「学校をドロップアウトしたのは個人の責任、
ほかの49人は通えるのに、通えない1人が悪い」
アメリカの人やアメリカに感化されている人、
これは誤りです。
人は皆違うんです。
悪人が善人やライバルが邪魔だったら、相手を攻撃します。
悪くない相手を攻撃します。
私は「ごくせん」という、かつて日本人の間で大ヒットしたドラマが今でも好きです。
日本の庶民に長く育まれてきた価値観や幸せが描かれていて、人々の心の琴線に触れたのでしょう。
昔の日本人は、そういうとき、教師やまともな生徒や親たちが、攻撃された子を守り、
攻撃する子を叱りました。
それが歪んだ自己愛を持つ子を更生させました。
攻撃された子はまた元の生活に戻れました。
そうやって平和は保たれました。
1人が皆のために、
皆が1人のために。
どんなにはみ出したように見える人も、皆がサポートしてきたんです。
しかし、超個人主義で自己責任の社会では、
人は皆自分のことに集中して、他人とは関わりません。
関わっても表面的です。
アメリカは確かに、頭がいい人が多く、精神的に自立し、自分で物事を考えられる人が多いです。
エンターテイメントも素晴らしいです。
羨ましいです。
でも、私のような昔の日本人からみると、
必死に頭がよくありたい、上等でいたいという、
一種の優越感も感じます。
単細胞でそこまで奥深くないです。
日本人は本来はもっと奥深くて、
日々の生き方や文化自体が、平和主義で共存主義でした。
皆で協力してよいものを作れるから、無駄に競争する必要がなかった。
仕事の差別もあまりなかった。
少ない資源を分け合い、自然の中に美を見出し、
慎ましさの中に至上の美と幸福を見つけ出しました。
だから他国を侵略する必要がなかった。長い間。
それが伝統です。長い間取捨選択されたなかで完成された。
英語で言うeclecticです。
ほぼ完成された美です。
植民地を作り、物質的に豊かな生活をしないと豊かになれないという欧米の価値観とは真逆です。
明治になってから、日本は欧米の価値観に洗脳されて、中途半端なまま、ずっと失敗続きです。
でも、欧米の方にも、日本の禅の思想に共鳴する方も多くいらっしゃいます。
ロシアの人たちは、伝統的に芸術と清貧を愛します。
それが一番素晴らしいと知っているからです。
闘うのも好きなのもある意味よいことです。
アメリカの方は単細胞です。
よくも悪くもです。
今は悪い部分が出てしまってますが、もう少し極端になるのをやめたら、昔の良さを取り戻せると思います。
集団ストーカーやカルトは、社会の盲点をついてくる犯罪です。
一般で言われて人が信じてることの水面下で、新たな思いもかけないことが起こるのが人間社会です。
はみ出した人間を一方的に自己責任で片付けず、
相手と向き合い、話し合おうとし、ずっとじっと観察することで、
見えてこなかった新しい問題や価値観がわかってくると思います。
それをなおざりにしてまで、24時間努力しても、
意味ないどころか、悪です。
私は日本人として、日本の中で育まれた洗練された文化と完成された秩序をこれからも守っていきます。