ブルガリア・ウクライナ(ブルガリア・ウクライナ及びグリャムシルヴァニア連邦国)

2022-01-03 21:55:38 | ヨーロッパ



ブルガリア・ウクライナ正式名 ブルガリア・ウクライナおよび大シルヴァニア連邦立憲共和国



とは、バルカン半島・東南ヨーロッパに2035年に誕生した連邦共和国である。
2075年にルーマニア・モルドバを「ダキアシルヴァニア自治国」として統合して現在の領土となった。
ルーマニアのナショナリストらは相変わらず反発していたが、シルバニア(トランシルヴァニア)がルーマニア=モルドバ民族の固有の領土であり、トランシルヴァニアの繁栄と栄光はルーマニア=モルドバ民族に着せられるという名誉が与えられた為にルーマニア人の多くもこれには満足していた。


・建国までの状況

この「ブルガリア・ウクライナ」という呼称はロシア政府の意図があった。
「大ブルガリア主義」で東南ヨーロッパに親露勢力圏を作るのが目的だった。
(北マケドニア=マケドニア旧ユーゴスラビア共和国はヴァルダ・ルーシブルガリアに吸収された)
「ブルガリア・ウクライナ」という名前にはウクライナ西部をブルガリアと連合させることでウクライナ人の領土意識を西方に向ける意図もあった。

2030年代、ロシア政府は諜報・買収・浸透工作・心理戦などなど諸戦法を通じてほぼバルカン半島や東欧諸国を事実上のコントロール下に置いていた。
大ルーマニア主義(ルーマニア、モルドバ統一主義)者によるルーマニア語圏統一。
北マケドニア共和国とブルガリアの統一も行われた。(大ブルガリア主義)さらにイスラム圏のアルバニアに対する浸透工作も行われた。
(統一マケドニア主義)

これらは、
①ユーゴスラヴィアのような巨大な連邦を出現させることにより、民族間の対立の減少
②全ヨーロッパの「フィンランド化」(親露政権を欧州に乱立させる)の目標の達成である

そのために、
①短期レベル・・・民族主義の勃興による民族統一主義の扇動
②中期レベル・・・ブルガリア語圏、ルーマニア語圏を統合して「正教会の二帝国を出現させる」
③長期レベル・・・「ブルガリア・ウクライナ・グリャムシルヴァニア連邦国」F.S.B.U.Gによる「バルカン半島の正教圏の統一」(ギリシャを除く)

が地政学的な政治工作として実行された。



ブルガリア・ウクライナの宣伝ポスター
「ルテニアの諸国民よ!!多様性と統一国家。共通の神と憲法。」(ウクライナ語)


F.S.B.U.G(ブルガリア・ウクライナ)
 



日本連邦自由国(FSSJ)

2021-07-24 23:18:53 | 日本 北日本 琉球






日本連邦自由国(FFSJ)の首都は #岡山の県北 の新興都市たる岡京市だったが。
ここは中国大陸や朝鮮と近いために安全保障上は問題でもあった。
そのために、主権者機関の1つたる最高憲法裁判所は京都府南部の長岡京市に置かれた。
さらに、国防軍最高司令部は長野県の長野市に置かれた。

岡京市は、上院(元老院)と下院(参政委託院)の両院が置かれていた。

・日本国防軍


日本国防軍は7個師団、4個艦隊で構成されていた。

第3師団(大阪方面、陸自から踏襲)
第6師団(仙台方面、陸自から踏襲)
第10師団(中部地方、陸自から踏襲)
第16師団(武蔵(東京埼玉)方面、新設)
第17師団(金沢市駐屯、海兵隊)
第18師団(中国地方、国際部隊で日豪英と共同運営)


