高校時代、自転車競技をやりたいがために近くで唯一自転車部があった他校の部活動にお願いをして休みの間だけ活動を許されていた私ひで氏。
いま思えばよくあんな思い切ったことをしたなあと思う。
毎日往復60キロ、峠に次ぐ峠、ゴールは遥か先の柳生の里というコース。
開始してしばらくは、全くついていけず途中で引き返すことを毎回余儀なくされていた。自分より前の人が折り返してきたら、そこで回らなければならない。
往路の行程で言えば半分強ぐらいのところだろうか。まだこれからキツい山道がひたすら繰り返される手前のところ、という感じだ。
そんなお話にもならない状況が一定期間続いてから、こちらも鍛えられ、少しずつではあるがついていける距離が伸びてきた。
そしてある日、ついに自分にとって未知のコースである激しい山道に入り、いつものように前の集団からだんだんと引き離され、そのうちもう蚊の止まりそうな速度で登っていた時である。
猛烈な眠気に襲われた。
頭がフワーとしてハンドルが言う事を聞かない。
ふらっと道の真ん中に出てはまたゆらゆらと戻る。頭では半分わかっているのに、全く思うように動かせない。
車が後ろから来なかったからいいようなものの、死角の多いカーブだらけだったので、このとき車が後ろから来ていたら終わりだったと思う。
あれは今でも神様の贈り物だったのではないかと思うが、
ちょうど申し合わせたかのように道路の左側にちょっとした退避場所のような、空きスペースのようなものが突如現れた。
この時点ではもう何がどうなっているのかよくわからずそのままそこに自転車ごと倒れこんだ。
もともとヘロヘロのスピードだったので、対して衝撃もなかったのだろうと思う。
このとき後ろからバンで現れたのが鬼教官、T先生だ。ものすごい勢いでこの退避場にバンが止まった。
休んでいるのかと怒られる、と本能的に思ったのとは裏腹に、
「落車したんかッ!!」(自転車の世界ではこけることを落車(らくしゃ)する、と言う)
そういってT先生は駆け寄ってきて、頭を支えるなり私ひで氏の手や足が折れていないかチェックしたり、脈拍をとったりした。
私も意識はあったので、「いや、こけてはないんですけどなんか急にボーっとして。。。」と言うと、
「ハンガーノックか。。。!」
と先生がつぶやいたことで、これをそう言うのかと思ったのを覚えている。
ハンガーノックとは、血中の糖分を使い果たすことで「ガス欠」になり、運動はもちろん思考力まで低下してしまう状態である。
単なる空腹や息切れとはレベルが違う。本当に体が言うことを聞かなくなる。
T先生は一瞬車に戻ったかと思うと何かを持って戻り、「食べろ!」と半ば無理やり私の口にそれを突っ込んだ。羊羹のようなものだったように思う。
こういうケースを想定していつも車には食べ物が常備してあったのだと思う。
おかげでその日はバンに乗せられて帰ったが、比較的早く回復し、翌日からまた練習に参加できた。
この経験をしてから、私ひで氏は今でも朝走ったりするときに絶対に空腹では走らないようにしている。
そしてあっという間に二度の夏が過ぎ。。。
そもそも正式な入部生でも無かったので「退部」とも言わないかもしれないが、結局この自転車競技部は高校二年の夏を最後に退部した。高三は受験やら何やらで忙しいから、とかそんな理由だっただろうか。あまり覚えていない。
辞めるころにはチームメイトともある程度仲良くなっていたし、一瞬ではあるが往路のゴールにたどり着けるようになっていた。
今日で最後、というまさにその日、T先生にお世話になりましたとあいさつに行った。
その時、T先生は思いがけずあのハンガーノックの日のことを語ったのだ。
「お前、入ってしばらくしてハンガーノックで倒れたやろ。あの時オレ、どんだけ焦ったとおもてんねん。ほんま後ろついとってよかったわ」
そうか。。。言われてみれば。。。慣れてきたときにわかったが、T先生は通常「先頭集団」にバンで並走しながら指示を出し、脱落者はただただそのあとを追うスタイルだ。。。
あの時、T先生が後ろから来て助かったのは、きっと入って間もない自分を心配してくれていて、最後尾についてくれていたのかもしれない。。。
するとT先生の口から出たのは意外な言葉だった。
「お前のおかあちゃん。練習初日の前の日に一升瓶持って職員室に来たんや。ここの生徒でもないのに、無理言って入れてもらってすみません、息子をよろしくお願いします、って」
だから絶対ケガさせたらあかん、と思ってようみとったんや、と照れくさそうに言うT先生。それが無かったからと言って決して生徒を無下に扱うような先生ではもちろんなかったが、
「せやからお母ちゃんに感謝せえよ」
と先生は言った。
一連の出来事は、いかに自分が、どれだけ積極的に頑張っているなどといきがっていても、
全く想像できない範囲まで周りの大人に助けられ、心配され、ケアされて生きているのだということを知るきっかけになった。
そして最後にT先生は付け加えた。
「ちなみにオレあんまり飲めへんねんけどな」
鬼軍曹が見せたとびきり不器用な笑顔だった。
たったふた夏ではあったが、この部で経験したことは、私ひで氏の人生の中で大きなターニングポイントであり、また誇りである。
T先生は後年、別の高校の自転車部の顧問になり、インターハイで全国制覇に導いている。
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Addicted To Bikeシリーズ
第1回:Addicted to Bike - 自転車中毒を目指して
第2回:Addicted to Bike - 今も残るT先生の言葉
