもそんな風に思った自分を恥じた。


食パン個人オーダーまでするほどである、よほどのパン好きとお見受けした。

もちろん彼女も正式作法に決まっている。


こんな感じで。




The Bond in Car Wash

2017年01月23日 | ヒデ氏イラストブログ
寒くなってくるととても億劫な作業がある。

それは洗車だ。

寒風吹きすさぶ中車を洗うというのは本当に苦痛だが、その当の車はその寒さの中をさらに猛スピードで走り続けてボディに汚れを背負っているわけだから、やはりたまに洗ってやらないとフェアではないな、と思いながら重い腰を上げる。

しかし寒がりの私ひで氏、今回ばかりは外で冷水で洗うのがどうしても嫌だった。
しかし車は汚れているのでキレイにしたい。

そうだ、カーウォッシュに行こう。

小さい頃、カーウォッシュが好きだった。



あの巨大な機械に吸い込まれながら見る、迫りくるブラシ。あふれ出る洗剤に吹き付ける風。

かつて紹介したベランダ事件などのレジェンドがあった我が家ではカーウォッシュもまるで今で言うUSJのアトラクションに入っていくようなエンターテインメントだったのだ。

久々に訪れた近所のガソリンスタンドのカーウォッシュで思い出したそんな子供の頃の記憶から紐付いて、別の記憶がよみがえってきた。

そういえばアメリカに住んでいた頃もよくカーウォッシュに行ったなぁ。と。

アメリカのCar Washというのは日本のようにスタンドの片隅にあるのではなく、クルマ大国だけあってそれだけで店舗が成り立っている。いついってもある程度の台数の車が洗車をしているのだ。



プランもたくさんあり、詳細は忘れたが私ひで氏がいつも利用していたのは、スタンダードなコースで機械を出ると屈強な男が待ち構えており、高圧洗浄+拭き上げをやってくれるプランだ。

その屈強な男というのが非常に手際がよく、高圧洗浄をしたかと思えば両手にスポンジの手袋状になった拭き上げタオルを装着して両手を器用に動かしながら全身を上下左右に動かしながら、あっという間に1台のクルマを拭き上げてしまうのだ。

そんなCar Washである出来事があった。

いつものようにスタンダードなコースを選んだ私はクルマに乗ったまま機械洗浄へ。一通りの洗浄が終わった後、クルマをいつもの黒人のお兄さんが待ち構えているスペースにクルマを進めた。

今となっては何を言おうとしたのか覚えていないのだが、何かちょっとしたこと、たとえば「ホイールを念入りに頼んます」とかそういうことを言おうとしたのかもしれない。少し窓を開けてそのお兄さんに話しかけようとしたのだ。

向こうからすれば機械洗浄から出てきた車はただ単にこなすべき次のアイテムのようなものなので、まさか窓が開くとは思っていなかったのだ。なんの迷いも無く高圧洗浄のノズルをクルマに向けて発射した。

私ひで氏とすればちょうど窓を数センチあけて何か言おうとしたそのとき

ブシャアァァッ!!

と高圧洗浄のガンから放たれた鋭い水のビームが、奇跡的に私が開けた窓の隙間にピンポイントで入ってきたのだ。


ぶわわわ!と顔面に高圧洗浄を浴びて、声を上げてプチ暴れする私ひで氏を見て驚いたお兄さんは、オウ!と声を上げてびっくりして水を止めノズルを下ろした。

ものすごい水勢のシャワーを浴びて放心している私。ずぶぬれの車内。


日本ならここで

「す、すすみません!!大丈夫ですかッ!」

だと思う。間違いなく。

しかしここアメリカは違った。

お兄さんはしばしの沈黙を置いて、腹を抱えて笑い出したのだ。

ヒャーハッハッと。



「何で!?ジブン何でいま窓あけるん?」

という感じだ。


えーーー。。。笑ってるこの人。。。と一瞬思った私ひで氏も、

身をかがめて笑うこの人を見ているとだんだんおかしくなり

フ… フフフッ… はははは

と笑ってしまった。


これは日本ではありえないな、と思う半面、この方が人間らしくていいわ、とも思ったものだ。


実際この事件以来、毎回このお兄さんに当たると窓越しに妙なアイコンタクトが交わされるようになった。

そして向こうもわざとこちらに向かってノズルを向けて窓にブシャーと水をかけてきたり、
こちらも指を指して「やったなー」と笑顔を見せたり。

なんとも不思議な心の交流が続いた。



あるときから、このお兄さんと遭遇しなくなった。


勤務時間帯が変わったのか、辞めてしまったのか。


しかしあの出来事以降、お兄さんが居なくなるまでの間、
毎回洗車を終えた私ひで氏の当時の愛車、ASBのGoing Up to Ohioにも出てくる91年製フォルクスワーゲンの黒いJettaには、


洗車を終えた他のどの車よりも、少し多めの艶があったのは間違いない。







ワイドビューミステリ 消えたC子を追え(後編)