第5艦隊(1~4は海自の護衛隊群が使用したとして欠番。舞鶴に本部。別名、親衛艦隊)
第6艦隊(旧石川県能登半島に本部。有事の際は舞鶴艦隊との統合運用が前提)
第7艦隊(鎌倉市に本部、だが拠点港は横須賀)
第8艦隊(名古屋に本部)
第9艦隊(和歌山市に本部)
第10独立任務群(鳥取市)
第11独立任務群(旧鳥取県境港市)

第1航空団(旧岡山県倉敷市)
第2航空団(鳥取市)
第3航空団(兵庫県姫路市)
第4航空団(京都府福知山市)
第5航空団(旧静岡県熱海市)
第6航空団(旧東京都八王子市)
第7航空団(旧神奈川県鎌倉市)
第8航空団(山形市)
第9航空団(福島市)


陸軍の編成としては、師‐大隊or中隊‐小隊- 分隊or組‐班であり。
連隊や旅団は設置されなかった。(国家警察や内務警察部隊は大隊が基本単位だったが、必要に応じて「連隊」(3個大隊以上)を設置することができた。
銃火器は、豪軍の兵器がそのままライセンスコピーされて使われており、部隊内での司令や号令、兵法用語も全て英語だった。


・警察

地方警察たる州警察が5つあった。
それとは別に連邦政府直属の国家警察(約39万人)があった。
内務警察部隊は事実上の国家憲兵で、犯罪捜査などには関与せず、重要施設の警備や政府高官の警護を行った。
公安警察として、州政府レベルの社会安全監督部と、連邦レベルの連邦情報庁があった。





恋と愛は違うとか言うけど、結婚と恋愛は同じだと思う

2021-07-24 23:07:15 | 日記
恋と愛は違うとか言うけど、結婚と恋愛は同じだと思う
相手の心に向き合わないとダメ

大漢中人民共和国(大漢中社会主義人民共和国)People's Republic of Da Han Zhong(22世紀の中国)

2021-06-11 22:13:48 | 中国-東南アジア- Oceania


大漢中人民共和国(だんかんちゅう じんみんきょうわこく)
大汉中人民共和国 People's Republic of Da Han Zhong

大漢中人民共和(通称、大漢中、DHZ)とは中国大陸、香港、台湾、チベット等々で構成された社会主義国家である。西暦2112年に成立。
西洋では中華人民共和国と台湾(中華民国)の連邦国家であるという解釈もある。
クアラルンプール平和条約機構(KPTO)加盟、独立社会主義政権連盟国(CISR)に加盟。




・前史(中国時代)
中国大陸に存在した共産党執権の社会主義国家(中華人民共和国)はアジア太平洋諸国と独立した経済ブロック、RCEP(地域的経済協定)を構築し、欧米社会を排除した「アジア太平洋新秩序」を掲げた。
2077年6月3日、台湾特別行政区に対して正式に、中華人民共和国台湾省として併合する事を決定。
6月8日に、「大中華社会主義連邦国」(USCC)を宣言した。(両岸統一)
さらに、同年8月1日安全保障における協力機構たるクアラルンプール条約機構(アジア太平洋平和条約)を締結。
2089年4月3日、ミャンマー、ラオス、ネパール、スリランカ、モルディブ、マレーシアなどをと国家連合「独立社会主義連政権連盟国」CISRを結成した。
(これは言うまでもなく、アジア太平洋におけるソビエト連邦だと西側諸国からは警戒された。)

・大漢中社会主義人民共和国の成立
2090年3月1日、CISRの盟主で最大加盟国のUSCC(大中華社会主義連邦国)は国号(国名)を「大漢中社会主義人民共和国」(DHZ)に変更。
2112年9月1日には、連邦制ではなく中央集権型にするために憲法を改正し、国名が長すぎるとして「大漢中人民共和国」に変更。

・DHZ(大漢中)という国名の意味
2090年3月1日からは中華・中国という単語は公式に廃止された。
そして「漢人がマジョリティの中国地域」という意味の大漢中(DHZ)に変更された。
これは公式には「非漢族がマジョリティの地域と差別化して、そちらを引き立てるため」と言われたが、
憶測としては漢化政策を進める、中国の意味を広範囲に拡大する下準備(CISR加盟国全体に拡大)の下準備だとも言われた。