いま思えばよくあんな思い切ったことをしたなあと思う。
毎日往復60キロ、峠に次ぐ峠、ゴールは遥か先の柳生の里というコース。
開始してしばらくは、全くついていけず途中で引き返すことを毎回余儀なくされていた。自分より前の人が折り返してきたら、そこで回らなければならない。
往路の行程で言えば半分強ぐらいのところだろうか。まだこれからキツい山道がひたすら繰り返される手前のところ、という感じだ。
そんなお話にもならない状況が一定期間続いてから、こちらも鍛えられ、少しずつではあるがついていける距離が伸びてきた。
そしてある日、ついに自分にとって未知のコースである激しい山道に入り、いつものように前の集団からだんだんと引き離され、そのうちもう蚊の止まりそうな速度で登っていた時である。
猛烈な眠気に襲われた。
頭がフワーとしてハンドルが言う事を聞かない。
ふらっと道の真ん中に出てはまたゆらゆらと戻る。頭では半分わかっているのに、全く思うように動かせない。
車が後ろから来なかったからいいようなものの、死角の多いカーブだらけだったので、このとき車が後ろから来ていたら終わりだったと思う。
あれは今でも神様の贈り物だったのではないかと思うが、
ちょうど申し合わせたかのように道路の左側にちょっとした退避場所のような、空きスペースのようなものが突如現れた。
この時点ではもう何がどうなっているのかよくわからずそのままそこに自転車ごと倒れこんだ。
もともとヘロヘロのスピードだったので、対して衝撃もなかったのだろうと思う。
このとき後ろからバンで現れたのが鬼教官、T先生だ。ものすごい勢いでこの退避場にバンが止まった。
休んでいるのかと怒られる、と本能的に思ったのとは裏腹に、
「落車したんかッ!!」(自転車の世界ではこけることを落車(らくしゃ)する、と言う)
そういってT先生は駆け寄ってきて、頭を支えるなり私ひで氏の手や足が折れていないかチェックしたり、脈拍をとったりした。
私も意識はあったので、「いや、こけてはないんですけどなんか急にボーっとして。。。」と言うと、
「ハンガーノックか。。。!」
と先生がつぶやいたことで、これをそう言うのかと思ったのを覚えている。
ハンガーノックとは、血中の糖分を使い果たすことで「ガス欠」になり、運動はもちろん思考力まで低下してしまう状態である。
単なる空腹や息切れとはレベルが違う。本当に体が言うことを聞かなくなる。
T先生は一瞬車に戻ったかと思うと何かを持って戻り、「食べろ!」と半ば無理やり私の口にそれを突っ込んだ。羊羹のようなものだったように思う。
こういうケースを想定していつも車には食べ物が常備してあったのだと思う。
おかげでその日はバンに乗せられて帰ったが、比較的早く回復し、翌日からまた練習に参加できた。
この経験をしてから、私ひで氏は今でも朝走ったりするときに絶対に空腹では走らないようにしている。
そしてあっという間に二度の夏が過ぎ。。。
そもそも正式な入部生でも無かったので「退部」とも言わないかもしれないが、結局この自転車競技部は高校二年の夏を最後に退部した。高三は受験やら何やらで忙しいから、とかそんな理由だっただろうか。あまり覚えていない。
辞めるころにはチームメイトともある程度仲良くなっていたし、一瞬ではあるが往路のゴールにたどり着けるようになっていた。
今日で最後、というまさにその日、T先生にお世話になりましたとあいさつに行った。
その時、T先生は思いがけずあのハンガーノックの日のことを語ったのだ。
「お前、入ってしばらくしてハンガーノックで倒れたやろ。あの時オレ、どんだけ焦ったとおもてんねん。ほんま後ろついとってよかったわ」
そうか。。。言われてみれば。。。慣れてきたときにわかったが、T先生は通常「先頭集団」にバンで並走しながら指示を出し、脱落者はただただそのあとを追うスタイルだ。。。
あの時、T先生が後ろから来て助かったのは、きっと入って間もない自分を心配してくれていて、最後尾についてくれていたのかもしれない。。。
するとT先生の口から出たのは意外な言葉だった。
「お前のおかあちゃん。練習初日の前の日に一升瓶持って職員室に来たんや。ここの生徒でもないのに、無理言って入れてもらってすみません、息子をよろしくお願いします、って」
だから絶対ケガさせたらあかん、と思ってようみとったんや、と照れくさそうに言うT先生。それが無かったからと言って決して生徒を無下に扱うような先生ではもちろんなかったが、
「せやからお母ちゃんに感謝せえよ」
と先生は言った。
一連の出来事は、いかに自分が、どれだけ積極的に頑張っているなどといきがっていても、
全く想像できない範囲まで周りの大人に助けられ、心配され、ケアされて生きているのだということを知るきっかけになった。
そして最後にT先生は付け加えた。
「ちなみにオレあんまり飲めへんねんけどな」
鬼軍曹が見せたとびきり不器用な笑顔だった。
たったふた夏ではあったが、この部で経験したことは、私ひで氏の人生の中で大きなターニングポイントであり、また誇りである。
T先生は後年、別の高校の自転車部の顧問になり、インターハイで全国制覇に導いている。
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Addicted To Bikeシリーズ
第1回:Addicted to Bike - 自転車中毒を目指して
第2回:Addicted to Bike - 今も残るT先生の言葉
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