2016年03月06日 | ヒデ氏イラストブログ
前回までのあらすじ:
毎年2回ほどの頻度で飛騨地方を訪れるひで氏、この度初めての特急列車「ワイドビューひだ」で乗り込んだ。その中で一緒になった、自由席に分散して座る女子大生と思しき3人組。そのうちの一人(C子)が発車直前にホームに買い物に行ったその時、列車は無情にも動き出した。C子を置いて出発してしまったA子とB子の胸中、そして携帯すら持たずホームに取り残されたC子は一体。。。(前編全文はこちら)

状況から察するにC子は財布だけを持ってホームへ出ていったようだ。少なくとも幾ばくかの現金があるというのは全くの手ぶらで取り残されるよりかはいいのかもしれない。

なんという修羅場だ。
不思議なのはA子もB子も、事態の大きさの割には比較的落ち着いていて、パニックという状態から程遠いほどに冷静なのだ。

そして私ひで氏はこのハプニングを横目で見ながらも、もう1つとても違和感のある出来事があった。
このワイドビューひだ、なんと後ろ向きに進みだしたのだ。

普通は座席が向いている方向に電車が進むと考えるが、動き出した瞬間、バックするように進み始めたのでとても驚いた。車内で何をするにしても後ろ向きに進む列車というのは気持ち悪い。わたしひで氏は、とにかく目をつぶって「この列車は席の向きと同じ方向に進んでいる」と強く念じることで心の中の列車の向きを変えられはしないだろうかと必死にトライしていた。

その間、A子とB子の会話からだんだん状況がはっきりしてきた。

C子は荷物も座席に置いたまま車外に財布だけを持って出ていったこと。
ただし座席にコートとポーチが無いことから、それらは持っているだろうということ。
しかし携帯は座席に置きっぱなしになっていること。

そして、A子が全員分の切符を預かっていること。

そのあとA子とB子がとったのは至極当然の行動だった。車掌が席まで来て、相談している。
友達が一人だけ取り残されてしまった、しかし連絡手段はおろか、切符すら持っていない。当然次の列車に乗って追いかけてくることになると思うが、切符も持たない彼女が列車に乗ることはOKか。

正直、車掌も当惑していた。珍しいケースなのだろう。

そんな中、車掌はこんなオファーをした。
「わかりました。一時間後の次の列車の車掌に連絡をとって、そういう事情で切符を持たない女性が一人乗るということを伝えます。」

かなり人間味溢れる対応だ。静かに感心する私ひで氏をよそに、車掌は「ではC子さんの特徴を教えてください」と言った。
A子とB子はC子の様子を伝え始める。

「えっと...コートは着ていってるはずだから…ベージュのコートを着ています」

「髪はロングで茶髪です」

「ポーチはどんなんだっけ。。。あ、茶色だ」

「で…、あ、焦げ茶色のブーツを履いてます」

おそらく私を含め、周りの数人、そして車掌までもが間違いなくこう思ったはずだ。

全部茶色やん…!

特にいちいち復唱していた車掌などは、後半声が震えていた。無理もない。

瞬時に私の頭の中で恐怖のC子像が浮かび上がってきた。
そして同時に、恐ろしい仮説が暗雲のように頭の中に立ち込めてきたのである。

全身茶色の超ロングヘアーの女、C子があのタイミングで列車を降りたのは本当に偶然だったのか。

飲み物など、こんな特急列車なら車内で買うこともできたのではないか。。。

「何がいい?」と言い残して出ていったC子の目に、何か巨大なミッションを背負った人間特有の光が宿ってはいなかったか。

コートやポーチまでも持って行って携帯だけを車内に置いていったのは、もしかすると位置情報を残すデバイスを車内に残す目的があったのではないか。何かが起こったとしても携帯のGPSの記録からC子もそこに居たとされ真相は藪の中、というヤツではないのか。。。

後ろ向きに走り出したこの列車、むしろ進んでいったのはC子で、取り残されたのは我々では無いのか。。。



危ない!この列車に乗っていてはいけない!

思わず顔を上げて叫びそうになった私ひで氏、どこかのタイミングで眠りに落ちていたようだ。

起きたのは列車が一つ目の停車駅、岐阜に着いたからである。

C子は確実にミッションを遂行して今頃はボスに報告している…そんな疑念が固まっていく横で、停車をきっかけにA子とB子が隣で電話をかけている。2人で会話をするために、音量を絞りながらもスピーカーフォンにしている。相手は、行先で落ち合うことになっていたと思われる高山の友人のようだ。

「あ、もしもしー。ごめんね。あのさ、ちょっと前にワイドビューに無事乗ったんだけど。。。C子がさぁ、乗り損ねてさぁ。」

ここで私は、なぜA子もB子もこの状況の中やけに落ち着いていたのかを悟ることになる。高山の友人がスピーカーごしに発した言葉は耳を疑うものだった。

「えーーー!また?あの子!」




ただの常習犯やったみたい。