・国家体制
USCC(大中華社会主義連邦国)では複数政党制で中国共産党と中国国民党以外にも、様々な民主党が生まれた。
しかし、香港や台湾や琉球の独立を主張する政党は非合法であった。
また野党勢力や自由主義志向の団体は警察の監視下におかれ、事実上は大きな制限がかかっていた。
中国共産党の衛星党(民主建国党など)も小規模ながら活動は認められて、農村部では与党に成ることも多かった。
選挙は基本的に、軍と警察の管理下で電子投票を行うので公平性は低かった。
2089年4月3日から独立社会主義政権連盟国(CISR)に加盟すると、「穏健で漸進な社会主義」「マルクスとエンゲルスのいない、アジアの人々がいる社会主義」を掲げて、共産主義を放棄した。
2090年3月1日に大漢中社会主義人民共和国が成立すると、中国共産党は大漢中社会主義統一党に党名変更。

2112年9月1日に大漢中人民共和国となると、「自由市場の集権」を主張する介(ジエ)国家主席により、一党独裁・計画経済・集産主義の体制を再び作り上げた。(これは西側からは共産主義的権威主義への回帰だと批判された。)

「諸国民、および同志の皆さま。複数政党制と自由民主主義は常に国家と民族を分断して、自由なマスメディアは国益に反する報道をします。党のみが母であり、軍のみが父なのです。若者たちよ、党と軍を信じなさい。
西側の民主主義とは心理戦とサブリミナルで世論を誘導する、ブルジョア独占資本主義、あるいは欺瞞です。
西側諸国と結託する売国的民主主義者が大声で反体制を叫び、国家を分断する時代は昨日終わりました。
テヘランから東京まで、新しいアジア式社会主義により平和がもたらされるでしょう。」

by介(ジエ)主席の演説


・国防および武装力量(暴力装置)

武装力量(暴力装置)としては、多種多様であり指揮系統も複雑であった。
地方自治体(省や自治国)は独自の民兵組織や民間防衛センターを持っていた。
緊急時に動員される予備役部隊も、民間人と軍人の境界はあいまいだった。
しかし、「国家中央軍事委員会」が全ての軍部隊の司令部であるという事は共通していた。
正規軍には「常強軍」(じょうきょうぐん)が有った。
常強軍の艦隊部門は、常強海軍、航空宇宙部門は常強空軍とも呼ばれた。
地上軍、海軍、空軍は、聯合参謀本部、聯合指揮部が合同に管理していた。

これとは別に快速反応部隊(RRF)があった。
元々は、常強軍のエリート部隊の総称が、快速反応部隊だったが、
「中央軍事委員会の直属の少数精鋭部隊」という風に変わっていった。
(※旧来の人民解放軍や中華民国国軍では、日本で言う即応部隊を快速反応部隊と呼称していた。
これが、部隊の種類をさす単語から、選び抜かれた精鋭部隊の固有名詞に変化した。)



大漢中人民共和国軍(通称大漢中軍)のロゴマーク。



軍用機や国籍旗、戦闘服にはこのようなタイプも確認されている。

他には以下の軍種があった。

☆緊急展開軍(通称、壁兵)

もともとは人民解放軍のNBC対策部隊や武装警察部隊が再編制されたものだった。
だが大型機動兵器やロボット兵器が大量に導入されて大がかりな組織へと変貌した。
主に、大規模都市や重要施設の防衛、外国人街や少数民族の自治州での監視や保安を行った。
大規模な暴動やテロ、反政府活動の鎮圧も想定していたので装甲車やロボット兵器も保有していた。
国家総動員戦や中核都市部の防衛の要だったので、壁兵(へきへい)と呼ばれた。


☆即時対応軍(通称、即応軍)

