スペインサラマンカ・あるばの日々

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あまりにも小盛り上がりだった~ビートルズのスペイン初来訪。(小さくヤァ!ヤァ!ヤァ!)

2016-08-19 10:07:34 | スペインがお題のコラム


本年がビートルズ初来日50周年記念、ということで
かなりの記事、イベントが目に付いた。

1966年の6月29日初来日。
3日間の滞在で5回コンサート、観客動員数5万人。
「ビートルズ現象」として日本文化史に大きく残る出来事だった。

そして…
ここスペインへの初来訪は、その1年前の1965年7月1日。
この年行われたヨーロッパツアーの最終地として選ばれ、
マドリッド、バルセロナ2都市でそれぞれ1度ずつのコンサートが開催。

最初のコンサートはマドリッド、国内最大の闘牛場、ラス・ベンタスにて。
17時40分スタート、収容人数2万3798人を誇るこの場所に来た観客…

たったの5000人!

観客席、スッカスカ~!

なんで?!
(ちなみに同年8月、ニューヨークコンサートでは、動員数5万6000人である)

ここに当時の様子を伝える貴重な報道映画ニュースがある。

まずは当時、スペインは39年から始まり、1975年までつづくフランコ独裁政権下にあったから。
清き正しいカトリック教徒によってつくられたスペイン!
…というのはすでに建前になりつつも存在し、政府による文化思想統制は厳しく、軍部警察は
確固とした力を未だ誇っていた。

そんな清き国民の心を乱す文化…おっぱいペロン映画禁止!(フランスに国境越えてポルノ映画を
観に行くツアー、というのが実在した)、反政府、宗教音楽文学みんな禁止!集団5人以上、路上で
固まってたら、警察は職務質問目的でしょっぴく権利を持ってた。

はっきりいって、スペインはヨーロッパの孤島状態。取り残されまくり。

SMSも携帯もない…そんな中当時のワカモノがしがみついてた情報源、
それはラジオだった。

当時のDJは神的存在。国内では販売してないビートルズの新盤を、ロンドンまで
わざわざ買いに行ってかけまくる。「何かしんないけど、すげーいい!」という視聴者の
波が自然発生的に盛り上がったらしい。

まあ、そんな国情の中にビートルズ呼んでこようとするプロモーターもどうかと思うが、
なんだかんだいって実現させたから凄い。

最初ビートルズ側は「イギリス本国で最新版90万部売れてるのにスペインで売れてるの
たった3500枚。行く価値ないでしょ?!」とけんもほろろ。

「わが国スペインでですね、今年売れたレコードプレーヤーは1500台なんです。
ということは3500枚のうち2000枚は、聴けるかどうかアテもなくて、それでも買った熱狂的ファンが
作った数なんですよ」…と口説き落としたらしいとのこと。

上記に貼ったビデオは当時の国営放送製作。それだけにアナウンサーの、
なんというか嘲笑気味のしゃべりが気に障る。
会場にも俺なんでここにいるの?的おじいちゃんとかがきょろきょろしてる。

コンサートチケットの価格は75~400ペセタ。
当時の最低賃金日当が83ペセタ。
とんでもない高額。

健全なる良家の子女が聴くレベルの音楽ではない!と聴くことさえ厳しく
両親から禁じられたという話も聞く。(ビデオ中、顔を隠す女の子が大勢いた)

メンバーらは、取り囲む大勢のレポーターがやたら髪の毛のこと聞くのにうんざりしたという。
曰く「どんなお手入れを?」「専属美容師?」「髪に保険かけてますか?」等。
“だらしない長髪の、汚いドラッグ野郎”が来るとの噂。しかし実際はこざっぱりした
黒スーツの、長髪とはいえない違う髪形の彼らに戸惑ったらしい。

そしてこの時期、“スペイン国産ピートルズ”なるグループが登場、人気を博した。
ロス・ブリンコスの方々↓

…なんとなくビーチボーイズ?
ワカモノの好きなビートルズの髪の毛切って、毒気を抜いて、国産にした、みたいな…
まあ本人らには罪はないけど。

未だに、この国の自分のおっさん、おばさん世代と音楽の話してて、10年位の時代ズレを感じる。
それだからこそ、あのコンサートビデオに写ってガンガンに盛り上がってた人達、
勇気あったんだな!あの情熱?やらずにはいられなーい!みたいなエネルギー。
それがいろんなものを壊して、作り上げる勇気なんだろうな。

…そしてあの人達、どこにいっちゃったんだろう…

 

 



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3 コメント

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さもありなん (tossy)
2016-08-19 22:41:19
私が行ったのが76年、フランコ死んで1年のスペイン。何か途轍もない田舎にきた感じでしたが、los60だったら政権真っ只中だよね。ギュウギュウ制限されてたのによく開催したと思う。だからスペインは文学的にもあの時代は停滞したみたいね。映画だって『汚れなき悪戯』とか『海のなんちゃら・・・』とか小学生向きみたいなものばかり。アルモドバルみたいな監督が出るとはおもわなかったわ。
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Unknown (Michiko)
2016-08-20 01:18:02
76年にスペインに旅行した人の話は貴重。フランコ死後、怒涛のような情報の流れ込み、自由万歳!の文化ムーブメントがマドリッドを中心に起こって、その中にアルモドバルがいたわけだけど、この時代の話は面白い。だれか学生卒論書きゃいいのに~と思うけど。
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同感 (tossy)
2016-08-20 09:51:14
スペイン近代史ってあまり研究者がいないみたいな・・・本も出てないみたいなかんじだけど、私が知らないだけかも。
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