半月ほど大好きな京都に滞在し、
散歩したり、本を読んだり、F1観たりして過ごしました。
私が予想していたよりも、何倍も有意義な経験でした。
本来の自分を見つめ直したと同時に、
素直になり、
そして、これまでの経験を振り返りグレードアップさせていけました。
最初にいうと、
一番認識したことは、
やはり、男性と女性は違うということです。
それは私の人生のテーマそのものであり、
被害に遭ったのも、
最終的に世界平和を成し遂げるのも、
私が頑ななまでに、世界の流れに逆らい、
女であることに固執したから、
それが唯一だということ。
だから私はこんなにまで男性に執着され、私は彼らを愛するのです。
さらには自分を育ててきた内なる男性が、
女性を大事にしたいと感じるのだと。
だから、私が女性であることを究極なまでに追求することこそ、
世界平和を実現することになったのです。
私が一日部屋やホテルの部屋で妄想をすることが、
世界平和になるのです。
この方のインタビューは私のしてきたことを端的に説明してくださってますので読んでみてください。
ですので、これから私は迷いなく自分の使命をグレードアップして遂行していくつもりです。
そしてためらわずに、いままでよりもっとたくさんの人々を、老若男女愛していくつもりです。
それは、世の中のために寝食惜しまず、危険を顧みず活動される世の男性方と全く逆のアプローチです。
猫は猫であり、猫以外のものになれないように、
女性は女性にしかなれません。
だったら、女性であることを究極なまでにつきつめるべきなのです。
私にとっての理想の女性は、
平安時代のお姫様です。
彼女たちは、部屋の中にいてさえ、
まともに立つことも歩くことさえ、しませんでした。
深窓とは、すでに平安時代にあった言葉です。
手習いをしたり、和歌を読むことはあっても、なんら生産的なことをしませんでした。
ただ美しく男性に愛されること、
最終的に天皇に愛され次の天皇を産むことが唯一大事なことでした。
男性は、勉強し、政をおこない、狩りに出かけ、
更にはおしゃれに気を使い、女性のごきげんをとり、女性と恋愛したのです。
なんでこんなにも不公平なのだろうと思いますが、
やはりいつの世も、
今のポリティカル・コレクトネス絶世期の昨今でさえ、
ほぼ変わりません。
だったら、最初から女性は女性であるべきです。極力そう努めるべきなのです。
なぜこの世に売春があるのか、
男性は女性を盗み見たいのか、
女性の私達が想像を絶するほどに、
大半の男性は女性にたいへん興味があり、
所有することに意義があると感じるからだと思うしかなさそうです。
そして、
女性には巫女的な力、
神の信託を受け、世に伝える役割があると思います。
だから一部女性は、できるだけ禊をし、
世間と離れたところで、
世の人々に神の信託を伝える必要があると私は思います。
私にとって、
それは部屋に一日中いることであり、
バレエをして、体を正しく酷使することで、
美しい身体と心を作り、
神に自らを捧げることで、
世の中に平和をもたらすこととみなしています。
逆に、私が意に反して、
社会に出れば、ほとんどの場合、
周りを不幸にしています。
私が違和感なくいられる場所か、
ここぞと身体が勝手に動く以外は、
私は活動すべきではないです。
それは世の平和をこわし、世の中に災いをもたらすのです。
私は禊をしながら、
想像しよい企画をたて、
主に男性方が自主的に参加し実行してもらうことが、
なによりの仕事なのだという確信を揺るぎないものにしました。
だから、
世の他の多くの女性とは異なります。
男性は私を愛しますが、
それは私が世の人を、性別無関係に愛するからで、
それが結果的に女性を幸せにするため、
それを否定する必要も、罪悪感をもつのも、誤りだと気づきました。
なので、私は男性方を愛し愛されてもよい存在だと自分を肯定することができました。
不倫とか二股とかそんな低次元な愛とは違います。
全身全霊で彼らを愛し愛されることにより、
それが世界平和になるのだとやっと理解したのです。
それが私の使命であり、
先人への敬意と、後世への責任と思います。