もとは、民兵組織が有事の際に統合運用できるようにするためのプラットフォーム的な統合軍システムだった。
「国営の民間警備会社」を標榜している。
そして大漢中時代もその80%の戦闘員は予備役や民兵組織だった。
ヘリや航空機での空挺部隊と、サイバー部隊が主だった。
反乱発生地域や国境紛争地帯など「注目地点」への急行と素早い展開を目的としていた。
緊急展開軍との差別化は概念上、外国人からすると理解しにくかったが、緊急展開軍が「重」「撃」「点」をイメージしていたのに対して、
即時対応軍は「軽快」「緻密」「面」をイメージしていた。


☆外国人部隊
大漢中は公式には傭兵や外国人部隊を認めていなかったが、実は大規模に導入されていた。
リアルナンバー(実数旅団)と呼ばれる部隊は上海を司令部とし、港湾施設や各大使館の監視や警備を行っていた。
リアルナンバーの多くはアジア系で占められていた。

また内陸部ではイマジナリーナンバー(虚数旅団)が確認されている。
彼らはロシアなどスラブ系が中心だった。国家主席が直接指導する部隊で、中央軍事委員会や軍務部(国防省)が唯一、コントロールしていない部隊だった。
西安と武漢を司令部としていたらしく、新疆やチベット、広州に多くが投入されていた。
彼らは遺伝子改良を受けており、寿命が存在しないなど奇妙な噂がたてられていた。
他にも西ヨーロッパから集められた、セントピード大隊も存在した。

☆司法、警察
人民武装警察のうち、緊急展開軍に合流しなかった部隊の多くは内務警察部となり国内保安に勤めていた。
さらに政治警察として逮捕権限はないが強大な権力を持っていたのが、社会安全名録局だった。
他にも、警察予備隊という名称で民兵とは別に、地方自治体が軽歩兵部隊を保有している場合もあった。
災害対策としての、緊急支援局も警察と同等の権限が与えられていた。


☆情報機関
DHZ(大漢中)のスパイ組織(情報機関)の分類は複雑である。
というのも、全ての軍や警察、大学や企業、NPOなどが情報機関としての側面を持っていたからである。
さらに全世界の華僑・華人団体も本人の自覚はともかく情報機関のパーツとして機能していた。
まず中華人民共和国やUSCC(大中華連邦)の時代には、党の機関である「中東統一作戦部」、軍の「総参謀部2部」「総政治部」、国家(行政)としては「国家安全部」(KGBに相当)が存在した。
また外交部(外務省)には平和統一戦線や友好協会の名での情報機関が存在した。
さらに民間団体の多くも実は、共産党員が指導するスパイ機関だという事は大いに有り得たのである。
大漢中では、中央軍事委員会直属の、中央情報部があった。
さらに即時対応軍のサイバー部隊も情報機関でもあった。
国家主席直属のイマジナリーナンバーはロシア系の情報機関で働いていたものは、ラーブヌイ大隊と呼ばれていた情報部隊に所属していた。
常強軍の陸海空軍部隊にはそれぞれ偵察・情報ユニットがあり、それらからの情報は国防部の軍事偵理局で統合的に解析・保存・運用された。
マスメディアとしては新華社通信が情報機関として有名だったが、これは大漢日報と成った。





この大漢中人民共和国はスクエアエニックス社様の、FrontMission3(フロントミッションサード)に登場する架空の国家です。
全ての元ネタはフロントミッション開発部およびスクウェア・エニックス社様にあります。



大朝鮮連邦民主共和国(新日本国・コリアンジャパン)

