本年がビートルズ初来日50周年記念、ということで
かなりの記事、イベントが目に付いた。
1966年の6月29日初来日。
3日間の滞在で5回コンサート、観客動員数5万人。
「ビートルズ現象」として日本文化史に大きく残る出来事だった。
そして…
ここスペインへの初来訪は、その1年前の1965年7月1日。
この年行われたヨーロッパツアーの最終地として選ばれ、
マドリッド、バルセロナ2都市でそれぞれ1度ずつのコンサートが開催。
最初のコンサートはマドリッド、国内最大の闘牛場、ラス・ベンタスにて。
17時40分スタート、収容人数2万3798人を誇るこの場所に来た観客…
たったの5000人!
観客席、スッカスカ~!
なんで?!
(ちなみに同年8月、ニューヨークコンサートでは、動員数5万6000人である)
ここに当時の様子を伝える貴重な報道映画ニュースがある。
まずは当時、スペインは39年から始まり、1975年までつづくフランコ独裁政権下にあったから。
清き正しいカトリック教徒によってつくられたスペイン!
…というのはすでに建前になりつつも存在し、政府による文化思想統制は厳しく、軍部警察は
確固とした力を未だ誇っていた。
そんな清き国民の心を乱す文化…おっぱいペロン映画禁止!(フランスに国境越えてポルノ映画を
観に行くツアー、というのが実在した)、反政府、宗教音楽文学みんな禁止!集団5人以上、路上で
固まってたら、警察は職務質問目的でしょっぴく権利を持ってた。
はっきりいって、スペインはヨーロッパの孤島状態。取り残されまくり。
SMSも携帯もない…そんな中当時のワカモノがしがみついてた情報源、
それはラジオだった。
当時のDJは神的存在。国内では販売してないビートルズの新盤を、ロンドンまで
わざわざ買いに行ってかけまくる。「何かしんないけど、すげーいい!」という視聴者の
波が自然発生的に盛り上がったらしい。
まあ、そんな国情の中にビートルズ呼んでこようとするプロモーターもどうかと思うが、
なんだかんだいって実現させたから凄い。
最初ビートルズ側は「イギリス本国で最新版90万部売れてるのにスペインで売れてるの
たった3500枚。行く価値ないでしょ?!」とけんもほろろ。
「わが国スペインでですね、今年売れたレコードプレーヤーは1500台なんです。
ということは3500枚のうち2000枚は、聴けるかどうかアテもなくて、それでも買った熱狂的ファンが
作った数なんですよ」…と口説き落としたらしいとのこと。
上記に貼ったビデオは当時の国営放送製作。それだけにアナウンサーの、
なんというか嘲笑気味のしゃべりが気に障る。
会場にも俺なんでここにいるの?的おじいちゃんとかがきょろきょろしてる。
コンサートチケットの価格は75~400ペセタ。
当時の最低賃金日当が83ペセタ。
とんでもない高額。
健全なる良家の子女が聴くレベルの音楽ではない!と聴くことさえ厳しく
両親から禁じられたという話も聞く。(ビデオ中、顔を隠す女の子が大勢いた)
メンバーらは、取り囲む大勢のレポーターがやたら髪の毛のこと聞くのにうんざりしたという。
曰く「どんなお手入れを?」「専属美容師?」「髪に保険かけてますか?」等。
“だらしない長髪の、汚いドラッグ野郎”が来るとの噂。しかし実際はこざっぱりした
黒スーツの、長髪とはいえない違う髪形の彼らに戸惑ったらしい。
そしてこの時期、“スペイン国産ピートルズ”なるグループが登場、人気を博した。
ロス・ブリンコスの方々↓
…なんとなくビーチボーイズ?
ワカモノの好きなビートルズの髪の毛切って、毒気を抜いて、国産にした、みたいな…
まあ本人らには罪はないけど。
未だに、この国の自分のおっさん、おばさん世代と音楽の話してて、10年位の時代ズレを感じる。
それだからこそ、あのコンサートビデオに写ってガンガンに盛り上がってた人達、
勇気あったんだな!あの情熱?やらずにはいられなーい!みたいなエネルギー。
それがいろんなものを壊して、作り上げる勇気なんだろうな。
…そしてあの人達、どこにいっちゃったんだろう…