2021-04-25 21:34:01 | トルコ ツラン ウラルアルタイ


大朝鮮連邦民主共和国とは、

日本列島における大和民族を中核とする国家・政権である。
朝鮮半島における国家ではない。
「大朝鮮」とはウクライナを「小ロシア」、モスクワ公国を「大ロシア」と呼称したようなむしろ遠近的な表現である。
(朝鮮半島はチョソン本土と呼ばれたが、本土人は「小朝鮮」という呼称は使いたがらなかった。)
これは高麗連邦(統一朝鮮)の労働党政権が「日本」という国号を段階的に消滅させることを目的としており、「外朝鮮連邦自治国」が2030年代の呼称だった。(地理的な日本列島を指すときに日本、政権や政体を指すときに外朝鮮がマスコミでは用いられた)

もっとも世界的には「ニュージャパン」単に「ジャパン」が通称であった。
政治的な配慮や、国際的な大会や会合では「コリアンジャパン」(朝鮮日本)や「コリアンズジャパン」(朝鮮の日本)なども用いられた。
朝鮮本土では「イルボン」あるいは「トンハン」(東韓・東韓国)が好まれた。(旧北朝鮮の北部ではイルボンがもっぱら使われていたが、便宜上は「トンチョソン」(東朝鮮)も使われた。
(チャイニーズタイペイに近い)

しかし朝鮮本土人の中には、日本列島に「チョソン」を使うのを忌避しながらも、外国人には「コリアンジャパン」と呼ぶのを強要するといったダブルスタンダードなり矛盾も見られることが多かった。

なお日本語版、オルヒスペディアでは「朝鮮」が日本列島なのか朝鮮半島・韓国(韓半島)をさしているのか識別しずらいので「新日本」を
大朝鮮に用いる。
(大朝鮮とは韓国語、日本語の両方で偉大な朝鮮、広い朝鮮の意味でも使われるために)



・高麗連邦民主共和国(統一朝鮮) の保護国(事実上の属国・衛星国)として

高麗連邦民主共和国と新日本(大朝鮮民主連邦共和国)は表向きは「保護国」(protectorat)として主権国家として独立している体裁だったが、
事実上は高麗(統一朝鮮)の衛星国であり、傀儡政権・属領だった。

天皇は政治的権威(文化的象徴)も奪われ、日本国憲法は廃棄された。(憲法は2度も根本的に変わった)
天皇家は南宮(奈良市)と北宮(長岡京市)に分割され、李王家との結婚も強要された。実際に第128代の日本天皇は「李晋日」であり、
「李氏日本」「李朝日本王国」と揶揄される原因だった。
「天皇は日本列島の土着宗教たる精霊信仰(日本神道)のシャーマンキングとして大祭司の崇敬の対象」と限定された。

立法府は明石市(立法院と参事院)に置かれたために兵庫県の明石市が事実上の首都とみなされていたが、これには異説もある。
経済や文化の中心は大阪だった。
また「臨時首都」に法律上だされていたのは下関だった。


日本民族派は天皇がいる奈良市を首都とみなした者もいたが法的にはいっさ不認可。


・前史(日本民主共和国→外朝鮮連邦自治国→大朝鮮へ)

左派政党および左翼団体、共産主義者・朝鮮民族主義者が事実上の主体だった「国民連合政府」は、
段階的な天皇制の民主的改革(事実上の天皇制の解体)と統一朝鮮との友好条約を宣言(五月一日の政変)。
西暦2036年5月3日に日本民主共和国を成立させた。(日本民主共和国憲法)




2038年には高麗連邦民主共和国(統一朝鮮)との自由連合(Associated state協同国)を結んだ。
(これは事実上の朝鮮系勢力による日本の属国化でもあった)
そして自由連合の締結から約1年5か月のころ、12月25日に国号を「外朝鮮連邦自治国」に変更。
日本人(日本国民)のハングル学習が義務教育で義務化された。
(ブルークリスマスとその反応)
そのほか「対日38個条約」という事実上、高麗連邦による前日本民主共和国の属国化が勧められた。
NHKは解体され、内務通信省(旧総務省)の放送企画局に格下げされた。
2039年の9月1日から「太極旗にスカイブルーの旗」(青海旗)が国旗となり国歌は「ふるさと」に成った。
(日本民主共和国の時代は「さくら、さくら」が事実上の国歌とされた)


・新日本(大朝鮮)の国旗、「青海地太極旗」(旧韓国国旗とスカイブルーの旗地)

暫定的に使われた「新しい日本国旗」は露骨に韓国国旗が使用された。
これは日本を事実上の植民地にしたという意思の表れで、旧「日本政府の韓国統監府」の旗のパロディでもあった。
旧日本帝国の韓国統監府旗


皮肉にもこの国旗は南朝鮮(韓国)では廃止されており、韓国人右派の中には「韓国旗のレムナント(生き残り)が日本国旗である」ことに不快感を唱えた者もいた。
自由大韓亡命政府は批判する声明をだした。
しかし「日の丸の復活」をおそれた朝鮮韓国人の多くはこれにも慎重だった。
(韓国人左派は、太極旗を儒教的・前時代的・上下関係主義だとして批判していた)
こうして「韓国国旗が描かれた最後の国旗が日本列島の政権の旗に成る」という皮肉なことが起きた。
日本人民族派(右派左派問わず)は「青海地太極旗」を露骨に嫌悪して日章旗を掲げたが、日章旗を公共の場で掲げるのは法律で禁止されたほか、
差別や軽蔑の対象となった。
こうして「最後の太極旗」となった新日本(大朝鮮)の旗だが、これは韓国地区(南朝鮮)での政治的な論争にもなった。


国旗の具体的作者は不明で外朝鮮の進歩的勢力とだけ紹介された
西暦2049年12月25日は「外朝鮮建国10周年記念」として国号を「大朝鮮連邦民主共和国」に変更した。


・国防、安全保障

ここでは日本民主共和国、外朝鮮連邦自治国時代の国防軍についても述べる。
日本民主共和国の時代には「日本国防軍」が存在した。
これは外国人部隊(予備動員軍)や民間防衛軍、予備役も居れると30万人の軍隊だった。
外朝鮮連邦自治国の時代には次のような「防衛合理化」が行われた。

・陸海空軍という軍種の廃止。(統合軍運用)
・兵站部隊は国防軍時代の4倍。
・皇室警察などが廃止される一方で、軍事司法科、サイバー部隊、バトルドロイド部隊、の創設。
・航空宇宙軍(空軍)は「外朝鮮航空宇宙省」になり非武装化(警備部隊、憲兵隊はのぞく)
・艦隊部門は空母、巡洋艦、ヘリコプター駆逐艦(航空化された駆逐艦)の保有は禁止られた。
・爆撃機や滑空グライダー弾も保有は禁止された、逆に弾道ミサイルと核兵器は倍増された。
・予備役の倍増、軍需産業の民営化
・軍犬など動物兵器は全廃しドローンや電子兵器に置き換え
・女性の徴兵制の廃止

外朝鮮では「外朝鮮国境警備軍」となり正規軍は国境警備を担当、逆に内務警察(武装警察)や民間防衛軍は国内のテロ・過激分子を対象とした。
とくに秘密警察部門(国家平和保安部)の最大の監視対象は「日本独立運動」「大和民族一個民族主義者」であった。
秘密警察のさらに極秘の部隊に「青い爪」(blue‐edge)と呼ばれる粛清部隊があり暗殺を行ったりもした。
(外朝鮮は死刑を廃止したが、暗殺の件数は年間平均12人。だが関与が疑われた反朝鮮分子や反政府的人物の死は年間200人を超えた年もあった)

また外朝鮮に駐留する高麗国防軍の部隊は4万人程度(しかも兵站など後方支援がほとんど)だったが、情報機関、スパイは30万人を超えていた。
また日本国籍者を含めて、朝鮮韓国系とルーツを持つものは200万人以上いたという。
銃火器の多くはガリルやHK416など西側の兵器が中心で日本国防軍と大差が無かった。(だが特殊部隊はロシア製の火器のコピー品を使ったりもした)